【第1回】樹海(1) | マイナビブックス

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【第1回】樹海(1)


もう一人の達也はあせり出していた。この方角に駅があるはずだった。けれど三十分近く歩いたにもかかわらず、駅に近づく気配がない。暗いビルの谷間に立ち止って、もう一度周囲を見回してみる。似たようなビルが立ち並んでいるだけで、さっぱり方向感覚がつかめない。左手にあるやや低めのビルの背景がなんとなく明るい。やはり、その方向に駅があるに違いない。もう一度試してみようと足を踏み出す。
二十数年勤めた会社が倒産し、その残務整理も終わり、文字通り最後のお別れ会を同じ課の仲間ともった。「みんな元気で頑張ろう」と口々にいい合って別れた。誰も二次会を口にするものはおらず、早々の散会で時間はたっぷりある。今後の再就職のこともあって、達也は会のあった街から比較的近くにある先輩の家を訪ね、先日紹介状を書いてもらったお礼をいいに寄ろうと思った。そこは、私鉄に乗りかえてほんの三駅ほどの所にある。
駅前で手土産の果物を包んでもらい、多少酔ってもいたのでタクシーを拾い向かった。が、生憎と先輩は旅行中とかで留守。そこまではいい。仕方ない。けれど、応対に出た奥様に、紹介状を書いて頂いたお礼をいい、先輩のご好意に恥じぬよう頑張るつもりだと述べたところ、つっ立ったまま話を聞いていた奥様が、「それは、あんたの勝手よ」というのだ。達也は、その一言で自身の中の羅針盤が狂ってしまった気分になった。そりゃ、そうに違いない。紹介状はあくまで紹介状であって、最終的には己れが一切の責任を負うのは当然だし、達也の年齢で再就職はまず難しいだろう。とはいえ、本音をいきなり浴びせられては、人間関係全てに角が立ってしまう。
交際下手の達也にとって、この先輩との縁は何よりも大事なものだっただけに、その筋からも見放されてしまったかと、落胆は大きかった。なんときつい言葉だろう。車を探して家へとんで帰る気にもなれず、頭を冷やそうとふらふら駅へ向かって歩き出したのが間違いのもとだったのかもしれない。住宅地を抜けると、すぐに低層の画一的な建物の立ち並ぶ商店街のような所へ出た。それが切れて国道らしい巾広の道路を渡り、暗いオフィス・ビル街の中へ入って行く。その先に駅があるはずだった。
達也には、途方にくれた時、あの方ならどうやって苦境を脱するだろうか、と考える大先達がいた。H・シュリーマンという今は亡き著名なドイツの考古学者である。その夜も、その先達の姿を頭に描いていた。
達也がシュリーマンの生きざまに強い影響をうけるきっかけになったのは、偶然読んだ彼の「自叙伝」だった。そこには境遇の類似という面があったかもしれない。牧師の家にシュリーマンは生まれたが、達也の父は僧籍の人だった。貧しかったシュリーマンは、独学でトロイの遺跡発掘という大事業をなしとげたが、その出発は雑貨店の店員であり、達也も似たようなスタートをきったからである。
歩きながら達也は考える。あの先輩の細君は、たしか変わり者だという評判を、そういえばいつか耳にしたことがある。でも、これまでに、二、三度お目にかかっているが、その時の印象はそれほど風変わりなものではなかったと思う。もっとも、その時は先輩が同席していたので遠慮があったのかもしれない。酒の匂いをさせて参上したことも奥様の気分を害したのかもしれない。ああ、いやだ。人様の情けにすがって生きるのは、ご免こうむりたい、といつもの弱気が頭をもたげてくる。多分、シュリーマンは、くよくよしないで前へ向かって進めというに違いない。前進だ。
けれど、いつまでたっても駅が現われないのだ。そんなに酔っているはずはない。たかだか紹興酒を一本空けた位で、方向感覚をあやまることはない。達也は空を仰いだ。道に迷った旅人は、星をたよりに進路を見つけるというではないか。どんよりとした夜空がひろがっているだけだった。
