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ゴルフのおかげで、旅、友、嬉し涙 四の旅 感動 ~ミケルソンからお先にどうぞ~

【第1回】ミケルソンと一緒にいられるとは ~アイルランド~

2017.04.28 | 鈴木康之

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 2001年のアイルランド旅行は全英オープンの前の週だった。東海岸から西海岸へ移動して2日目、私たちはバリーバニオンにいた。

 はじめの数ホール、場外右手に進出している工場群によって風景が壊されているのに驚かされたが、6番で海辺の砂丘に出るやリンクスの醍醐味に飲み込まれてしまった。樹木はなく、フェスキューに覆われた大きなデューン(小山)の群の中に迷い込み、平衡感覚を失ってふらふらし、酔ってしまった。時折デューンの合間から見える海の水平線が正しい天地左右を取り戻す唯一の頼り。水平線が見えなかったらグリーンのアンジュレーションなどとても読めるものではない。聞いてきた通りやはりバリーバニオンは類まれなリンクスの特性に恵まれたアイルランドの代表的なコースであった。

 崖の上にある。地肌を海水と海風による侵食から守る運動70年代後半に始まって、このリンクスコースの至宝が保たれているのだという。何ホールかで「ああここだな」とこれまでに写真集や雑誌の写真で何度も見て覚えてしまった絵に出会った。来たことはないのに初めてではないような、デジャヴュ(既視感)に襲われた。

 

 

 インに入って、ときどき私たちから少し離れたデューンに数十人の人だかりがするのに気づいた。キャディが「後ろをフィル・ミケルソンが回っているんだ」と言う。

 この年のアイルランド旅行は関西の友人夫妻との四人旅だった。じつは朝、クラブハウスへ着いてレセプション(フロント)に立つと、いきなり横から「ようこそ、ミスター&ミセス・スズキ」という男の声がした。見上げると私が数年前から頼んでいるスコットランドの旅行エージェンシーの担当者、バリー・ヒンドではないか。得意客なのでわざわざ飛行機で飛んできてケアをしてくれるのかと思った。が、そうではなかった。その週、ミケルソンたちがアイルランドで練習ラウンドをする、そのコーディネーションをバリーが受け持っていたのだった。

 テレビを通じてのことだが、フィル・ミケルソンは表情と態度にもっとも好感を持っているプロの1人である。プレスリーの熱狂的なファンであるワイフは同類の美男子ということもあって容貌でもファンである。

 キャディに言われて、いま同じバリーバニオンで一緒にゴルフをしているのかと思うと、妙に嬉しくて落ち着かなくなった。

 私たちは18番パー4のグリーン横で待つことにした。打ち上げのホールなのでよく見える。2組が大勢のギャラリーを引き連れて上がってきた。前の組がビリー・メイフェアとここのメンバーたち、後の組がミケルソンとここのメンバーたちになっていた。

 両選手とも18番グリーンを終えると、同伴のプレーヤー、それぞれのキャディ、さらにはグリーン脇に立つここの役員らしき人物たちと握手をする。グリーン上で6人と、グリーンサイドでも5、6人と、しかもそれぞれと何かしらしっかりとした会話も交わし、頷き合ったり、腕を叩いたりしている。ミケルソンと地元ゴルファーとの挨拶の儀式は数分間に及んだように思う。こういう風景はいいものだ。グリーン上でスコアカードを覗き込んで書き込みながらだらだらと歩いていく、わが日本の前の組の風景とは天と地との差。見ていて楽しい風景だ。

 私たちはクラブハウスへ入った。階段の踊り場から食堂のある2階にかけての壁面は記念すべきプロたちのおよそ数十点の写真額でいっぱいだが、その大半はトム・ワトソンの写真である。ワトソンはリンクス好きで、とりわけアイルランド・リンクスが好きで、なかでもここバリーバニオンがお気に入りなので、倶楽部のほうもワトソンに最大級の尊敬の意を表しているわけである。ミケルソンもやがてワトソンのレベルで歓待される米国人ゴルファーになるのだろう。

 

 

 私たちはその階段を上がって食堂に入った。ギネスを一杯やっていると、ご一統様が上がってきて私たちのテーブルに緊張感が走った。しかし、ご一統様はぞろぞろと食堂脇の通路を通り、奥の別室に入った。彼らの90分ペースのランチが始まったのである。

 私たちはランチをゆっくりとってから、この際ミーハーになって下のロビーで待つことにした。さらにしばらく待たされた。ワイフたちは待ちきれずにこの間にトイレに行くことにした。ところが彼女たちが立ち去ると入れ違いにビリー・メイフェアが階段を下りてきた。

 目が合ったので挨拶の声を掛けると、この人がたいそうな好人物で「はるばる日本からようこそ」「楽しんでますか」などと気さくに話しかけてくれた。それは思いがけないことで嬉しかったが、少し遅れて数人の人と下りてきたミケルソンが通り過ぎてしまわないか、それが心配になった。ところが、好人物は「フィル」と呼びかけ、「日本の友だちを紹介するよ」と言ってくれたのだ。

 するとこちらもまたいい人物だ。私の頭上4050センチからあのハンサム顔が「日本は好きです」と話してきたのだ。さらに「ワゴーは好きないいコースです」と言った。和合(名古屋GC)のことである。総武のサントリーオープンに来ていることは記憶しているが、和合の中日クラウンズにも来たのだろう。気の利いた質問をしようと私が焦って英作文をこねていると、「アイルランドにはどこへ」と尋ねられた。私が「ダブリン、ポートマーノック、ロイヤル・カウンティダウン、エーンド……」と前日までのコース名を並べていると、「もうラヒンチはエンジョイしたのですか」と返される。聞き役と話し手が逆の展開。ファンをもてなすプロのなんというビヘイビアだろう。

 彼らはもう1ラウンド回るということだった。熱いアイコンタクトと丁寧な握手をして、私は「来週の健闘を祈ります」と言うのが精一杯だった。あちらからは「よい旅を」。私の目は潤んでしまった。彼らは離れていった。

 そこへワイフたちが戻ってきて、残念がって悲鳴をあげた。私たちはプロショップをうろついた。土産探しのためではない。興奮と目の潤みをもてあましたからだった。

 クラブハウスを出ようとした時、その出口でまたご一統様と出会った。私が笑って先頭のフィルに「お先に」と言って手で促すと、彼も同じことをする。お互いにもう一度繰り返したところで、私たちはフィルの優しい手で肩を押された。これでカンペキにメロメロ。

 その夜、飲みながら余韻を楽しんだ。会話に「どこかの国のプロたちとは大違いだ」という言葉も出たが、そういう悪口はこの美しい宵に似合わなかった。

 わが家ではテレビにミケルソンが映ると、その時までのどんな会話も途切れることになる。2004年のマスターズでは彼のメジャー初優勝のシーンと、もう1つ、彼の凄い笑みを見た。ミスしても笑みを絶やさない。プレー中の彼独特のハンサムな笑みは、さらなる深みを見せていた。

 バリーバニオンで見た、見られた、あの生の熱い眼差しは、私のゴルフ巡礼で得た、きらきら輝く宝石のひとつである。

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