【第3回】プロフェット 岸本良久 ―(3) | マイナビブックス

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ゲームコレクター・酒缶のファミ友Re:コレクション3

【第3回】プロフェット 岸本良久 ―(3)

2016.06.08 | 酒缶

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3.グレていた頃をそのままゲーム化

 

酒缶 岸本さんはテクノスに入って最初に『くにおくん』を作っていますけど、『くにおくん』…というか、格闘ゲームを作るためにテクノスに入ったんですか?

岸本 いや、実際はテクノスに入る前に、データイースト(※1)という会社でレーザーディスク(※2)のゲームを作っていたんですけど…。

(※1) データイースト
かつて存在したゲーム会社・データイースト株式会社のこと。独特な感性のゲームを多数発売しており、神宮寺三郎シリーズや『メタルマックス』シリーズなど、今でも知られるタイトルを多数発売していた。

(※2) レーザーディスク
映像用記憶媒体として一時期主流だったが、録画することができず、DVDのような小型の記憶媒体が普及したことで役割を終えた。

酒缶 『サンダーストーム』と『ロードブラスター』(※3)ですね。

(※3) 『サンダーストーム』と『ロードブラスター』
どちらもデータイーストがアーケード向けに発売したレーザーディスクゲーム。1995年にエクゼコ・デベロップメントがプレイステーションとセガサターン向けに発売した際に2タイトルをカップリングしたせいか、2タイトルを合わせて語られることが多い。

岸本 この2タイトルのディレクターをやっていました。で、データイーストを辞めてから、ユニバーサル(※4)に入りました。

(※4) ユニバーサル
現在の株式会社ユニバーサルエンターテインメント。現在ではパチスロをメインに扱っているが、80年代はテレビゲームも多数取り扱っていた。1998年~2009年には、アルゼ株式会社。
公式サイト http://www.universal-777.com/

岸本 その頃は、レーザーディスクのゲームを作っていたので、ドット絵のゲームを一切作りたくなかったんですよ。

酒缶 あぁ(笑)。

岸本 本音として。やっぱり、レーザーだとすごいアニメーションが動いたり、実写が動いたりして、映像が色々できたので、レーザーのゲームしか作りたくなくて、実際、ユニバーサルに行く前にテクノスさんからも「来ないか」と言われていて、くにおくんの企画書を出していたんですよ。ユニバーサルに移った後、テクノスから「じゃあ、うちもレーザーディスクをやるから来ないか!」と言われて、3か月でテクノスに移りました。テクノスはレーザーをやる気はなくて、『くにおくん』とかドット絵の路線のゲームを作ることになりました。

酒缶 ユニバーサルに在籍したのが3か月だと、レーザーディスクのゲームは…。

岸本 いや、『ドンキホーテ』(※5)というわけのわからないディスクの後始末だけで…。

(※5) 『ドンキホーテ』
ユニバーサルが発売していたレーザーディスクゲーム『スーパードンキホーテ』のこと。

酒缶 後始末ということは、どなたかが作っていたタイトルに助っ人として入ったんですか?

岸本 いや、助っ人にもならないですね。3か月ですので(笑)。レーザーディスクは、データイーストが撤退して、セガさんも撤退して、ほとんど全部の会社が撤退していたのでユニバーサルに行ったんですけど、ユニバーサルも撤退して。テクノスは当時タイトーの下請けをしていて、タイトーと新しいレーザーのゲームをやるという話だったのでテクノスに入って、1ヶ月くらいはレーザーを作ろうと動いていたんですけど…。

酒缶 そこでレーザーを諦めてドット絵のゲームに本腰を入れたんですね。

岸本 そうです。『くにおくん』の企画はユニバーサルに行く前からテクノスに企画書を出していたんですけど、『くにおくん』の企画自体、テクノス以外では作れないことを最初からわかっていました。当時、人形をちゃんと動かせる会社はテクノスしかなかったんですよ。データイーストでは作れなくて、テクノスなら作れると思っていましたから。

 

 

酒缶 『くにおくん』ってどうして不良のゲームになったんですか?

