【第3回】本編 | マイナビブックス

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(鍋島家の居間。再び家族四人)

 

恒彦     その興信所の所長が言うには、これは家族全員の合意と協力がないと出来ない計画なんだ。

和夫     親父、本気かよ。

恒彦     パパはこの家の立直しを計ろうなんて不可能な事は考えちゃいない。そうじゃなくて、自分の人生を初期化したいと思っているんだ。

姫子     初期化って、

恒彦     全てを捨てて、ゼロからやり直すってことだ。考えてみれば、医者なんて仕事もパパには向いていなかった。病院は人手に渡して、パパはオーストラリアに移住するんだ。好きな女とな。

和夫     オーストラリア、

園子     ママもこれまでの事は、何も無かったことにしたいの。パパとの結婚も、あなた達を生んだことも。もともと妻や母親なんてママには向いてなかったのよ。似合わない事したら、あなた達みたいな出来損ないが生まれれちゃったの。お金が入ったら、自分で商売でも始めたいわ。

姫子     言ってくれるわね。普通親が子供にそんなこと言う。

和夫     馬鹿、普通じゃないんだよ、うちの家は。

姫子     まあね。

恒彦     お前達も、自分の好きなように生きて行けばいいさ。だから、お祖父ちゃんが死んだら、財産は四人で頭割り、この家は解散だ。

姫子     条件としては悪くないわね。

和夫     親父が死ぬのを待つ必要も無くなるしな。

恒彦     じゃあ、いいんだな、話を決めても。

園子     やりましょう。(互いの顔を見合わせ頷く。暗転)

 

軽快な音楽の中、話者が一人ずつ闇に浮かぶ。

 

沙絵     私は反対、足手まといだもの。それに何より肇君は純粋すぎる。彼みたいなタイプはこんな仕事に手を染めちゃいけないのよ。

宍倉     いいんじゃないの。同じ面子ばかりだと変わり映えしないし、馬鹿正直な純粋さもやりようによっては役に立つからさ。

恒彦     家族全員の気持ちが決まりました。父には早めに成仏してもらいます。

肇      俺、沙絵先輩も一緒じゃなきゃ辞めません。こんな仕事先輩にだって似合いませんよ。

良兼     沙絵君、今回君と私は後方支援に回る。現場には宍倉と肇君の二人を派遣しよう。

沙絵     今だったら間に合うから早く辞めちゃいなさい。本当は言いたくなかったんだけど、肇君、今度の大きな仕事って言うのはね、

肇      え、嘘でしょう‥‥まさか‥‥そんな。

 

(音楽が止み、後ろ向きの良兼にスポット)

 

良兼     (ゆっくりと振り返り)とまあ、その爺さんというのがひどい奴でねえ、人間の皮を被った悪魔というのはこういう男の事をいうんだな。おかげで家族みんなの心もすさんでしまった。すべての元凶はこの爺さんだ。だから、非常に残念だが、こちらも心を鬼にして最後の手段に訴えるしかないんだ。頼むよ、肇君。(暗転)

宍倉(声)  ごめんください。ご在宅ですか。ごめんください。(ドアが開く音)あ、おじゃまします。

 

(鍋島家の居間。下手に立っている宍倉と肇。恒吉うさん臭そうに二人を迎え入れている)

 

宍倉     おじゃまします。あの、

恒吉     (突然、ステッキを宍倉の鼻先に突きつけ)姓は鍋島、名は恒吉。

宍倉     はい?

