インターネットのリベラルな価値観に向き合っていきたい - 安藤直紀|WD ONLINE

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Era Web Architects プロジェクト

インターネットのリベラルな価値観に向き合っていきたい - 安藤直紀

Era Web Architects の今回のゲストは、Web 設計屋 ARCHIT の代表である 安藤 直紀氏。リベラルな価値観を持ちつつ、社会における自身の存在意義をつねに考えている方です。社会貢献の精神を自分のテーマとして掲げ、今も Web 業界を走り続けています。Web 業界に入ることになったきっかけや、安藤氏の思想を語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

安藤 直紀 プロフィール

Web 設計屋「ARCHIT」で、Web ディレクター・IA(インフォメーションアーキテクト) としてマーケティング領域などを担当。つねに「自分がアカウント」という意識をもっている。普通の会社が届かない超軽量のフットワークを活かしながら、仕事は基本的に断らないスタイルで活動中。コンセプト・ブランド・写真撮影・サイトを運用しながら、広告まで回していくこともある。


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パンク音楽のFanzine(同人誌)や音楽レーベルの設立…そんななかでWebに出会う

 郷:Webとの出会いについてお聞かせください。

安藤:15 歳のときからパンク系の音楽が好きでした。大学時代は、イベントをライブハウスで打ち出す裏方をやっていました。バンドにインタビューしたり、ディスクレビューとしてレコードの感想を書いたりしていました。
兄貴分だった先輩が Mac を買ったので、自分も真似して Power Macintosh 7100 を購入しました。建設会社に勤めて、初めてもらったボーナスを全額、それに遣いました。最初はなにをしていいかわからなくて、OSに標準で入っていたゲーム「15パズル」ばっかりやっていましたね(笑)。そのうち、DTP でパンク音楽のFanzine(同人誌)をつくるようになりました。Fanzineがコミュニティで好評になり、それで音楽レーベルも始めました。海外バンドを招聘したりもしました。
そんな活動をするなかで、インターネットにも出会いました。雑誌「MACLIFE」についていたCD-ROMでNetscape Navigatorを入れたのがはじまりです。

会社員の自分は甘ったれていた、格闘技が世界の厳しさを教えてくれた

 郷:最初の就職先にはいつ入り、その後にどのような経験をされましたか。

安藤:1994 年に大学を卒業して、建設会社に就職しました。そのうちに会社でも営業所に1~2台ずつパソコンが導入されるようになりました。見積書をつくったり数量計算の書類を出したりしていると、コンピューターを触るのがとても楽しくなってきて「これが当たり前になったのって、本当にすごい」と感動しました。Excel を CAD やIllustrator のように使って図面なども描くようになりました。Excelで自分が担当した工事の橋の断面図を描いてしまったりね。
 
しかし パソコンでがんばって色々な書類をつくるほどに、上司からどんどん嫌われていきました。理由は「1 人で作ってしまうと再現性がないし、工事書類のレベルを上げてしまうことで差がついて困る」というものでした。会社に自分の居場所を感じられず、ずっと重い気持ちを抱えていたまま過ごしていました。
そんなとき、たまたま出会った空手の達人に誘われて、空手を学びはじめました。空手をはじめて 1 か月半後に昇級試合に出され、対戦相手にボコボコにされました。頭のうちどころが悪かったのか、試合のあとにゲェゲェ吐きながら「このまま死んじゃうかも」と思いました。
ただ、このシビアな経験をしたことで、仕事に臨む姿勢が変わりました。格闘技の世界は、畳の上に立ったらもう相手と自分しかいない。誰も守ってくれる人はいない。会社員の自分は甘ったれていたと思いました。格闘技の経験は俺に「世界は厳しいのだとわからないといけない。他人に頼るのではなく、自分と向き合っていかなければいけない」と気づかせてくれました。
 

「クルートレイン・マニフェスト」が Web 業界への入り口になった

坂本:建設会社を辞めて本格的に Web 業界に入ったきっかけは、どのようなものですか。

安藤:ある本に出会ったことがきっかけです。俺の人生の核にもなっている本です。
時期はバブルが終わり、日本が本格的な不況に入っていました。建設業界も、国家予算がどんどん削られて、国土交通省が工事の発注予算を減らしたことで、ひとつひとつの案件の発注単価も下がっていきました。俺自身も、会社の将来に明るいビジョンがもてなくなっていました。
その時に、たまたま本屋で見つけて出会ったのが「クルートレイン・マニフェスト」という本でした。今までの市場は「企業が売る側」で、それを民衆はただただ受け入れるしかなかった。それに対して、「クルートレイン・マニフェスト」は「インター ネットによって世界に革命が起こり、人々が対話を始めて、みなが対等になる」と書いてありました。
2020 年の今は、これはインターネットで当たり前の価値観です。しかし、2001 年にそんなことを言う人は一人もいなかった。ものすごい衝撃でした。Web2.0という言葉もないころです。「クルートレイン・マニフェスト」にはすでに書かれていたのです。
この本を読んで「俺は変わろう」と思った。Web 業界を目指すきっかけになりました。

