後付け
『セブン』という映画がある。1995年の作品で、モーガン・フリーマン演じる定年間際の刑事とブラッド・ピット演じる後任の刑事が、七つの大罪をなぞるようにして起きる連続猟奇殺人を捜査する物語で、米国の映画には珍しい救われないバッドエンディングが話題になった。
この映画、とにかく、雨のシーンばかりなのである。残忍な事件が起きるたびに雨という感じなのだ。そして、最後のシーンだけは晴れ渡った砂漠。解決したかに思えた事件は、一転して、その晴れ渡った空の下で劇中最も悲惨なシーンとなる。
私は、一時、脚本家を目指して勉強していたし、生来のドラマ好きということもあって、こだわった演出を見るとドキドキしてしまう。暗い雨のシーンばかりが続いて、ラストシーンだけ快晴の下という演出に『やるなぁ~』と感心していた。
しかし、先日、ある深夜番組で、この映画監督が「あれは演出ではなく、最初のシーンだけが雨だったのに、ロケのたびに雨が降って面倒だから、全部雨のシーンに脚本を変えたのだ」と話していたと聞いて驚いた。
「ラストシーンが晴れているのは、あんなに広い砂漠に装置で雨を降らせることが無理だったから……」
つまり、演出でも狙いでもなかった偶然の産物が一人歩きしただけで、出来上がった映画を観た評論家が、雨ばかりのシーンから一転して晴れるシーンになるという演出を誉めまくったけど、そういう見方もあるのか、と思ったと監督は語ったという。
往々にして、感心するような凝った理由は後付けだったりするものだ、と達観した気分になった。
先週、グリーン上でパットのラインが見えないと言う話を書いた。自らの練習不足が原因だと結論付けた。
それを読んだ熱心な昔からの読者からメールが来た。練習不足の理由は、使用しているボールを変更するための布石ではないのか? と尋ねられた。
確かに、使用しているボールが廃盤になり、1月の終わりから新しいバージョンのボールが市場に出ている。
手元に、既に新しいボールもある。
ナイキのONEを使用しているが、考えるところがあって、ツアーDというタイプのものを今年は使用しようかと思っている。これは、今まで使っていたものとかなり違う。
昨年、ボールテストを真剣にやりすぎて、しばらくの間、自分のボールに戻しても違和感が残ってしまったという経験をした。今年はそういう話は一切断った。
読者は、その辺りの事情まで推測した上で、スムーズに新しいボールに移行する手段として、素振りばかりの練習で、ボールを打っていないのだろうと『見抜いた』のである。
と言う話は、なかなか渋くって格好いい。
正直に告白するが、ボールの変更は偶然時期が一致しただけで無関係である。募集している新しいCD-R内に出てくるパットの打ち方についての課題を消化しているだけなのだ。