Webは文化をつくれる。新しい文化を一緒につくろうぜ ―平野 秀幸|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

Webは文化をつくれる。新しい文化を一緒につくろうぜ ―平野 秀幸

Era Web Architectsの今回のゲストは、株式会社アクアリングでIA(情報設計)に従事されている、平野秀幸氏。海外での大学生活の中で衝撃を受けたWebの世界に飛び込み、帰国してからは約20年間名古屋を拠点に活動し、Webの仕事を続けています。Webとの出会いから今に至る経緯を語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

平野 秀幸 プロフィール

日本の大学入試で2浪の末、アメリカの大学に入学。そこで初めてインターネットに触った衝撃から、何が何でもWebに関わるため、大学でさまざまな専攻に手をつける。株式会社アクアリングに入社してからも、手と頭を使い日々活動中。新しいWeb文化をつくるために、今も奮闘している。


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アメリカの大学で、初めてパソコンとインターネットに触れる

坂本:インターネットを初めて見たときは、何をされていましたか。

平野:実は、僕は日本の大学入試で失敗して2浪しているんです。2年目の途中で「大学、無理だな」と思って「アメリカの大学に入るのは簡単」と聞いたのでアメリカに行きました。なんとかアメリカの大学に入り「レポートを出しなさい」と言われてパソコンを触ったのが最初です。

アメリカに行ったときは、国際ビジネスを専攻してましたが、それがやりたくてアメリカの大学に入ったわけではなかったので、授業を選択するときにモヤモヤしていました。そんなときに初めてパソコンを触ってインターネットに繋いだときに、日本に触れることができたんです。

田舎の代名詞とも言われるアイオワ州で、日本食を食べに行くのも2時間くらいかかるところでしたので、日本の状況をまったく知る機会がありませんでした。それがパソコンをつけてブラウザを立ち上げて日本語入力すると、日本のニュースや写真を見られるようになるのです。

日本と遮断されていた暮らしをしていた僕には、インターネットの世界が大変衝撃的でした。
 

自分の世界が作れる、ホームページづくりにハマる

坂本:学校のパソコンでインターネットをしていたということですか。

平野:インターネットに衝撃を受けて「これは、すごい世界が来るな」と感じました。それで色々と見るようになると「どうやら自分で作れるらしい」ということに気づきました。アメリカに居ても日本と繋がれる。この世界に自分の住処を作れるという風に感じました。 そのままの勢いで、見よう見まねでWebを作ったのが最初です。当時は仕組みもFTPも分かりませんでしたし、テキストエディタで作ってブラウザで文字が出るだけで大喜びしていました。そうこうしているうちに、大学の勉強よりもWebを作る方が楽しくなってきました。 大学行きながらホームページ作りにハマって、「まずは自分のホームページを作ろう」と思い「オーナーズクラブ」と名乗ったサイトを勝手に立ち上げました。当時僕が乗っていたフォードトーラスを載せて「トーラスオーナーズクラブです」と書いていたら、日本からメッセージが来るようになり、みるみるうちに300人くらいのサイトになっていきました。人が増えるにつれ自分で機能を追加していき、掲示板プログラムを作ったり、IDパスワードをつけたり、完全に僕の実験場となりました。何回かサーバーを吹っ飛ばしたこともあります。

坂本:大学では、国際ビジネスの勉強をまだ続けていたのですか。

平野:アメリカの大学は途中で転校して、コンピューターグラフィックスに強い学校に行くことにしました。しかし、Web屋さんになるには何を勉強すればいいのかわからなかったので、「とりあえず考えつくものを全てやれば大丈夫だろう」と思い、デッサンから始めて写真やカメラ、フィルムの勉強をしたりもしました。

「僕がインターネットで受けた衝撃を、誰かに与えたい。だから僕はWeb屋さんになりたい」という、ただそれだけの思いで色々なことをやっていましたね。
 

日本に帰国してからアクアリングに入社

坂本:日本に帰ってきたキッカケは、何かあったのですか。

平野:学生ビザはまだあったのですが、卒業する年に親から「あなた、いい加減にしなさい。アメリカで一体何をやっているの?」と言われたのがキッカケです。親からしてみると、僕が何の勉強しているのかもよく分からないというのがあったんだと思います。それで、7年間のアメリカでの学生生活を終えて日本に帰ってきて就職活動をはじめました。

坂本:当時はWebの会社自体、そんなになかったんじゃないですか。

平野:2001年時点でWebを専業でやっている会社は少なかったです。そんな中いくつか就職活動をしている中で、偶然アクアリングを見つけました。当時の社長とその場で意気投合し、話が盛り上がりすぎて5時間くらい話し込んだのを覚えています。当時作っていたホームページを見ながら議論したのですが、無事面接に受かり働くことになりました。

坂本:IA(情報設計)をやることになったキッカケはありますか。

平野:入社当時の肩書きはディレクターです。僕はデザイナーではなく、ずっとディレクターになりたいと考えていましたので。そんな中で「Webという世界なら、どう伝えられるのだろう」を考えていたときに「これは、IAの分野だ」と気づきました。