恒吉     大正十四年十二月十四日生まれ、当年とって八十七歳。

肇      あの、

恒吉     (身振り手振り、時にステッキを使っての立ち回り)外様とは言え三十五万七千余石、肥前鍋島の血を引く侍の家に生を受け、文武二道に精進したるなり。生家は西国佐賀の地にありて幼少の頃より鍛えしは、柔道剣道弓道水練孔孟の教えオイチョカブ。並ぶ者無き神童が若き血潮のたぎるに任せ奉公人菊に夜這いをかけたるは十四の春、騒がれて本懐を遂げざりしは我が人生躓きの始めなり。ままよとばかりに浮名流せし女郎の数は浜の真砂か満天の星。これではならじと武士の心に立ち返り、己が命を天下国家に寄与せんと大志を抱きし十六の秋、医学の道を志す。柳条湖事件に端を発したる満州事変より幾多の大戦を経て、玉音の御(おん)放送を聞きたるは十九の夏。宮城(きゅうじょう)に赴きて自決せんと欲すれども凡人の凡庸なるしがらみにて命長らえ、(下手に向かい退場しながら)心ならずも同郷のめのこを娶りしはあろうことか明くる昭和二十一年の師走。(階段を上りながら)物の弾みで愚息恒彦もうけしは、三十四の春であった。(大きく見栄を切り、退場)

 

(宍倉と肇、あっけに取られ恒吉の行方を見ている)

 

園子     (上手より登場)あら、ごめんなさい、興信所の?

宍倉     ええ、オフィス向山から来たんだけど、

園子     パパ、和夫、姫子、いらしてるわよ、(宍倉たちに)ごめんなさい、驚かれたでしょう。

宍倉     いや、うちにも似たようなのがいるから。

恒彦     (上手より登場)いやこれはどうもすみません。父のあれが始まったものですから、

姫子     (上手より登場)うるさくて奥にひっこんでたの。(続いて和夫も登場)

肇      あの、お祖父様は何を、

和夫     おたくらに挨拶してた訳じゃないから気にしないで。

姫子     残念ながらボケてる訳でもないしね。

恒彦     ボケ防止のつもりなんですよ。自分のこれまでの人生を忘れないように大声で確認するんです。毎朝ですからね、家族はたまりませんよ。

姫子     でもジジイがいろんな意味で超現役なのは証明済みなんだし案外効果あるのかもね。

和夫     親父も始めりゃいいんだよ。ジジイより先にボケそうなんだから。

恒彦     すみませんね、お恥ずかしいところをお見せして。こいつらバカな事ばかり言ってますが、普段はもっとバカなんです。

園子     いいかげんにしなさいよ。

宍倉     (階段の上を指して)この時間はいないって聞いて来たんだけど。

恒彦     すみません。予定が変わったようで。

宍倉     そういうの困るんだよね。こういう事って情報が確実じゃないとさ、

恒吉     (突然、階段の上に飛び出す)しかして神は老兵を見捨てたまわず。(階段を下り)鍋島恒吉八十五にして初めて真の愛を知りたるなり。老いらくの恋と笑わば笑え(下手に向かいながら)今日も我いざ行かん麗しの君の元へ。(立ち止まり)平成十八年七月吉日。(ポケットから懐中時計を取り出り出し)午前十一時十五分(退場)

和夫     もう大丈夫だよ。あのフレーズの後は戻ってこないから。

宍倉     思いっきし不安になるなあ。

恒彦     すみません。

宍倉     じゃあいいすか、さっそく始めさせてもらうけど。

園子     お願いします。

和夫     なんか、ゾクゾクするぜ。

姫子     あたしさ、お金入ったらまず海外旅行でしょう。それから自分の部屋にプリクラ置いて、あと制服はエルメスで特注するの。

園子     姫子、

宍倉     俺がテクニカルアドバイザーの宍倉権蔵。具体的な段取りを決めるからちゃんと聞いてよ。

姫子     (和夫に)偉そうな話し方して感じ悪いね。

和夫     うるさいよお前は。

宍倉     それからこっちが助手の椎名肇。

肇      よろしくお願いします。

姫子     ちょっとタイプかな。

 

(和夫、姫子をはたく)

 

姫子     イッター、何すんのよ。

和夫     ば~か、

姫子     ジジイの次はあんたを狙ってやるわよ。

和夫     お前にやられる程マヌケじゃないよ。

宍倉     いいかげんにしてくんないかな。こっちは真面目にやってるんだからさ。

 

(ふてくされた姫子、薄ら笑いする和夫、あきれて恒彦と園子を見る宍倉)

 

恒彦     戸籍上は親子ですが、気持ちの上では赤の他人ですから。

園子     それより、何から始めたらいいんですか?