岸本 最初から高校生の喧嘩ゲームを作ることがコンセプトだったんです。

酒缶 おぉ。ピンポイントに高校生の喧嘩ゲームを狙っていたんですね。

岸本 というか、私が高校の頃、グレてまして、それをそのままゲーム化した感じなんです。

酒缶 じゃ、公式サイトにある「熱血番長きしもとくん」は岸本さんの若かりし頃の姿ということなんですね。

岸本 その若かりし頃の写真を元に金子さんにドットを作ってもらいました。

酒缶 (笑)そうなんですね。ということは、『熱血硬派くにおくん』に出てくるキャラクターやバイク、建物も含めて「岸本ワールド」という感じなんですね。

岸本 そうですね。あの頃は私もドットをやっていたので、背景のドットの半分は私が作っています。

酒缶 岸本さんは元々グラフィッカーだったんですか?

岸本 いや、グラフィッカーじゃないんですが、あの頃のゲーム会社って、デザイナーは認められてなかったので、企画屋で会社に入るとドットもやらされちゃうんです。

酒缶 なるほど。ちなみにレーザーディスクをやっていた頃もグラフィック関係のこともやっていたんですか?

岸本 私がドットをやっていました。文字とか弾とか全部。あの頃のデータイーストはやり方が古くて、プログラマーと企画兼ドッターの2人でゲームを作るというラインだったんです。

酒缶 企画兼ドッターというのは辛いですね。今だとあり得ないですよね。

岸本 当時はドットを打つツールもなかったので、テーブル筺体が開発ツールになっていて、1ドットずつ打って、カセットテープに録音してデータをセーブしたので、セーブをするのに30分や1時間は掛かるんですよ。テーブルゲームを遊ぶような体勢でドットを打つので、1日8時間とか10時間とか仕事をすると、腰をやられちゃうんです。あの頃のデザイナーは猫背の人が多かったです。

酒缶 くにおくんがベルトスクロールというジャンルの起源で、その後のゲームでは横スクロールして進んで行くタイプになっていきますが、元々、キャラクターが横に向き合って殴り合うというスタイルを主軸にされていたんですか?

岸本 横というよりは、奥行きのあるフィールドを使った1対多数のゲーム、前にいるヤツを捕まえて、後ろのヤツに向けて放り投げるとか、そういったスタイルで遊ばせながら周りに囲まれている演出を作りたかったんですよ。そのため、現在のようなフィールドが出来ていったんです。

酒缶 その後のベルトスクロールのゲームでは、敵を1か所にまとまるように導いていって、その中から数人を誘き寄せてやっつけていくとか、敵とラインをずらして近付いて、ラインを合わせたと同時にバシバシと攻撃を仕掛けたり、そういった戦術が出てきましたけど、そういう遊び方は最初から想定されていたんですか?

岸本 戦術はないですね。奥行きがあるスタイルだとハメ技が出来ちゃうんですよ。『スーパーマリオ』のような奥行きがないゲームは計算されたフィールドじゃないとアクションゲームが成り立たないけど、くにおくんはユーザーが自由に組み立てられるようなアナログ的なゲームにしたかったんです。

酒缶 みんなが同じ方法で攻略するのではなく、人によって攻略が変わってくるような感じですか?

岸本 そうですね。ユーザーがどんどん発見できるような遊びを入れたかったんです。

酒缶 くにおくんは技が多いから人によって使う技が変わっていくと色々な戦略が出てくるんでしょうね。あと、くにおくんというとボタンとレバーの関係。『くにおくん』と『ダブルドラゴン』をやっていると、右と左の操作の概念がごっちゃになってしまうんですけど、初代『くにおくん』は右を向いているときに左のボタンを押すとバックアタックになり、『すぺしゃる』でもアーケードモードをプレイすると体験できるんですけど、一方で、向いている方向に対してパンチボタン、キックボタンで攻撃するというスタイルもありますよね。

岸本 最初の『くにおくん』も企画の段階ではキックとパンチとジャンプしかなかったんですよ。で、遊んでみると、左右に囲まれるので、右方向に攻撃、左方向にバックアタック、という感じで、遊びながら必要な要素を足していった、という感じです。企画段階では、パンチはパンチボタン、キックはキックボタンにしていましたけど、その操作方法は『ダブルドラゴン』でもやっています。

 

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