地球全体を俯瞰する視座を持ち、これからも活動していきたい ― 木達一仁|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

地球全体を俯瞰する視座を持ち、これからも活動していきたい ― 木達一仁

Era Web Architectsの今回のゲストは、株式会社ミツエーリンクスで取締役(CTO)を務める木達一仁氏。Web標準やアクセシビリティの専門家として仕事をされています。今回は木達さんの宇宙に対する思いから、Web標準などに関わる経緯を語っていただきました。

木達 一仁 プロフィール

宇宙開発を志し大学は機械工学科へ進学、大学時代には鳥人間コンテストにも出場。ドットコムバブルを機にWeb業界へ転職してからは、フロントエンドのエンジニアとして従事。現職のミツエーリンクスに入社後は、Web標準やアクセシビリティの啓発に尽力、書籍の監訳にも関わる。現在は、大学院で広報やマーケティングの勉強もしている。

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Webよりも先に電子メールに感動

坂本:どのような学生だったんですか。また、インターネットはどういうふうに知りましたか。

木達:僕は宇宙開発をやりたかったので、大学は機械工学科に進学し、材料力学や製図をひととおりやりました。小学生のときから宇宙開発をやりたい、なんなら宇宙飛行士になりたいと思っていたので。そう思うキッカケは「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメの影響を受けたこと、もう一つは幼稚園生くらいのときに「宇宙博」というイベントに父親に連れて行ってもらったこと。そこで衝撃を受けました。

インターネットについては、大学生のときサークルの先輩が活用していたことに衝撃を受けました。サークルは、「鳥人間コンテスト」に出場するようなサークルで、僕はパイロットで2回飛んでるんです。学校の授業はそっちのけで、大学には正直、飛行機を作るのと体力トレーニングのために通っていました。

当時、人力飛行機で世界記録を作ったMITの教授とサークルの先輩が電子メールでやりとりをしているのを知り、すごい時代が来たなと思いました。Webよりも先にまず電子メールに感動したのです。国際電話が全盛の時代、日本時間の夜中に送ると速攻で返信が来て、「これはすごい」と。

その後、徐々に電子メールを自分でも使うようになり、またニュースグループなどでもやりとりするようになりました。ニフティなどのパソコン通信も使っていましたね。やがて必然的に、Webに触れるようになりました。
 

ミツエーリンクスでアルバイトしてました

坂本:では大学時代は、ほぼほぼ飛行機のための人生みたいな感じですか。

木達:大学3年生まではそうですが、4年生になる前の春休みにミツエーリンクスでアルバイトを始めたんです。それまで大学のサーバーで個人サイトを作るなど、趣味でしかHTMLを書いていなかったのですが、それでお金を稼げることを知りビックリ、応募したらすんなり採用されてしまって。バイトでは、デザインカンプをひたすらWebページへとコーディングしていました。

必要な知識は、もちろん独学です。当時はあまり本もなかったですし、開発ツールはブラウザに付属していないし、基本的にはトライ&エラーの繰り返しでした。どうコードを書いたらどう表示されるか、エディタとブラウザを行き来しながら探るしかなかったのです。それでも世界に向け発信できるのは、純粋に面白かったです。

当時は、Webが今日あるほど商業化するとは思っていませんでした。就職先はあくまで宇宙業界を目指したかったし、Web制作はアルバイトでだけという認識で、1年くらい続けました。

大学を卒業して5カ月ほどアメリカに留学していたのですが、そのあいだにお声がけをいただいたのがきっかけで、帰国してすぐ日本宇宙フォーラムに就職。そこで宇宙開発事業団(NASDA)のWebマスター職を2年半、務めることになりました。宇宙に関する知識とWebの知識の両方が必要なポジションで、天職に就けたと嬉しかったです。
 

宇宙業界からWeb業界へ

坂本:理想だった環境から次に変わった理由は何かあったんですか。

木達:Webがとにかく面白くなってきたからです。ドットコムバブルを迎え、2000年に転職しました。母親からは特に強く反対されましたが、オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)にコーダーとして転職したのです。入社と同時に会社がマザーズに上場したので、面接を受けた当時の六本木ではなく、入社後は渋谷のオフィスに通うことになり、メールマガジンのポータルサイト「melma!(メルマ)」の立ち上げに参加しました。

宇宙業界からWeb業界へと鞍替えする際、フロントエンドにこだわろうと考えていました。しかし、そのための教育などは受けていなかったので、手当り次第に本を読むようにしていましたね。あとはとにかく自分の手を動かすこと、を繰り返していました。

その後、プログラミングの部署へ異動を打診されたのですが、自分には向いていないことを知っていたので、退職しました。ちょうど同じ時期に、大学時代の後輩がベンチャー(バックエンド寄りの事業)を立ち上げ、フロントエンドのできる人を探していたので、そちら(スリーハンズ)に転職しました。

実はスリーハンズから宇宙開発事業団へ1年間、出向させてもらった時期もあるんです。なので、宇宙方面をかじりながら、引き続きWebを生業としていました。同じくEra Web Architectsに選ばれている森田雄さんや佐藤伸哉さんが当時お勤めだったビジネス・アーキテクツと、一緒に仕事をしたこともあります。

当時は、寝る間も惜しんで仕事をしていた時代ですね。今ならブラック企業と世間から批判されそうな感じですが、苦労よりやりがいのほうが上回っていましたから。自分たちが新しい業界を育てているような感覚はあったと思います。
 

