学び手の内にある力を、どんどん引き出していく-上平 崇仁|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

学び手の内にある力を、どんどん引き出していく-上平 崇仁

Era Web Architectsの今回のゲストは、専修大学のネットワーク情報学部で教員をしている、上平崇仁氏。デザイン研究科という肩書きで仕事をされています。今回は上平さんのデザインに対する考えや、深い想いを語っていただきました。

上平 崇仁 プロフィール

18歳で東京に上京。企業でグラフィックデザイナーとして働き、当時の大学の先生から教員になることを勧められ、学生にWebデザインを教えていくようになる。生徒には頭で考えるより先に手を動かしていくことを、常に伝えている。自分のバージョンアップを目指しつつ、社会全体にプラスになるような活動を日々模索している。


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大学の情報デザインの授業で、HTMLの書き方を教わった

 郷:インターネットができるようになった当初、どのような活動をされていましたか。

上平:出身は鹿児島ですが「やはりデザインのことを勉強したいなら東京に出るしかない」というので前から決めていました。東京に上京したのは、大学に入った18歳の頃です。それからずっと東京にいます。

初めてインターネットに繋ぎ、モデムを使ってホームページを作成したのは1995年です。大学で情報デザインの授業があり、そこでHTMLの書き方を教わりました。まわりの友人たちは1993年頃にはもうみんなMacを持ってましたね。

新卒からしばらくは、企業でデザイナーとして働いていました。グラフィックデザインや製品開発をしていましたが、担当できる人が少なかったので会社の中のWebサイトも作ったりしましたね。
 

Macを使い、デザインに没頭していく

坂本:はじめてホームページを作ったとき、何か参考にされましたか。

上平:当時、「インターネットマガジン」などの雑誌でホームページの作り方を解説しているものがあったので、それを参考にしていました。当時HTMLはメモ帳に書いて作っていましたね。ブラウザはNCSA MosaicからNetscapeになった頃です。家にMac(Power Macintosh 6100)を買ってコツコツつくっていました。夜な夜なチャットをしたりして、一番ネットが面白かった時代ですね。

坂本:グラフィックデザインをやって情報デザインを学び、インターネットを知って変わっていくわけですね。

上平:グラフィックデザインは、単純に好きだった理由が大きいです。学生のときも情報デザインなど色々学びましたが、緻密なインフォグラフィックス(データ・情報などを視覚的に表現するグラフィックス)に憧れていました。その辺からインターネットに触れて、分散化しつつも繋がっていくことが、面白くなっていった感じではありますね。

当時よく見ていたのは、評論家の山形浩生さんのサイトや「黒木のなんでも掲示板」です。色々な論客が集まっていて、濃い議論が行われるのを眺めているだけでも楽しかったものです。

90年代の頃は、グラフィックデザインやWebなど、フリーで仕事を請け負っていましたが、そこから本格的になるにつれWeb会社もたくさんできてきて、だんだん片手間でできる仕事は減ってきました。徐々に研究的なところに身を移していき、クライアントワークは企業との共同研究などを通してやっていくかたちでやってました。
 

教育者としてのターニングポイント

坂本:学校の教員になろうと思ったのは、いつ頃でしょうか。

上平:会社で働いている頃に、当時共同研究していた先生が「ウチを手伝ってくれますか」と声をかけてくださいました。そのおかげで2000年から東京工芸大の芸術学部をお手伝いするようになりました。僕自身は当時教員になりたいと思っていたわけではありません。教えることに対する偏見もあったくらい価値がわかっていませんでした。 しかし大学で働いていく中で、新たな視点で見られるようになりました。学生たちの良いところを見つけて、つなぎ直したり、伸ばしてあげたりしていける。それは社会全体にも通じる話だと徐々にわかってきました。 「教育(Education)」の「Edu」は引き出すという意味ですので、人の内にあるものをどうやって伸ばしていくか、が主な仕事になります。学生たちが持っているものを、いかにして僕らが見逃さずに発見して引き上げられるかが大事です。 助手の特権を活かしていろいろな先生の教育スタイルを目の前で学びつつ、変化していく学生たちを見ながら「教える」ということも見方次第でいくらでも面白くできるんだな、と気づきましたね。
 

生活の中にある可能性に気づきを得る

坂本:色々な人と出会っていく中で、教育に対する見方がどんどん変化していったのですね。

上平:変化しましたね。特に僕の場合は、情報学部に移ったことが、今考えてもいい読みだったと思います。当時デザインは、美術系の学校で勉強するしかありませんでしたが、僕は2003年の段階で「いつかはエンジニアやビジネスマンたちがデザイン(思考)を身につけていき、世に広がっていくだろう」と予見していました。

直接的なキッカケは、2000年頃から教育の場で活動されていた佐藤雅彦さんの仕事です。「ピタゴラスイッチ」とかですね。あれは本当に衝撃でした。いわゆる美術的な観点とは明らかに違うクリエイティビティがあることを痛感させられました。これば万人にとってのクリエイティビティを刺激していると思いました。