達也は、自身に気合いをいれ、踏み出す前にその地点に立ち止って、辺りの風景を頭に入れようとした。
目の前にある五階建てのビルは、建設関係の仕事をやっているらしく一階が車庫になっていて、事務所は脇の階段をのぼった二階にあるらしい。暗く深い車庫には車が一台も入っていない。その隣の六階建てのビルは、一階が倉庫につかわれているらしく大きく厚味のあるシャッターが下りている。灰色のシャッターには会社名も何も書かれていない。
その隣の五階建てのビルは、どこかの会社の寮らしく中央に入口が開いていて、奥に灯が点っている。やたらと小さい窓が各階にびっしりとついているが、三階の一隅に一つ灯がついてるだけだ。入口前の歩道に立つ電柱に「質・セキネ」という看板が取付けてある。よし、この風景を頭に入れて出発だ。
気をとり直して歩き始めた。酔いはいつの間にかすっかり冷めている。足から冷えが上がってきて、全身がゾクゾクする。風はないが二月にしても今夜はばかに寒い晩だ。道はゆるやかなカーブを描いている。どうして定規でキチンと引いたような道がつくれないのだろう。天びん棒をかついで歩いた昔ながらのクネクネした道に能率一辺倒の面白味のないビルの乱立。歩いていても、少しも仕合せな気分になれない道。達也は道にそって進む。
別れの会の席上、後輩の後藤がいった言葉が思い出される。
「高野さんはいいよなあ、身軽だから。俺んちなんか、食べ盛りの子供たち三人もかかえて、一番しんどい時というのに、この事態だもんなあ」
達也は、いい返してやりたかった。
「人生は、その頃が一番の華なんだよ」と。
けれど達也は苦笑しただけで黙っていた。身軽という言葉の残酷さが身に食い込むような日々を送る人間は寡黙にならざるをえない。
かなり歩いたと思う頃、ビルが途切れ、小さな公園が現われた。達也は急に尿意をもよおし片隅にある便所へ駆けこむ。数年ほど前から、時々ひどく顔が火照って、目の奥に星が散る症状に悩まされるようになった。健康診断を受けると高血圧といわれ、降圧剤を服用するようになった。その副作用らしく、尿意が頻繁に起こり、その激しさに往生していた。まさしく「おしめ」が必要なほどだ。達也は以来、公衆便所を見かけると、尿意のあるなしにかかわらずとび込んで、膀胱を空にするよう心掛けている。
尿意の激しさにかかわらず、前立腺肥大気味の故か、しょぼしょぼとだらしなく垂れる小水をふり切りながら、ふと己れの人生をふり返ってみる。一体、自分の人生はなんだったのだろう。一戸建ての家も持ったし、結婚もした。子供にも恵まれ、一応育てもした。人は、それで充分の人生だというかもしれない。けれど、荒ぶる今一つの心が、こんな人生を送るはずではなかったと叫ぶ。
小心翼々として目立たず実直に生きる勤め人としての達也には、しかし、もう一つの顔があった。誇大妄想癖とでもいう一面である。シュリーマンの幼児期のバイブルがギリシャ神話の『ホメロス』であったように、達也のそれは夜店の古本屋で手に入れた『世界不思議物語』であった。暇があると押入れにこもってひたすら浸った空想癖の少年は、成長するにつれ発明癖へと移ったのだが、高度の基礎教養のない達也にとって緻密さの求められる分野は苦手で、好みはもっぱら古風な永久運動の器具とか、一粒で一日の栄養を満たす食品といったものに限られていた。
特許にも当然関心をいだき、鉛筆にまつわる無数の特許に感嘆し、有刺鉄線のアイデアに唸り、亀の子たわしの発明秘話に膝を叩くのだが、自身が考え出すものというと、電球の内側に銀メッキをほどこすとか、鍋の底に刻みを入れるとか、すでに考え出されたものばかりで、多少自信があった楕円形の傘は、折り畳むと形が妙で結局商品に至らなかった。
そんな時、シュリーマンの伝記に触れ、己れの一生も何か巨大な事業に捧げたいとひそかに考えるようになったのだ。当時は、戦後の復興も緒についたばかりで、増大する電力需要に供給が追いつかず、よく停電があった。そこで達也は目標をエネルギーに定めようと考えた。当初、達也は、風力、水力など、もっぱら自然界の力を利用してエネルギーを取り出す方法を模索した。海流とか潮の干満の差を利用して発電するアイデアが注目されていた時であり、水力を利用する方法が一番安全という話に特に心を引かれていたのだ。
