【第1回】本編
2016.10.07 | 久間勝彦
開幕
探偵事務所オフィス向山。手鏡を使い、鼻毛を抜いている良兼。ドアをノックする音。慌てて、机の上の書類に目を通しているふりをする。
良兼 はい、どうぞ。
肇 失礼します、あの、
良兼 君、君だよ。そう君なんだよ我が社が求めていたのは。
肇 え、
良兼 やっぱり来てくれたね。
肇 あの、
良兼 (立ち上がり、肇の手を取る)広告、見たんだろ。
肇 あ、はい。
良兼 君の為に出したんだよ、あの広告。
肇 僕の、為に、
良兼 そう、君だけの為にね。こちらには何も異存はないよ、採用だ。
肇 でも、まだ何も、
良兼 いいんだよ、すべては決まっていた事なんだから。
肇 あの、決まってたって、
良兼 いやね、今回の募集では、随分応募があったんだよ。もちろん一人も採用はしていないよ。君を待っていたからさ。
肇 待っていたって、
良兼 インスピレーション、あるいは第六感、言葉にすると陳腐だが、私には何かこう、予知能力のようなものがあってね。
肇 はあ、
良兼 信じてないね。
肇 いえ、そういうわけじゃ。
良兼 いいんだよ。我が家は父の代まで仏門に使えて来たんだが、先祖の積んだ苦行や功徳が、私の代で実を結んだんだな。三十代前にさかのぼると、弘法大師の一番弟子だったんだよ。
肇 すばらしいですね。あの、ところでこちらは、一体どんな仕事をなさってるんでしょうか。
良兼 あ、そうだったね。広告には、何も載せてなかったね。
肇 君だよ、君なんだよって、それだけで。でも、それでかえって気になっちゃたんですけど、
良兼 そうだろ、来てくれると信じてたよ。
肇 表の看板は見たんです。でも内容が今一つ想像出来なくて、
良兼 家庭円満アドバイザー、社会の平和クリエイター、オフィス向山。私が所長の向山良兼です。君は…あ、名前、
肇 肇です、あ、椎名肇です。
良兼 あそう、じゃあ、肇君ね。肇君、君はこの世の中をどう思うね。
肇 世の中、ですか。
良兼 そう、世の中、現代社会だよ。
肇 ‥‥あの、みんな頑張って生きてるなって、
良兼 うん、なるほど頑張って生きている。しかしそれは正しい努力だろうか。人間は本来互いに助け合い、いたわり合って生きていくように生まれて来たのではないだろうか。しかるに、情けは地に落ち、徳の道はすたれ、上辺だけの虚飾の繁栄は人々の目を眩ませてはいないだろうか。国を治める政治家は権力闘争に明け暮れ、民は心を亡くして物質文明のもたらす空しい享楽に溺れてしまってはいないだろうか。
肇 はあ、
兼 そうだ。君が言うように確かに荒廃している。
肇 あ、いえ僕は何も、
良兼 しかし、嘆いてばかりいても始まらない。今や健全な社会を築く事は日本国民共通の命題であるはずなのだよ。では、健全な社会の基盤とは何だろうか。
肇 え、健全な社会の基盤、ですか?
良兼 そう、それは堅固な家庭だね。
肇 あ、そうですね。
良兼 しかし、ガン細胞のように家庭を蝕み、やがて崩壊へと導く複雑怪奇にり組んだ現代人の欲望という名の病巣は、もはや個人が立ち向かうにはあまりにも強靱な力を持ち、その病根はジネンジョの根のように根深くセイタカアワダチソウの根のようにしぶとい。だからこそ、日本の幾千万の家庭に、愛と希望の光をもたらすべく、立ち上がったのがこの探偵社、オフィス向山なのだよ。
肇 分かりました。こちらは探偵事務所なんですね。
良兼 探偵事務所、興信所、様々な呼び方はあるが、私はあえて自らを家庭円満アドバイザー、社会の平和クリエイターと呼んでいるのだよ。
肇 でも、俺に探偵なんてつとまるでしょうか。これといって特技もないし、腕力だって必要なんでしょう。
良兼 問題は素質や才能ではない。君が選ばれた人間だということ事なんだよ。今日この日、出会うべく定められていた君と私がこうして出会ったということなんだよ。
沙絵 (上手より登場)ようこそオフィス向山へ。私、秘書の沙絵です。
良兼 突然入ってきた君を見た瞬間に、頭のてっぺんからつま先まで電流が走った、まさに運命の出会いっていうやつだ。