転機となったミツエーリンクス

坂本:その後、ミツエーリンクスにつながるのですか。

木達:Web系のセミナーなどに参加して見聞を広めるうち、情報設計を極めたくなって。スリーハンズを退職後、実はソシオメディアに応募したこともあります。結果、入社はできませんでしたが……そんなこんながあってから、古巣であるミツエーリンクスに連絡をとったところ、とんとん拍子に入社が決まりました。

最初の肩書はIA(情報アーキテクト)だったのですけど、入社後すぐWeb標準準拠の推進に携わりました。たった一人で2カ月半くらいかけて、自社サイトをフルCSSレイアウトに対応させたりしていましたね。

仕事上の失敗は多くあって、謝罪のためにお客様を訪問したこともあります。とあるブログサービスのフルCSSレイアウト対応プロジェクトが、一番の失敗経験です。できると思って自分一人で進めていたところ、テンプレートが相当複雑でスケジュールが遅延しまくり、そこで関わる人を増やしたら、プロジェクトがさらに炎上してしまって。便利な開発ツールやデバッグツールの無かった時代、とにかく時間をかけて不具合を一つ一つ潰すしかなかった……当時を考えると、今のエンジニアの方々は恵まれていると思ってしまいます。
 

Web標準準拠とアクセシビリティ

坂本:著書もいくつかありますよね。

木達:自分が出版に関わった書籍は、監訳書ばかりです。ジェフリー・ゼルドマン氏の『Designing with Web Standards』の日本語版に、技術校正として参加したのがキッカケとなり、Web標準関連の書籍出版に関わるようになりました。

当時、Web標準準拠というムーヴメントは英語圏のほうが進んでいたため、海外の動向を広めるようなことを意識して取り組んでいました。海外のカンファレンスに参加してはそのレポートを執筆したり、海外の情報をもとにセミナーを開催したりしていましたね。

坂本:Webアクセシビリティを意識し始めたのはいつごろですか。

木達:なぜWeb標準が大事かと、なぜWebアクセシビリティが重要かは、イコールなんです。技術の標準化を進めることによって、Webというエコシステム全体の相互運用性が高まります。それはつまり、同じエコシステムにあるコンテンツのアクセシビリティが飛躍的に向上することを意味するので、言わばコインの表裏のような関係です。自分には、さまざまな取り組みを通じて、徐々にそういう文脈が見えてきた印象です。

坂本:活動の成果はどのように考えていますか。

木達:自分が勤める会社で、制作物の品質の良し悪しはとても気になります。Webコンテンツが満たすべき品質に、業界一律の定義はありません。しかし、明確な品質基準がなければ業界として成熟しようがないとの持論があり、せめて同じ社内というスコープにおいて品質を守り高めるためのフレームワークを作ろうと、取り組んできました。

準拠すべきWeb標準仕様は存在するし、最低限のアクセシビリティは担保しないとWebとして機能しない事実がある以上、そういう品質(Web標準準拠やアクセシビリティ)はちゃんと勤務先で根付かせたいし、最終的には業界全体に根付かせたいという思いはあります。ミツエーリンクスでは、自分の統括する品質管理部という部門が中心になって、その種の取り組みをしています。
 

地球全体を俯瞰する視座を持ち、そのためにできることをする

 郷:2020年に、若かりし頃の20才だとしたら、何をされているでしょうか。

木達:やっぱり宇宙を目指すでしょうね。2021年、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は新たに宇宙飛行士を募集することを発表しているのですが、20代だったら絶対その応募に時間とお金と体力のすべてを突っ込むと思います。年齢制限とかは無いのですが、応募のために勉強したりいろいろトレーニングをすると思います。正直泳げないので、水泳も習うでしょうね。 有人宇宙開発を進めることと、Webとかインターネットを発展させることは、僕にとっては同じゴールを共有しているように映っています。地球を俯瞰するような視座を皆が持てれば、きっと環境問題や人種差別問題などもなくなると、楽観的すぎますが子供のころからそう考えてきました。どうすればそのような視座を持てるかについては、宇宙空間に出て物理的に地球を俯瞰するという方法と、Webやインターネットで世界ともっと繋がることで俯瞰する方法があると思っていて。後者については情報アクセシビリティが改善されてきた結果、情報の取得コスト自体はかなり下がったけど、いっぽうフェイクニュースなど情報の信用・信頼性にまつわる問題が顕在化してきているので、どうすれば良いか考えています(答えはまだないけど)。

坂本:俯瞰する視座を持つことと、会社組織との関係性はありますか。

木達:昔から近江商人の「三方良し」の考え方が好きで、Webについても使い手に良し、作り手に良し、Webや社会全体にも良しという品質、作り方を目指してきました。それに似て、個人にとっても組織にとっても、さらには業界全体にとっても益のある取り組みをすること、そういう文脈を見つけることが大事だと思っています。
 

世代を超えたコミュニケーションの難しさ

坂本:Webやインターネット業界に対してのメッセージをいただけますか。また、どう見ていますか?

木達:働き方は、だいぶ健全になりましたね。ツールも進化しましたし。あらゆる切り口で健全化・正常化に向けいろいろな人が努力してくださったおかげで、他の業種・業界と同程度の生産性には近づけたイメージがあります。

坂本:今直属の部下は何歳くらいですか。

木達:20代後半~30代前半ですが、価値観は違いますね。ジェネレーションギャップは普通に感じます。昔は便利なツールがなくて大変だったというのはあるけど、今の若い人たちなりに悩みや苦労はあるだろうから単純比較はできないし、そこを無視して小言を言えば老害扱いされかねない。当時の文脈にある苦労を容易にはシェアできないぶん、世代を超えたコミュニケーションの難しさを感じますね。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #11(ゲスト: 木達一仁)
https://www.youtube.com/watch?v=aODfaceOKpM

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。

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