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Era Web Architects プロジェクト

Webの「新しい可能性」をともにつくり上げていきたい ― 足立健誌

Era Web Architects の今回のゲストは、Web活用コンサルティング・中間管理職・モデレーターと多くの場で活躍中の 足立 健誌 氏。キャリアアップを繰り返しながら長い間Webと関わり続けてきました。さまざまな人と出会い、つながっていったその経緯を語っていただきました。
(聞き手:坂本 貴史、郷 康宏 以下、敬称略)

足立 健誌 プロフィール

Webとは20年以上の切っても切り離せない関係。現在はイントリックス株式会社で、BtoB企業のWeb活用コンサルティングを請け負う中間管理職。そのかたわら、WebSig24/7のモデレーターとしても活躍中。つねに熱意をもってWebと向き合い、幅広い人とのつながりから、ともにコミュニティをつくり上げている。

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何十キロと遠く離れた大学から届いたテキストメッセージに、感動とワクワクが押し寄せてきた

坂本:Webをやり始めたきっかけや、当時のことを覚えていますか。

足立:Webをやり始めたのは、Windows 95が登場した次の年の1996年。大学のパソコンルームで触ったのがきっかけです。
大学は一人一個メールアドレスをくれました。UNIXのコマンドを使ってメールを送ったら、他の大学の友達から返事がきました。何十キロと遠く離れた大学から届いたテキストメッセージを見て、感動とワクワクが一気に押し寄せてきたんです。
そこから、同じ大学のサークルのメンバーや、インカレサークルの人たちとメールのやりとりをするようになりました。
夏休みに入ると学校に行けないので、メールを見たさにMacのPerforma(アップルが90年代に販売した廉価機種)を買いました。家からWebにつながるようになると、BBS掲示板を徘徊したり、ICQ(インスタントメッセンジャー)をやったり。見よう見まねで「Welcome to 足立健誌」というHTMLを書いて、ホームページをつくりました。
具体的なホームページのつくり方は、ホームページ制作のアルバイトで覚えました。原稿と写真を渡され「こんな風につくってみて」と言われて、手打ちのテキストエディタで試行錯誤しながらやっていました。
 

キャリアのスタート地点は小さなWeb制作会社

 郷:Web業界への本格的なキャリアには、どういうルートで進んだんでしょうか。

足立:日本の大学を卒業したあと、デザインの勉強をするために、2年半ほどアメリカに留学しました。留学するときの僕は漠然と「広告やデザインに関わることを学んでいれば、きっとWebの仕事につながっていくだろう」と考えていました。
実際にデザインの勉強をしてみると、思っていたのとまったく違っていました。デザインは幅広く、ぼんやりと取り組むのではなく、やりたいことに狙いを定めなければ、突き詰められない。デザインを学んだ経験をもとに、もう一度志望をWebに絞り直して、仕事を探しました。
地元の大阪に帰って、Web制作会社(エクスポート・ジャパン株式会社)で働き始めました。最初の仕事は小さなバナーづくりからでした。
その次は5~10ページほどのホームページをつくりました。仕事をひとつこなせるようになったら、また次の仕事をもらう。社内には先輩もいなかったので、手探りでいきなり打席に立ちつつ、ひとつずつ覚えながらやっていきました。
1年半か2年くらい経って、ディレクターになりました。当時の周りの人たちはみんなデザイナーや実装者を目指していたので、競争相手が少ないディレクターに行こうと思ったんです。Webサイトづくりを取りまとめることも楽しかったし、勝算もあったので、ディレクターとしてやっていくことにしました。
 

苦労もあったがWebに関われていることが嬉しかった

坂本:先輩がいないなかで、どうやって学んでいったんですか。

足立:失敗から学ぶ、という感じでした。ネットから情報を探したり、基本的に自己解決で調べてやっていました。ですから、本当にぜんぜんうまくいかなかったです。ディレクションの仕事も「これはどうしたらいいんだ」と頭を悩ますことばかりでした。
ただ、苦しくはありましたけど、楽しかった。Webの仕事に関わりたいという気持ちがずっとあったので、それを出来ていることに満足感がありました。試行錯誤しながら、少しずつできること増やしていきました。
 

