【第1回】ゴルファーは渡り鳥である ~日本~(1) | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

ゴルフのおかげで、旅、友、嬉し涙 三の旅 故郷 ~寺で祖国を念じるテラベイネン~

【第1回】ゴルファーは渡り鳥である ~日本~(1)

2017.04.10 | 鈴木康之

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 『ピーターたちのゴルフマナー』のピーターたちって誰のこと、ピーターズクラブのピーターズって誰のこと、と問われることがある。

 拙著『ピーターたちのゴルフマナー』の6つの扉ページの裏に、ピーター・ヘイ、ピーター・アリス、ピーター・テラべイネンなど5人の名言と、スコットランドの古諺を載せている。スコットランドではピーターは日本の太郎に相当する、男の代表的な名前なのだと聞いた。ギリシャのペトロから来た名前だと思う。というわけで、私が敬愛するゴルファー、ピーターたちの名前を冠にして書名にしたわけである。

 アメリカのスポーツ記者、マイクル・バンバーガーの名著『リンクスランドへ』を読み耽り、書中のピーター・テラべイネンという不思議なゴルファーに興味を抱いていた仲間が7、8人いた。ケーブルテレビでヨーロッパツアーのテレビ番組を探し、目を皿のようにしてピーター・テラべイネンなるプロが映るのを楽しみにしたが、いつになっても画像に現れてこなかった。

 

 

 自らの体を契約先のロゴの広告媒体にすることをよしとせず、戦って得た賞金だけで生計を立てるのがプロの生き方だ、という信条の持ち主だと書いてあった。売れないプロの意地っぱりともとれたが、私たちには一本ピーンと筋の通る真のプロフェッショナル・ゴルファーだと思えて惚れ込んだ。

 エール大学を卒業、マサチューセッツに故郷を持つ米国人ながら、欧州ツアーを主戦場とし、空きの週があればどこのツアーにでも飛んでいく。転戦した国数30余り。真摯な仏教徒の中国人を妻にし、家庭はシンガポール。いつも心身ともに異国にある渡り鳥なのである。

 そうこうしているうちに、1996年秋の日本オープンに突然現れた。現れただけではない、あれよあれよの優勝をしてしまった。大阪の茨木CCだった。あまりにも突然なことでみんな仕事を外せず、誰も応援には行けなかった。日本オープンが終わった翌月曜日朝の新聞各紙は、ことごとく「無名の米国人プロ、ピーター・テラベイネン優勝」と書いた。しかし私の仲間たちは「やったぜピーター!」で大喝采。夕方には集まれる者5、6名がシャンパンを抜いてささやかな祝賀会を開いた。この面々はたまたまニアペンクラブというコンペのメンバーたちだった。クラブのほとんどが彼のファンでもあった。

 私が代表してファンレターを書いた。「この次に来日の折、私たちは東京であなたをお迎えして祝賀会と激励会をやりたい。ぜひお出で願いたい。なぜなら、あなたはニアペンクラブの“名誉会員”なのですから」と書いた。

 彼はバーディをとった時に個性的なガッツポーズをした。右腕を折って胸にくっつけ、拳の手の平の側を上に向ける。どことなく女っぽいしぐさに見える。テラべイネンの顔が大映しになったビデオの画面をストップにし、みんなでそのガッツポーズの真似をして記念写真を撮り、手紙に添えてシンガポールの彼の家に送った。

 

 

 ある日、返信が来た。転戦先の南ア大陸のドバイからだった。アバァリ・ドバイというホテルの便箋2枚と封筒だった。

 

 親愛なるニアペンクラブの皆さま

 ジャパン・オープンに勝ってから1カ月が過ぎました。私と家族に向けてのあまりにもたくさんの言葉に当惑しています。このビッグな機会にあなた方が私の喜びをともにしてくださって幸せです。

 マイクル・バンバーガーはたいへんよいライターに違いありません。私はいつか彼の本を読むことを楽しみにしていますが、あと何年かは期待できないでしょう。私は彼に、トーナメント・ゴルフから引退するまではその本を読むつもりはない、と話しました。ゴルフというゲームの美しさに強い感情を持っている人々は、彼の書いたものを楽しめるようです。彼の本は世界中の多くの人々を私に引き合わせました。

 ニアペンクラブの名誉会員であることをたいへん嬉しく思います。ありがとうございます。

 心より ピーター・テラベイネン

 

 以上が1枚目である。『リンクスランドへ』の前半はバンバーガーがテラベイネンのキャディとなってヨーロッパを転戦するドキュメンタリーである。バレステロスやウーズナムやニクラスなどとの絡みもある。プレーぶりを書いているだけではなく、筆はプロの暮らしの葛藤やコンプレックスなど内面奥深くにまで及んでいる。現役のいまそれを読むことは、なるほど、邪魔になり拘束されることになるのだろう。

 1枚目の文面の最後のラインが2枚目に繫がっていた。

 

 将来日本でお会いしたら、どうぞ気楽に声を掛けてください。しかしはっきり言って、トーナメントの日のラウンド後は話をするのもうんざりするほど疲れています。トーナメント中にディナーの場を催していただいても出向くことは難しいです。パーティの中の、年老いた、いつも怪我持ちの、孤独な壁男になってしまうのではないかと思います。私は多くの時間をホテルの部屋で過ごし、休んで、痛む脚のためのエネルギーを節約します。プロツアーの輝かしい?生活なんて、せいぜいそんなものです。プレーした後、私の脚は具合が悪くなる、たいへん悪くなる、極度に悪くなるのです。極度に悪い日はできるだけ早く、とくに翌日またプレーしなければならないとしたら、ベッドで脚を休ませたいのです。

 祝賀会とか激励会などと書き、迂闊にプロポーズして、すまないことをしたと思った。そのためにテラベイネンはもう1枚の便箋を書く苦労を強いられたわけだ。私はドバイのホテルで渡り鳥が痛む羽を休める時間を遅らせてしまったのである。

 しかし私は2枚の便箋を広げたまま、文面に現れている彼の生々しい人間性に触れた喜びと、地球の反対側からの文通の喜びとに感動した。

 その後、祝賀会をやった面々が河川敷の赤羽GCをホームコースにしてマッチプレーのゴルフ会を始めた。その集まりを自然にピーターズクラブと呼ぶようになった。

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン