2019.02.21
特別企画 [PR] Web Designing 2019年4月号
未来像を叶えるために必要なスキルを求めて わたしたちのターニングポイント
漠然と「クリエイティブ職に就きたい」と考えていた小林拓也さんは、大学生時代にスポーツ写真撮影や広報誌のデザインなど、さまざまな経験を積んでいた。卒業後も、ビジュアルデザイン会社に就職したものの半年で退職。デザインの現場で模索を続けた先に、自身の思い描く未来像に必要なものが見えてきた。
Photo:五味茂雄(STRO!ROBO)
なりたい職業を模索する日々
「クリエイティブ職に就きたいという思いはあったんですけど、具体的に何になりたいかというのが、まったくわからなかったんです」
絵本コレクターのご両親の影響で幼少期から絵や配色に興味を持っていたという小林拓也さんが、そう思うようになったのは大学2年生のときだった。
「きっかけは、スポーツ写真撮影のアルバイトです。それは、甲子園などのスポーツ大会で選手の集合写真やスナップを撮るというものでした。写真を通して、頭の片隅にあったクリエイティブへの興味を意識するようになって…」
その後、約1年間アメリカへ留学し、帰国後はアメリカ大使館報道局のインターンとして雑誌や映像のデザインを手がけた。
「大学のゼミでは国際社会学を専攻していたこともあり、海外で働きたいという気持ちもすごく強かったんです。だから、就職活動を始めるときには、クリエイティブよりも海外という方向に頭をシフトさせました」
しかし、就職面接で小林さんが聞いたのは、気の遠くなるような現状だった。
「某グローバル企業で、君が入社したとして海外に行けるのは16年後くらいかな、と言われたんです。そのときいくつなんだろうと思って、そこで就職活動を一旦やめました」
自分はいったい何になりたいのだろうか。改めて向き合ったとき、頭の片隅に追いやった「クリエイティブ職に就きたい」という思いがふたたび湧き上がってきた。
「若いうちはいつでもスタートを切れると思い、25歳まで自分の好きなことをやろうと決めたんです」

つくれる人になる
大学卒業から半年後、小林さんは実際にクリエイティブ職に就いた。
「ちょうどビジュアルデザイン会社の求人があり、応募してアシスタントプロデューサーとして働き始めました。実際にクリエイティブの仕事現場に入ってみて気づいたのは、プロジェクトの中枢には必ずデザインができる人間がいるということです。自分の思い描くクリエイティブな仕事をしていくためには、“つくる経験”を積む必要がある。そう確信して、改めてデザインを学ぼうと思うようになりました」
会社は半年で退社。デザインのスキルを身につけるべく、東京デザインプレックス研究所で1年間、グラフィックやWebをはじめとするデザインを総合的に学んだ。
「理論ばかりでなく実践的に学びたかったので、この学校を選びました。授業では、プロのクリエイターである先生に、『こういう時にディレクターはこういうマインドで働かないといけない』『ディレクターの言葉に対してデザイナーはこう反応すべき』といった現場での共通認識まで教えていただいて。それが実際の仕事で、すごく役に立っています」
同校の卒業からほどなくしてデザインコンサルティングファーム(株)A.C.Oへ入社し、小林さんは今、WebサイトのUIデザインやコンペでのプレゼンなどを手がけている。
「心掛けているのは、自分たちのつくったサイトで、クライアントの待つ企業価値を引き出していくことです。実際に、その成果が目に見えると嬉しいですね。大変ですが、やりがいは大きいです」
多くの模索から導き出した未来像に向かい、小林さんは歩き始めた。

大学時代に約1年間、アメリカのカンザスシティ・ミズーリ州へと留学していた。現地の友達と進路の話などをしていて、アメリカ人の気質が自分に合っていたと感じたことから、小林さんはアメリカで働きたいと思うようになったという。また、カリフォルニアのGoogle本社に訪れたことも、海外で働きたいと考えるきっかけとなった

東京デザインプレックス研究所に通い始めて3カ月目で制作した、グラフィックデザイン修了作品。小林さんは、この短期間で、デザインのコンセプトや作品をつくれたことに驚いたという。授業では、デザインの実技とビジネスでの実現性を絡めて作品を構想するという大変さがあったが、実際に働き始めて、このときの経験が活きている

現在の会社では、Webサイトのデザインをてがけている小林さん。コンペにも参加し、プレゼンテーションを行った際に手応えを感じたという。今後は、プレゼンスキルもストロングポイントにしていけるよう経験を積みたいとのこと。海外企業の案件を担当することもあり、いずれは海外に拠点を置いて活躍したいとも話す
企画協力:東京デザインプレックス研究所