ディレクターをやっていると、抽象的な話からはじまることが多く、言葉だけではお客様に伝わらないので、絵を持っていって説明をしていたのがワイヤーフレーム(画面設計書)です。勉強してワイヤーフレームを設計したわけではなく、説明するときに困ったからやりはじめただけです。ある解釈をカタチに落とすために、いろいろなことをしていた感覚です。

僕の中では、当時の社長がロールモデルでした。彼も現場を見ている人間で、IA(情報設計)をしていた人でしたので、とても良い刺激になりました。
 

専門学校の先生と、地域格差をなくす取り組みをはじめる

坂本:先生もやっていたという話を聞きましたが、キッカケは何かありましたか。

平野:2006年に名古屋に新しく専門学校ができたのがキッカケです。当時の担当者が名古屋にあるWeb制作会社3社に声をかけて「3社で先生を一人ずつ出し、1クラス持ってやりましょう」と声がけをしてもらったのです。そこで僕が担当したのが「Web基礎」の授業です。カリキュラムを当時の社長と一緒に作ったのですが、自分たちがいつも気にしてやってきていることを棚卸しするキッカケになりました。週に1回、土曜日の3時間ほど学校に教えに行き「現場で自分たちが試行錯誤しながらやっていることは何か」というのを常に考えるようになりました。そこで、色々見たり本を読んだりしました中で、IAの職務が自分の中で、すごくシックリきたのを覚えています。そのタイミングでIAと名乗ろうと思い、そこからずっと肩書きはIA(インフォメーションアーキテクト)です。

坂本:オンライン配信番組をやりはじめたのも、そのくらいでしたか。

平野:「IAチャンネル」を持ったのは2010年ごろですので、今からちょうど10年前くらいですね。東京の勉強会などで、色々な人と会って話すようになり、名古屋がすごく遅れていると感じました。「これは思っている以上に、地方格差があるぞ」と思い、地方格差を減らしたいと強く思うようになりました。情報格差はWebで情報を見ればいいだけですが、人の持っている温度感や想いは、やはり生配信でないと伝わらない。だから生配信にはこだわっていました。

当時、日本Web協会の「日本のWebを、地域も含めて活性化させましょう」という想いと、僕の地域格差に対する想いが一致したので、月に1回の配信で10回ほど配信する番組がスタートしました。同じ理由で、2014年には「UX JAPAN FORUM(UXデザインのコミュニティ)」を立ち上げています。「地方都市でやりましょう」ということを掲げ、第1回は名古屋、第2回は福岡、第3回は大阪、第4回は金沢と計4回ほど開催しました。現場の熱い想いを地方につれていくという目的がありましたので、地方という言葉が僕の中でどんどん強くなってきていた時期です。
 

Webは「夢がつまった、おもちゃ箱」

 郷:現在20代で若かったら、今何をされていると思いますか。

平野:当時の僕はインターネットに衝撃を受けたからここまでWebを追いかけてきたけど、今の時代に自分がいたら何に衝撃を受けるだろうというのは考えますね。当時僕が困ったことでも今はスマホが解決してくれることもあるし、よっぽどのことでもないと衝撃は受けないと思う。

でもやっぱり「Webって面白いよ」というのを20歳の自分に対しても言ってあげたいなと思う。まだ先が見えない中でも「あなたにとって、Webは当たり前のものだけど、夢がつまったおもちゃ箱だよ」と教えてあげたいです。そこで何か気づいてWebにハマってくれると思います。
 

Webの新しい文化をつくる

坂本:今のインターネットやWeb業界に対して、メッセージをお願いします。

平野:まだまだ先が見えない世界だと思います。僕の子どもたちは生まれたときからYouTubeを見て育っています。Webは今の時代、当たり前になって誰もが使えるものであるにも関わらず、まだ先が見えていません。これからさらに何か起こるかも知れないし、さらに楽しいことができるかもしれない。そこから新しい技術も生まれるだろうし、その技術に乗るコンテンツも増えてくるでしょう。まだまだ先も見えない、ゴールがない世界だと思います。 僕はインターネットに衝撃を受けて、Webの仕事をやるときの面接で「文化をつくりたい」と言ったんです。これからの時代、Webは人にとって不可欠になってくる、だからWebで文化がつくられる、そう思ったんです。Webは、文化をつくっていけるくらいのパワーを持っている「おもちゃ」だと思います。その「おもちゃ」を手にして僕たちは、これから何をしましょうと。そういうワクワクした心を持って一緒にやっていこうぜっていうのを伝えたいです。
 

この記事は、オンラインインタビューを抜粋して書き起こしています。インタビュー全編をご覧になりたい方、ぜひYouTubeチャンネル「Era Web Architects」をご覧ください。
Era Web Architects オンライン #8(ゲスト: 平野秀幸)
https://www.youtube.com/watch?v=yFjy8h5DQqI

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
・公式Youtubeチャンネル (https://www.youtube.com/channel/UClJ4OvlhOzkWwFhK-7NJ0CA)
・Facebookページ (https://www.facebook.com/Era-Web-Architects-100739284870438)

インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。