東京で自分と同じ悩みをもっている人たちと出会う

坂本:東京には、どのような経緯で出てきたんですか。

足立:2006年に、勤めていたWeb制作会社が東京進出することになり、そのタイミングで一緒に僕も引っ越しをしました。情報や友達が欲しかったので、東京で勉強会やセミナーに参加して、Web業界の知り合いを増やしていきました。
大阪にいたときは、Web業界のイベントで講師をする人や、本を出版するような人は、神様のような存在だと憧れていました。すべてを経験していて、何でも知っている人たちだと思っていました。
東京で勉強会に参加するようになって、懇親会に行って、そういった人たちと話をするようになりました。実際に話してみると、彼らもおおよそ僕と同じような悩みや課題をもっていました。皆さん色々な経験をしていくなかで、苦労しながらあれこれ試行錯誤している。それが垣間見えて、僕も胸を張って仕事に取り組めるようになりました。
 

「Webサイトをつくるだけ」に対するもどかしさ

坂本:その後、サイエントに転職されます。大阪のWeb制作会社から、どのような変化があってサイエントに至ったのですか。

足立:サイエントに転職した理由は「Webサイトをつくるだけ」という仕事に、引っ掛かりを感じていたからです。Webサイトは課題解決ツールです。お客様との方向性がズレると、どれだけ良いものをつくってもダメです。きちんとWeb戦略の整理からやらないと、本当に意味のあるサイトにはできない。それを丸ごと経験できるのがサイエントだったので、2007年に転職しました。
サイエントはWebサイト制作の上流工程、いわゆる「戦略フェーズ」をやっている会社だったので、ビジネスの課題整理や、サイト全体の設計など、狙った通りの仕事ができました。
他方で、サイエントに入社して、「こんな仕事もあるんだ」と驚いた部分もありました。
大企業になると、Webサイトは一個だけではなく、何十、何百個も所持します。そのうちの一個だけ改善しても、残りがすべてダメだったら、会社の課題はまだ留まっている状態です。全体を解決しないといけない。そのような問題を俯瞰的に捉えるために、お客様の本社のコーポレート部門から、事業部や海外サイトもすべて含めた「サイト群の全体を見る」というテーマを掲げたのが、僕が所属していた部門でした。
お客様の会社の全体を見渡さないと解決できない。そういう仕事があるというのは、サイエントに入ってから初めて知りました。
 

グローバルカンパニーで得意の英語を活かす

坂本::サイエントを辞めて、日立製作所に移ることにした理由はなんでしたか。

足立:リーマンショックの影響で、仕事がだいぶなくなっていたのが理由の一つです。加えて、発注側で仕事をしてみたいという思いがありました。
サイエントでは、お客様と会議でさんざん議論してつくった戦略が、いざ始めると前に進まないということもザラにありました。それだったら自分がなかに入って、推進したほうがいいんじゃないかと考えました。
そういう思いを抱いていたときに、日立グループのWebガバナンスを統括するチームの、元サイエント出身の人から「一緒にやらないか」とお声がけしていただきました。日立製作所はグローバルカンパニーなので、僕が英語を駆使して海外の現地法人とやりとりできるところに目をつけたのです。
グローバルカンパニーのWebを統括するポジションに入れる。そんなチャンスはなかなかないので、千載一遇と思って「ぜひ!」と返答しました。
 

海外に日本のWeb施策を打ち出していく

坂本:日立製作所に転職してからは、どういうチャレンジをされたんですか。

足立:日立製作所ではWebガバナンスチームに所属しました(在籍は日立ICC)。僕のメイン担当は、海外とのコミュニケーションでした。アメリカなどの海外現地法人の担当者と、Webサイトの方針や方向性が日本とズレていないかをすり合わせて、予算の承認のためにドキュメントのやりとりをしていました。
Webガバナンスチームの時は、モノづくりをほとんどやってなくて、コミュニケーションをして、方針の社内調整役に徹していました。実際に施策を実行する海外の人たちに方針を伝えて、メールやWeb会議をつうじて彼らの意見も取り入れながら、具体的にWebサイトに落とし込んでいきました。出張をして、直接現地に行ってディスカッションすることもありました。
大企業で働いて実感したのは、方針転換や新しい施策を始めることの大変さでした。僕の上司や、さらにその上の本部長まで、皆に合意してもらわないといけない。ときには横でつながる事業部やグループ会社の人にも了承してもらわないといけない。それぞれの立場によって、役割範囲も、使える予算もぜんぜん違っています。話をまとめることすら難しかった。
 

20年間ずっと手探りで壁にぶち当たりながらWebと関わってきた

坂本:日立製作所を離れてから現在まで、イントリックスで働いています。変わるきっかけはなんだったんですか。

足立:キャリアを重ねて、色々な規模の会社で働いていくうちに「小規模な会社の方が性に合っているな」と感じてきたからです。役割が決まりきっていないなかで働くほうが、縛りもなくて、僕には合っていると思いました。
もう一つのきっかけは、日立製作所で働いて、発注側の中の事情が分かりました。そのうえでもう一度、受託側に戻って、違う視点からWeb制作を見てみたかった。
ここ20年間は、Webの状況やツール、仕事のやり方も、どんどん変わっていった時代でした。僕もつねに手探りでWebと関わって、壁にぶち当たりながらやってきた20年間でした。
 

