当たり前のことを当たり前にやる|MacFan

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当たり前のことを当たり前にやる

文●編集部

現在発売中の8月号の第2特集「iPad導入 成功のシナリオ」が好評です。漁業、畜産業、林業、旅館業…等々、これまでPCによるコンピューティングがうまく行き届いていなかった場所におけるiPad導入事例を取り上げたのですが、そのどれもが自分には関係のない業種だけど、記事を読んでみると自分の働き方について考えさせられる、と先日お褒めの言葉をいただきました。iPadを導入すること、つまりモバイルの本来の価値とは常に必要な情報にアクセスできることですから、それによってどのように働き方が変わるのか、その部分がもっとも重要なわけです。そして、その前提としてもっとも肝心なのは、「現状を変えようという意思があるかどうか」だと、取材をしていて改めて思った次第です。

本誌巻頭コラムを執筆していただいているNobiさんこと、林信行さんのフェイスブック上にある30個くらいのプロフィールから、その一部を勝手に使わさせていただくと、「子供の頃持っている『本当はこの方がいいのに』の感覚が、大人になるにつれ『だけど、仕方がない』に変わってしまうことが多い。その多くは20世紀の不器用な技術や不器用な社会の仕組みが原因。今の技術や新しい発想なら変えられる可能性があります。でも、社会を変える人たちの発想が「仕方がない」に縛られていると、世の中はいつまでも変わらない。そこを子供の心を持つ仲間や、それを可能にする技術と一緒に変えていくのが仕事と思っています」。

今回のiPad導入の特集記事で取材させていただいたどなたも「仕方がない」に安住せず、「この方がいいのに」を所望する人たちでした。「今の状態をなんとか変えなくてはならない」「こうしたらもっと仕事はよくなる」という実に自然な気持ちがiPadを必然のように迎え入れ、従来の不器用な枠組みから解放した。iPadは彼らにとって特別なデバイスではなくて、「当たり前のことを当たり前にやる」ためのもの。実際のところ、それがiPadかどうかなんて全然関係ないわけです。どんなツールも使う人次第、大事なのはマインドです。

そう書きながら自分の仕事を思い起こしてみると、当たり前のことを当たり前にやる、が果たしてできているかどうか…。nobiさんのいう「不器用な技術や不器用な社会の仕組み」が原因で、複雑怪奇にねじ曲がった「仕方がない」が跋扈する現実で、いつの間にか当たり前がすっとんでしまっているような、そんな不安を感じずにはいられません。皆さんはいかがでしょうか? 当たり前のこと、できていますか?