宍倉     (気を取り直し)一応この家の見取り図はチェックしてきたんだけど、具体的なプランを立てる前にどういう攻略法が可能か各部屋を見せてもらえるかな。

恒彦     それじゃあ、私が案内しましょう。

宍倉     よろしく。

園子     私の部屋には入らないでくださいね、あなたは。

恒彦     そんな事を言うんだったらお前が案内したらいいだろう。

 

(にらみ合う恒彦と園子)

 

宍倉     誰でもいいからさ、早くしてよ。

園子     私が案内します。

恒彦     フン、

 

(笑って見ている和夫と姫子)

 

肇      じゃあ宍倉さん、俺はもう少し皆さんからお話をお聞きしてお祖父さんの行動パターンやご家族の日常のサイクルとか、何か使えそうな事がないか情報を集めておきます。

宍倉     お、気が利くな。じゃあそうしてくれるか。

肇      はい、

 

(園子と宍倉、上手より退場)

 

姫子     あの人偉そうにしてるけど、本当はあんたの方が頼りになりそうじゃん。

肇      そんな事ないです。

和夫     惚れたな。

姫子     るさいわね。

肇      それじゃあ皆さんに質問を、あ、(わざとらしく思い出して)宍倉さん、肝心なことを言い忘れて行っちゃった。

姫子     やっぱり、あいつ間が抜けてそうだもん。

恒彦     何ですか肝心な事っていうのは。

肇      それは、これからしばらくは皆さんに仲の良い家族になっていただくという事です。

和夫     え、

恒彦     仲の良い、家族。

肇      そうです。一人一人がお互いを愛し合い助け合う理想的な家族です。

姫子     何よそれ、

和夫     んな家族がこんなことを頼む訳ないだろ。

肇      あ、誤解しないでください。そういうふりをして頂くという事です。

恒彦     たとえ「ふり」でも、難しい注文ですね。

肇      でもこれに同意して頂けなかったら、うちとしてはこの仕事から手を引かなければならないって所長が言ってました。

姫子     そんな、

和夫     今更何だよそれ。

恒彦     どうしてそんな事が必要なんですか。

肇      計画を実行するための下準備です。疑われる要素はすべて取り除いておかないといけません。幸い遺産目当てということについては皆さんは正当な相続人ですから動機にはなり難い。でもこんなに家族の仲が悪いという事になれば話は別です。疑われてもしかたないでしょう。

姫子     ふーん。

和夫     だから俺達に仲の良い家族のふりをしろっていう訳か。

肇      そうです。これからは腹の中でどんなにいがみ合っていても、表向きは愛し合い助け合う理想的な家族を装ってください。これは今回の計画が上手くいくかどうかの鍵なんです。

恒彦     仕方ない、じゃあ、なんとかその愛し合い助け合うってのをやってみましょう。

和夫     ゲッ、気持ち悪いぜ親父。

恒彦     心配するな。別に本当に愛し合い助け合う訳じゃないんだから。

肇      完全犯罪を成し遂げるには、こういう基本的な事をおろそかにしてはいけないんです。演技とは言ってもその気になってやらないとすぐにメッキが剥がれてしまいますからこういう場合は自己暗示をかけるのが一番です。それでは皆さん、後ろを向いて下さい。

姫子     え?

恒彦     後ろを、向くんですか。

和夫     何すんだよ。

 

(三人後ろを向く)

 

肇      もっと壁に近づいて。

 

(三人壁近づく)

 

姫子     何か面白そうじゃん。

恒彦     これでいいですか。

肇      はいけっこうです。それでは「家族は私の宝物」ってそうですね、三十回唱えて下さい。

姫子     何なのそれ、

和夫     何なんだよ。

肇      すべては計画を成功させる為ですから。

恒彦     和夫、姫子、少しの間の辛抱だ。

和夫     ちぇ、

姫子     何か変な事になって来てない。

肇      それじゃあ、三、ハイッ。

 

(三人が低い声で「家族は私の宝物」と唱え始め、その声がフェードアウト。照明が落ちて舞台中央の肇にスポット)

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