坂本:身近な生活の中から何かを創造することがデザインだと感じているのですね。

上平:職業としてのデザイナーが考えるデザインとは少し違うのかもしれませんが、僕自身はそこに可能性を見いだしました。昔は、親の理解があったり子供の頃から絵がうまくて周りから褒められたり、適切な機会があった学生だけが美術の専門教育を受けられていました。でも、そうした下積みや専門教育を受けてこなかった人たちでもいい才能を持っている人は多くいます。

あるとき、非常に不真面目な男子学生がいました。なにかのきっかけで僕は叱り、彼は目を覚まし、どうすれば良いかを考え始めて、そこから勉強もしなおして大きく伸びていきました。今では立派なデザイナーとして活躍しています。会うと僕が知らないことも教えてくれて、立場が逆転したことを楽しんでいます。彼にとっては、たまたま大学で僕に出会ったことが大きなキッカケになったのだろうな、と思うんですよね。そういう偶然のキッカケは、実は社会の中にたくさん転がっています。学び手の内に眠っている力を、いかに発掘するか。それが僕のライフワークです。
 

クリエイティブは場の中にあると思う

坂本:大学ではWeb以外のことも教えているのですか。

上平:僕が大学で教えているのはグラフィックデザインやコンテンツデザインなのですが、Webというよりも、もうちょっと広い「コト」のデザインが中心です。プロジェクトとしてグループで何かをつくることが多いですね。実装まではできませんが、サービスデザインのようなものを提案することもあります。多くのデザインの学校でも同じようなことをやっていると思いますが、僕はオリジナルな教材も自分でつくっているのでちょっと特殊かもしれません。最近は僕自身がどんどん変化して、定番ではない誰もやらないような教育の方にシフトしつつあります。

この間は、意味を生み出す皿のデザインのプロトタイプをつくるという授業をやりました。頭の中では解けないけれども、置いてみれば何かが思いつくという課題です。プロセスに沿って順番にやるのでなく、同時的にやることを意識してやっています。クリエイティブというものは場の中にあると思っていますので、早いうちからたくさん経験して学生に身につけてもらいたいという願いがあります。
 

地方で誰も見向きもしないようなところで価値を見いだしていきたい

 郷:今までの経験や知識を忘れた状態で、現在20歳だとしたら、どのようなことをされていると思いますか。

上平:もうひとつ違う人生があるとしたら・・・教員は選んでいないでしょうね。たまたま巡り合わせで教員になって、目の前の仕事をしているにすぎません。 実は、後ろめたさを感じていることがあります。(出身地の)鹿児島で頑張っている友人たちがたくさんいて、地域にあるものをうまく使いながら豊かに生きています。もちろんつらいこともたくさんあると思いますけど、僕にはとても豊かにみえるのですね。日本中にそういう人たちがたくさんいて、すばらしい実践を見聞きするたびに、都心で仕事に追われそういう活動が自分自身でできていないことに後ろめたさを感じています。

2017年にミャンマーに行ったとき、発展途上の渾沌の中で、クリエイティビティを発揮できるような熱気があるなと感じました。東京はかなり都市化されすぎて、余白が少ないですね。デジタルやインターネットも、いいことが起こるように使っていきたいです。もし20歳だったら、そういう生き方をしてみたいかな、と思っています。誰も行きたがらない辺境の地にも行って楽しんでみたいですね。
 

可能性を広げ、共有知に対しての感覚も持ってほしい

坂本:Webやインターネット業界にいる若い世代に対して、何かメッセージをいただけますか。

上平:さきほど余白と言いましたけど、昔のWebにはまだ自分で自分の場所を作る「原っぱ感」がありました。今は直接Webの中につくらずに、アプリの中で何かをつくるというカタチが多いと思います。それによって、僕らの自由さは失われているような気もしますね。もう少し違う可能性がたくさんあるのではないかと。僕ら自身がユーザーではなく表現者として拡張できる可能性がきっとあるのではないかなと思います。

もう一つは、たとえば今の学校の情報教育だと「ネットにうかつなことを書いてはいけません」といった情報モラルが徹底されています。そう教育された若者たちだけになると、Wikipediaなどに見られる共有知を育てようという感覚は弱まっていくと思います。そうするとなにか別の目的をもった偏った情報ばかり流れるといった事態にもなります。そこを変えられるのは若い世代だと思いますので、もう少し共有知に対しての感覚は持ってもらえるといいなと思います。

坂本:最近、上平さんは本を書かれましたよね。

上平:『コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に』という本です。「コ」と書くと、協働するというニュアンスになりますが、一緒にデザインをする、いろいろな参加のカタチがあることを噛み砕いて説明した本です。今すぐ役立つ事例や手法などは少なく、僕らが忘れてしまったものや見落としてきたことを掘り起こして改めて繋ぎなおしていくという行動の中に、実はデザインが見いだせるのではないか。そういった部分に重きをおいた本になります。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #10(ゲスト: 上平崇仁)
https://www.youtube.com/watch?v=BS1gryxiuOk

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。