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【第1回】ご希望の商品

2016.07.27 | じゃいがも

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 その男は、少々変わった男だった。

 自宅から徒歩3分のコンビニエンスストアに行くのにも、全ての窓に二重にロックをかけ、電気のブレーカーを落とし、ガスの元栓を締め、玄関に取り付けられた3個の鍵に施錠をしてから家を出る。そこまでやらないと、とてもじゃないが安心して外出など出来ない。良く言えば用心深いのだが、つまりは神経質で疑り深い男なのであった。

 男はこれまでに恋人はおろか、友人すら作ろうとしなかった。自分以外の他人など、信用出来ないからだ。

 人付き合いが無ければ、自然と金は貯まり、男は三十歳という若さでマイホームを手に入れていた。

 しかし、資産があれば、それを守りたくなるのが人のさがである。

 男も例に漏れず、マイホームには実に様々な保険がかけられている。地震保険、火災保険、雷保険、竜巻保険。所有する骨董品や芸術品には、盗難保険。もちろん、自分自身にも、がん保険から傷害保険まで、およそ保険と名のつくものの殆どを、男は網羅していた。

 

 ある日、男は保険屋を呼び、言った。

 

「わたしは恐らく、現存する全ての保険に加入していると思う。しかし、こうも様々な保険があると、どうも管理がおろそかになる。万一の事を考えると、全てをカバーできる保険が、わたしには必要だと思うのだ。何か良い保険は、ないだろうか」

 

 保険屋は、頭を抱えた。

 

「困りましたな。その様な保険は、聞いたことがありません」

 

「そこを何とか頼むよ。君ほどの優秀な人間を、わたしは見たことがない」

 

 結局、保険屋は男に押し切られる形で、新しい保険を作る事となった。

 

 しばらくして、保険屋は新しい保険のパンフレットを持って、男のもとへやって来た。

 男は、パンフレットを目通しし、満足そうに頷いた。

 

「これはすごい! 地震や火事はもちろん、隕石による被害まで保証の対象だとは。それに、盗難から病気、怪我まで保証してくれるのか」

 

「苦労しました。ただ、この保険はあくまで通常の各保険の寄せ集めです。特別な保証はございません」

 

 男は、うむと頷いた。

 

「それと、大きなお世話かと存じますが、保険とて完璧ではありません。あまり神経質にならない方が良いかと。それに、良くも悪くも、思いがけない事が起こるのが人生です。どんな事も、十年経てば笑い話になりましょう。少しは人生を楽しまれてはいかがでしょうか」

 

 保険屋の言葉に、男はフンと鼻を鳴らした。

 

「それはそれは。名言をありがとう。心の隅に留めておくよ。注意深いわたしと、そうでないきみ。きみ自身が笑い話のネタにならないよう、せいぜい気をつけたまえ」

 

 男の家が大規模な地盤沈下に見舞われたのは、翌朝の事だった。

 知らせを聞いた保険屋が男の家に到着すると、無惨に傾いた我が家を、男が呆然と見つめていた。

 見る限り怪我はないようだが、男の頬はこけ、目は落ちくぼんでいる。

 男は保険屋に気付くと、薄く笑った。

 

「……まさか地盤沈下とはね。規約を読んだが、地震が原因の地盤沈下以外は……」

 

 保険屋は伏し目がちに答えた。

 

「はい、保証の適用外です……。家財道具や骨董品などは、いくつか適用される物もあるでしょうが……」

 

 男は頷き、長い溜め息を吐いた。

 

「そうか。ところできみ、昨日、とても良い事を言っていたね。もう一度、聞かせてくれないか」

 

「……良くも悪くも、思いがけない事が起こるのが、人生。十年経てば、笑い話になる。と申し上げました」

 

 男は、我が家を見つめながら言った。

 

「確かに、思いもよらぬ出来事が起こるのが、人生のようだ。どうだね、この出来事も、やがて笑い話になると思うかね」

 

(わたしにとっては、既に……)

 

 保険屋は、その言葉を飲み込み、言った。

 

「そりゃあ、もう」