デジハリで Web の勉強をしながら就職活動しアークウェブへ

坂本::デジハリ(デジタルハリウッド)にはいつ入って、何を学んでいたのですか。

安藤:2002 年にデジハリに入学しました。ちょうどWebプロデューサーコースがリニューアルされたところで、俺はその 1 期生でした。
学んだのは、Web プロデュースや制作進行の方法です。建設会社でいうところの現場監督と似ていたので、プロデューサーやディレクターの講師の話を聞きながら「この道なら、自分でも転職できるかもしれない」と思っていました。
失業保険をもらいながら、デジハリでインターネットのことを勉強しました。保険が切れたあとは、光通信系の会社で ADSL のモデム配りのバイトをしながら食いつなぎました。Web 業界にむけて就職活動をして 30 社くらい落ちた後に、アークウェブに採用していただき、無事に転職を果たしました。
 

マイノリティの人たちの SNS をつくるが挫折する

坂本:安藤さんはアークウェブに 3 年ほどいらっしゃいました。アークウェブでどのような活動をされていましたか。

安藤:アークウェブに在籍していたとき、俺の尊敬していたアークウェブの副社長(当時)の中野 宗さんが本をまとめると言ったので、共著として一緒に書かせてもらいました。技術評論社から出版した『Web屋の本 ― Web 2.0,ビジネスサイト2.0,Web屋2.0』という本です。中野さんは本当にすごかった。当時Web2.0のことを本当に理解していたのは、中野さん以上にはいなかったんじゃないかな…。この書籍で技術評論社の馮さんとも知り合いました。
このころ、坂本くんとも出会います。じつは坂本くんをブレイクさせたのは俺じゃないかと思ってる(笑)。俺が運営にかかわっていたWebSig24/7というコミュニティで、IA(情報アーキテクチャ)勉強会をしたんです。講師として坂本くんにしゃべってもらった。CSS Niteの鷹野さんが見にきていて、それをきっかけに坂本くんがCSS Niteに登壇するんです。そこから坂本くんが一気に有名になっていく。

坂本:そうだったんだ(笑)。

安藤:それから、俺はもともとリベラルな価値観を持っていて、アークウェブにいるときにゲイの方専門の SNS「RainbowJam」をつくりました。俺自身はゲイではなくアライ(LGBT を理解し支援するヘテロセクシャル)なのですが、マイノリティの人たちを救うのにネットの力を使えるのなら、こんなすごいことはないと思ってやりはじめました。
アークウェブを離れることになったときにも、退職金代わりにこのサイトを引き取りました。 2008年に独立してARCHITを立ち上げました。独立後も SNS を運営していくのですが、ゲイの方たちのコミュニティには抵抗感をもつ人たちもいて、そうした対応も非常に大変でした。それから日本でやるのは色々不都合と思えるやりとりもあって、「このまま続けていくのは大変だな」と思うようになりました。
アークウェブを離れたことで、開発をしてくれるプログラマーも探さなければなりませんでした。 また RainbowJam には、マネタイズ(サービスの収益化)する方法がなかった。広告を出してくれる人を探すために、新宿 2 丁目にも足を運んでいました。けれども「そもそも SNS とは?」「広告? 何を言っている?」などから始まって、「あなたノンケなのに、なんでこの世界に入り込もうとしているの?」とも面と向かって言われました。
あと最大の問題が、ネットワークの負荷でした。最初は NTT コミュニケーションのサーバーでやっていたのですが、それもキャパシティが足りなくなりました。さらに高いグレードのサーバーを借りなきゃいけない。ネットワークの負荷が高くなりすぎて応答が返ってこず、管理者である自分すら管理画面にアクセスできないということまで起こりました。 協力者にお金を払ったり、サーバーも増やしたりしてトライ&エラーを繰り返していたのですが、200 万ぐらいの赤字を抱えたところで、心が折れて閉じることにしました。
 