人生の半分は人とのつながりが大きく占めている

 郷:現在までのキャリアを振り返って、環境の変化や印象の強かったエピソードがあればお聞かせください。

足立:僕の人生にとって大きい要素として、人としてのつながりがあります。東京にある「WebSig24/7(ウェブシグ・トゥエンティフォー・セブン)」という勉強会にしょっちゅう顔を出していました。そこで色々な人とつながれたのが一番大きいです。
友達から開発合宿に誘われたり、ハッカソンに一緒に連れていってもらったりしました。動画関係の本の執筆を一章だけ担当させてもらって、出版したこともありました。
そのあとWebSig24/7の運営メンバーに入れてもらいました。面白いイベントをたくさん企画して、実施しました。
人が人を連れてきて、色々な人と知り合いになれて、たくさんのお声がけやご縁、プロジェクトに参加させてもらいました。仕事以外の活動で得た充実度は、僕のなかで幸福感や満足感の大きな部分を占めています。
 

リアルな課題をWebを使って解決していきたい

 郷:もし足立さんがいま20代だとしたら、何をしたいですか。

足立:僕がいま20代だったら、Webをつくるよりも、リアルな課題をWebで解決するほうに関わっていきたい。
僕が20代なら、当たり前になったWebを使って、リアルな課題をどうやって解決していくのか、実体験から学んでいきたいです。 企業のなかでいちばんお客様に接している人たちが、何に困っていてどんなことをしているのか。もちろん本を読んだりして多少の知識はあるんですけど、それでは計り知れない本当にリアルな課題や経験がたくさんあると思っています。
そう考えると、自分がいま20代だったら、WebをつくるよりもどうWebを活かしていくかというほうにいくと思います。まだWebは未開の領域で、やり尽くされていないところがたくさんある。好奇心をもって未開の領域に切り込んでいって、リアルな課題を解決していくほうが、ワクワクします。
 

これからもWeb業界のサポーターとして人を支えていきたい

坂本:Web業界の成り立ちから関わってきた足立さん。Web業界で働いている人たちに向けて、メッセージをお願いします。

足立:この20年間のインターネットやWeb業界は、人間に例えるなら「生まれてから成人になるまで」の期間なんです。Web業界はようやく社会人一年目、という感じだと思います。
Web業界はこれからどんどん変化して、大きく伸びしろを見せてきます。そのときに、Web業界で経験を重ねてきた人たちが、どんどん新しいことをやっていくのが大事だと思います。
僕は、自分のことをWeb業界を支えていくサポーターだと思っています。この記事を読んでいるあなたとご縁があったら、Webやインターネットの新しい可能性を一緒につくることができたらいいな、と思います。
 

Era Web Architects プロジェクトとは

『Era Web Architects』プロジェクトは、発起人の坂本 貴史を中心に、インターネット黎明期からWebに携わり活躍した「ウェブアーキテクツ」たちにフォーカスし、次世代に残すアーカイブとしてポートレート写真展を企画しています。
公式YouTubeチャンネルでは、毎週ひとりずつ「ウェブアーキテクツ」へのインタビューをライブ配信しています。本記事はそれをまとめたものです。
STAFF:韓 臣恵 (ライティング)、羽山 祥樹(監修)


・公式ウェブサイト (https://erawebarchitects.com/)
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インタビュアー プロフィール
坂本 貴史(『Era Web Architects 』プロジェクト 発起人)
グラフィックデザイナー出身。2017年までネットイヤーグループ株式会社において、ウェブやアプリにおける戦略立案から制作・開発に携わる。主に、情報アーキテクチャ(IA)を専門領域として多数のデジタルプロダクトの設計に関わる。著書に『IAシンキング』『IA/UXプラクティス』『UX x Biz Book』などがある。2019年から株式会社ドッツにてスマートモビリティ事業推進室を開設。鉄道や公共交通機関におけるMaas事業を推進。

郷 康宏(『Era Web Architects』プロジェクト オンライン配信担当)
2010年以降、ビジネス・アーキテクツ(現BA)を経て本格的にWebの世界へ。2015年までネットイヤーグループ株式会社において、コンテンツの作成からリアルイベント実施、SNSやWebサイトの運用まで幅広く手掛ける。2016年よりKaizen Platformにてクライアント企業の事業成長を支援。肩書は総じてディレクター。

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