肇 (沙絵を見ながら)運命の出会いですか、あるんですね、そんなことって。
良兼 そう、運命の出会いだよ。(シーン変わりの音楽、明転)
(舞台中央、上手より沙絵、良兼、肇)
良兼 一つ、調査員は、沈着冷静にして質実剛健、清廉潔白にして勇猛果敢なるを旨とすべし。
肇・沙絵 一つ、調査員は、沈着冷静にして質実剛健、清廉潔白にして勇猛果敢なるを旨とすべし。
良兼 一つ、調査員は、慈愛に満ち情けを尊び、然るに義をなすには大胆不敵なるを旨とすべし。
肇・沙絵 一つ、調査員は、慈愛に満ち情けを尊び、然るに義をなすには大胆不敵なるを旨とすべし。
良兼 一つ、調査員は、常に心身の鍛練を怠らず、時に臨みては身を呈して社会秩序を守を旨とすべし。
肇・沙絵 一つ、調査員は、常に心身の鍛練を怠らず、時に臨みては身を呈して社会秩序を守を旨とすべし。
良兼 一つ、調査員は、家庭円満アドバイザー、社会の平和クリエーターなるを旨とすべし。
肇・沙絵 一つ、調査員は、家庭円満アドバイザー、社会の平和クリエーターなるを旨とすべし。
沙絵 祝詞。(のりと)
良兼 天照らす、み神の愛でし本邦の、幾千万の庵にて、安けき日々よ永久なれと、武の皇子に成り代わり、平成の世に悪を討つ、探偵の生業に加護を賜らん。
(良兼、柏手を打つ。肇もそれに合わせる)
良兼 さて肇君、先週頼んでおいた旭町のビラは全部貼り終えたかな。
肇 ええ、張りました。でも探偵事務所なのに迷子のペットを探したりもするんですね。
沙絵 志はいくら高くても霞を食べて生きて行くわけにはいかないでしょう。この業界も不景気だし、ペットの捜査は手間を考えると割がいいのよ。
肇 すみません、変な言い方しちゃって。
良兼 恐縮しなくてもいいんだよ、君はこれからいろんな事を学んで行くんだから。
肇 はい、
良兼 それにペットの捜査も金儲けより人助けでやってるんだ。たかがペットと馬鹿にしちぁいかんよ。犬好き猫好きの人達にとって彼らは家族同様なんだから。
肇 はい。
良兼 そうだ三丁目の黒岩組事務所、入り口前の電柱にもちゃんと貼っといてくれたかな。
肇 ええ、言われた通りに。事務所で飼ってる犬に吠えられちゃって、ちっちゃい奴なんですけど、中からヤーさん出てきたらどうしようかって、怖かったです。
良兼 ご苦労さん。そうやって修羅場をかいくぐって一人前の探偵になるんだよ。
肇 はい、頑張ります。
良兼 じゃあ、肇君の研修頼んだよ。
沙絵 分かりました。
(良兼、上手へ退場)
沙絵 今日で一週間ね。どう、少しは慣れた。
肇 ええ、何とか俺にも出来るかなって気がしてきました。まだ言われた通りにやってるだけで、何をしているのかは自分でもよく分からないんですけど。
沙絵 最初はみんなそうよ。
肇 とにかく頑張ります。俺も所長みたいになりたいですから。なんていうか、生き方にちゃんとしたビジョンがあって、世のため人のためってがんばっているんですよね。
沙絵 君って本当に信じやすい性格なのね。
肇 はい、みんなに言われます。でも、所長との出会いは俺にとって運命の出会いです。それに、沙絵先輩とも。
沙絵 おまけに思いこみも激しい。
肇 それもよく言われます。
沙絵 純粋すぎてこの仕事には向いてないかも知れないわね。
肇 え、
宍倉 (下手より登場)おはよう。またいつもの妙な朝礼やってたね。
沙絵 聞いてたの。しょうがないでしょ、所長の趣味なんだから。
宍倉 そしてまたまた新人さん。
沙絵 宍倉さん、
宍倉 分かってるって。(肇に)俺、宍倉権造。よろしくね。
沙絵 委託で調査員やってもらってるの。
肇 新しく入りました椎名肇です。よろしくお願いします。
宍倉 沙絵ちゃん委託じゃないのよ。エージェントと呼んでくれないかな。
沙絵 もう終わったの。
宍倉 もちろん。
沙絵 今回は随分早いのね。
宍倉 ここんとこチンケなミッションばかりだからねえ。早く終わらせて数こなさないと生活できないからさ。はいこれ(カゴを渡す)マルチーズ。(犬の鳴き声)
沙絵 ご苦労様。(受け取ったカゴを確認し、肇に渡す)