俺らはたくさんの自由を獲得しすぎて、その自由をを持てあましている

坂本:いまのインターネットにかかわる人たちに、安藤さんからメッセージはありますか。

安藤:ぜひ、いま俺が考えていることを伝えたいと思っていました。インターネットの歴史をひもときながら、説明します。
人間の歴史は制約からの解放の歴史です。制限から自由になることを繰り返して、2020年のいまの俺たちにつながっています。インターネットもそれがあてはまる。
1994 年にインターネットが登場して、印刷文字の制約から解放されたり、地理的な制約から解放されたりしました。俺らが Web サイトを持って情報発信をすることで、支配的な存在に押しつけられる価値観からも解放されました。Wikiができたことで、誰もが情報を書き換えられ、支配階級の定義した知識ではない、知恵の民主化がされるようになりました。
そしてソーシャルメディア。物理的に一度も会っていなくても、知り合いになれるようになりました。郷くんと俺が物理的には一度も会っていないけれど知り合いになれたようにです。これは物理的な空間からの解放です。
IoT により、人間が働かなければいけない労働もどんどん減っていくでしょう。労働からの解放です。仮想通貨によって、国家と貨幣が切り離される、という解放もあります。自動運転で事故が起きないようにできれば、移動による死亡リスクからの解放も、理論的には可能になってくるでしょう。
そしてアバターにより肉体からも解放されると思っています。たとえば俺が日本人の男という身体を離れて、インターネットでは別の人種や、別の動物にもなれる。
インターネットがはじまって以来、解放される能力が加速度的に増えていると感じています。俺が気づいていないだけで、他にも解放されたものがあるはずです。自由の獲得が進んでいるのです。
その結果として、俺らはたくさんの自由を獲得しすぎて、その自由を持てあましている。自由を得ているのに、そのポテンシャルを本当に生かしているのか。まだまだ解決しなければならない社会的課題はあるのに、獲得した自由でそれを解決することができていない。たとえば「貧困」という社会問題に、俺らはまだ決定的な解決方法を見つけることができていません。
Web を生業にする人たちは、獲得した自由で何を為すのかという課題をつねに意識しておいたほうがよいでしょう。
 

正しい情報がわからない Web の世界ではファクトチェックが重要になっていく

安藤:もうひとつ、インターネットならではの課題についても提起したいです。それは情報の「正しさ」を担保することについてです。
たとえば、今回のアメリカ大統領選挙。みんな自分がひいきにしている候補に都合のいい情報ばかりリツイートして拡散している。その情報が事実であるのかどうかということと、好き嫌いとを、混同してしまっている。
ひとつインターネットで有名なミーム(口コミ)を紹介します。トム・ソーヤーの冒険を執筆したマーク・トウェインという小説家がいます。彼の言葉とされているものに「もし投票によってこの世が変わるのなら、為政者は我々に投票などさせないだろう」というものがある。
「かっこいい、さすがマーク・トウェイン」と思ってしまうけれど、じつはマーク・トウェインはこんなこと言っていない。嘘なんです。だけど「彼ならなんとなく言いそうだよね」というイメージで、確認もせずにみんなが広めてしまった。嘘が真実として広まってしまった。
もうひとつマーク・トウェインの名言があります。「嘘というものは、真実が靴を履いている間、地球を半周は旅することができる」というものです。この言葉はマーク・トウェインが本当に言ったことです。この言葉ひとつに「どこに根拠があるのか」「いつ・どこに書かれていたのか」までの証拠があることがわかっている。
いまのインターネットでは、情報の正しさをみんなで見つけていくことが重要になっている。今後、ファクトチェック(情報の事実や正確性の確認・検証)のしくみが伸びていくだろうし、みんながファクトチェックに協力していかないといけない。
海外ではすでにファクトチェックのサイトや組織が 100 個ほどあるそうです。日本でも楊井 人文さんというジャーナリストが中心になってはじめたファクトチェック・イニシアティブ(日本でファクトチェックの普及活動を行う非営利団体)のような組織も出始めています。
もし今後に自分が力を注ぐのであれば、ファクトチェックの分野を推進したい。みんなも取り組んだほうがいいと思っている。いまのインターネットはその力をコントロールできていない。自分たちの得た自由で、自ら暴走しています。すくなくともWeb の仕事で生きている人には、「この世界を正しく機能させる」という気概を持っていてもらいたいと願っています。
 

インターネットを使って世界を良くすることに「yes」と言える仕事をしたい

:安藤さんがいま 20 歳だったら何に取り組んでいるでしょうか。そして今の世界は安藤さんの目にどう映っていると思いますか。

安藤:いま俺が 20 歳だとして、やっぱりリベラルなところ、人間の自由や権利といったもの、そういったものを取り扱うところに邁進していると思います。リベラルでいることは俺の軸であり価値観です。
ファクトチェック・イニシアティブで、一緒に協力しながら働いているかもしれない。あとは俺がいま好きな Q&Aサービスで「Quora」という質の良いサイトがあるので、そこで働きたい。インターネットを使って世界を良くすることに「yes」と言える仕事をしたい。
 

後続の糧となるその日のために、後続を支えられる背骨をつくっておいてほしい

 坂本:今の Web 業界や若い世代に対して、メッセージをお願いします。

安藤:スヌーピーの漫画に「若いころはわがままを言ってもよい。けれどいつかあなたも色々なものを背負うときがくる」という1コマがあります。色々な人が頑張って積み上げてきたものがつながって、2020 年があります。いつか自分も後続の糧になるときがくる。その日のために、後続を支えられる背骨をつくっておいてほしい。社会に対する責任を果たしていきましょう。
 

 

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。
STAFF:羽山 祥樹(編集・監修)


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
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インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。