けれど、ダムの建設に莫大なコストがかかるので、この点をどう克服するか、もう一人の達也は日夜知恵をしぼっていたのだが、無論そんなことを知る人は誰一人いなかった。唯、会社の内で、達也は「ボーヤ」という綽名で知られており、これはボーッと何かを考えていることから由来していたのだったが。
その頃、営業の仕事で関西に出張する機会があり、京都で、「琵琶湖疎水」というものを見た。湖の南端、大津と京都の山科を結ぶ運河で、インクラインとも呼ばれるものだ。この疎水は宇治川へつながり、やがて淀川に合流して大阪湾に至る。この時、達也の頭にひらめいたものこそが、その後の彼の夢の基になったものだった。それは、日本海の海水を琵琶湖に導き入れ、琵琶湖の水を太平洋に流すという大構想で、途中に巨大発電所をいくつも設けて、日本全国の電力を一気にまかなうという発想である。
このアイデアがうかんだ時、達也は全身の震えをおさえることが出来なかった。と同時に、この素敵なアイデアを誰にももらすまいと心に誓った。実現するためのプロセスが描けないうちに外部にもれ、大企業に横取りされては元も子もない。そして、シュリーマンの教えにしたがい、とりあえず、まず資力をつくることに専念し、機会をうかがおうと決心した。
シュリーマンは戦争の勃発という幸運にめぐり逢うことで爆薬の原料により莫大な財を手にしたが、小心の達也は投機的なことが大の苦手で、勤め先のおぼえも目出度くなく、預金通帳の数字はさっぱり増えないまま月日が流れた。結局固い男という表看板で勝負する外はなく、いたずらに無為の時間が過ぎ、内心の苛立ちは強まるばかりだった。しかし、捨てる神あれば……のたとえで、その実直さが見込まれ縁談がまい込んだ。資産家の娘というふれこみで、達也は小躍りし、見合いののち節子と結婚することになった。
結婚して分かったことは、たしかに資産家の出ではあったが、その頃はすでに事業に失敗し、かなりの借財をかかえているということだった。仲人口に騙されたとひどく落胆したが、明るい性格で、働き者の妻に達也はやがて気をとり直したものだ。
公衆便所を出ながら、結婚したての頃、こんな小公園が目の前にあるアパートに住んでいたことを思い出していた。長男が誕生するまでの間、夫婦共稼ぎで無我夢中の毎日が続き、子が出来てからは狭さからの脱出を目標に残業に精を出し、とにかく夢は一時おあずけという状態だったが、その甲斐あってやっと一戸建ての家を手に入れた時は、正直嬉しかったものだ。その喜びが長女の誕生に結びついたのだが、節子は一人で沢山と頑強に生むことを拒み、険悪な空気になった。
一人っ子の達也は、その淋しさを己れの子に味わわせたくなかったので、どうか生んでくれと懇願し、やっと娘の顔を見ることが出来た時は人並みの喜びに浸ったものだ。
どこかで犬が鳴いている。 歩きながら、この街はどうして人がいないのだろうと達也は思う。いくら深夜でも、あまりに人気がない。再びカーブを描きだす道へ足を速めた。
家族を養うことに忙殺されていた日々にあっても、達也は一日として夢を忘れたことはなかった。頭の片隅で、どうしたら実現させることができるかというシナリオを描いては消していた。
あまりにも巨大なプランのため、どこから手をつけてよいか妙案がうかばないまま歳月が流れた。家のローン返済の見通しもたち、多少生活にゆとりが出てきた年の秋、国政選挙のニュースが巷に流れた。職場へ立候補予定者が挨拶に来た時のことだった。口の悪い同僚が、「あの泡沫候補は自己宣伝のために立つんだ。なにしろ、公報も、テレビ出演も、無料なんだから」といった。

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