肇 宍倉さんが犬を探してくださってるんですね。
宍倉 ああ。あくまで内職ね。こう見えてもCIAとFBIの訓練うけてるからさ。
沙絵 雑誌の通信教育よ。
宍倉 俺にはもっとエキサイティングなタスクが似合うんだよ。命懸けで美女を助け出すとかさ。
沙絵 先週ハスキー犬に追いかけられたって言ってたじゃないの。飼い主は若い女性だったでしょ。
(肇、カゴを覗いている)
宍倉 あれは確かに命懸けだったけどハスキー犬の後ろからブルドッグみたいな女が追いかけてきてさ、犬より飼い主に噛まれるんじゃないかと思ったよ。
沙絵 まったく、
肇 あの、
宍倉 俺としてはさ、若い頃の吉永小百合をスレンダーにして、大胆なスリットのミニスカートをはかせたような娘が好みなんだよ。
沙絵 ずいぶん難しい注文ね。
肇 あの、
沙絵 何、
肇 あの、すみません。この犬なんですけど、これもしかして、所長に言われてビラを貼った、三丁目の事務所で飼ってる犬ですよね。
沙絵 だから、
肇 だってすごい偶然じゃないですか。俺が迷子のペット捜しますってビラを貼ってすぐに、その家の犬がいなくなったんでしょう。それで、えっと…。
宍倉 宍倉。
肇 あ、すみません。宍倉さんがその犬を探し出してくださったなんて。やっぱりあの電柱のビラを見て依頼があったんですよね。
沙絵 依頼はこれから来るの。
肇 え、
宍倉 そうか、という事は今回のミッションは君と俺の連係プレーということになるな。
肇 どういう事ですか。
沙絵 肇君がビラを貼ったのは金曜日でしょう。
宍倉 俺がその犬を捕獲したのは、昨日つまり日曜。
沙絵 ビラが目に入れば依頼は明日か明後日あたりには来るはずね。
宍倉 あの事務所、金はあるからね。犬を一月くらい隠しておいて、その間の捜査費用という事にすれば五十万位は吹っかけても大丈夫だな。
肇 だって、それじゃあ…嘘でしょう
沙絵 これが現実なの。
肇 だって、それじゃあ詐欺じゃないですか。
宍倉 あれ、沙絵ちゃんこいつシステム理解してないの。
肇 …だって、俺と所長は、運命の出会いで、
沙絵 所長は、そうやって君をここに就職させようとしただけ。
肇 そんな事ないです。初めての日だってドアを開けたらすぐに、俺が何も言わないうちに、君だよって、
沙絵 広告を出したあの週は、朝から晩まで入ってくる人全てに『君だよ、君なんだよ』って叫んでたのよ。出入りの業者や保険のおばさんにも。
肇 ええ…。
沙絵 いくら就職難の時代と言っても、うちみたいな所じゃ求人広告出してもなかなか人は来ないの。たまに面接受けてくれてもみんなすぐに断ってくるし。それで所長は肇君みたいな思いこみが激しい、良く言えば純粋な人をターゲットに選んだわけね。
肇 …ひどいじゃないですか。
沙絵 肇君にだってまったく責任がないとは言えないわ。あんなおかしな広告に乗せられる人はそうそういないんだから。
肇 …。
沙絵 早く辞めて、ちゃんとした仕事に就きなさい。
宍倉 おいおい沙絵ちゃんそんな事言っていいのかい。良兼さん怒るよ。
沙絵 いいのよ。
肇 …先輩、どうして俺にこんな事話すんですか。
沙絵 肇君は正直すぎてこの仕事に向いてないからよ。
肇 人を騙して金儲けをするような仕事に、向いてなくて結構です。
沙絵 じゃあ辞めちゃえば。
肇 言われなくても辞めます(下手に向かうが、立ち止まり)…でも…でも、先輩にはこの仕事は向いてるんですか。
沙絵 私は君よりずっとずるいから。
肇 それって、自慢ですか。
沙絵 そうね、人間割り切っちゃえば生きていくのは楽なのよ…だけど、何故かな、一週間しか一緒に働いてないのに、君にはそうなって欲しくない。こんな興信所に長くいたらきっと君も変わっていくから。利口に立ち回るようになった君は見たくない気がする。
肇 …先輩…(うつむく)
絵 ごめんね。落ち込ませちゃった。だけど君のためだから。
肇 (顔を上げ、微笑む)沙絵先輩、俺は変わりませんよ。そしてやっぱり辞めません。だって俺確信しました。先輩とは絶対に運命の出会いです。
(暗転)