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昔の名人戦の記事

2014.06.10 | 国沢健一

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こんにちは。将棋世界の国沢です。

 
先日、古い将棋世界の記事を読んでいたら、こんな写真を見つけました。
 

 
大山康晴名人に升田幸三王将九段が挑戦した昭和32年の名人戦開幕局。加藤治郎会長が立会人として、宮坂幸雄四段が振り駒をしている、特にどうということのない写真に見えます。


 
しかし、キャプションを読んでびっくり。

第一局目の封じ手を決める振り駒は宮坂四段から白布の上えに飛ぶ。立会の加藤会長(右)大山名人、升田王将九段、記録の宮坂四段(左端)四人の眼はその上に……。歩が三つ、名人の封じ手に決まる。東京「初波奈」にて。
 
 
え、封じ手って振り駒で決めるの!?


 
本文を読むと、
 
 次の手を大山が考慮中、午後六時の振りゴマの時間となる。
 対局室では宮坂四段が立つて双方の盤面から五歩をとり、「振り歩なら後手番封じ手」と告げて白布の上に投げる。例年タタミの上に直接投げていたのを、今年から白布を敷くことに改めたのは、だれの発案か知らぬが、名人戦の品位の上からもよいことだつた。
 パラリと白布の上にまかれたコマは、歩が二枚、と金が三枚と出て大山の封じ手番ときまり、二十三分で大山次の一手を封じ、封筒を立合の加藤会長に渡して第一日を終る。
 
とありました。知らなかったのでちょっと驚きました。まあ、あとでウィキペディアを見たらちょっと書いてありましたが。

世が世なら「80へぇ」くらい取れません?
え、無理だって?