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ゴルフプラネット 第32巻

【第3回】正義は欠けない

2016.03.24 | 篠原嗣典

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正義は欠けない

 

 小さな不正だということで共感が得られるとでも思ったのか、期限切れの材料を使った製品を仮に食べてもほとんどの人の健康を害さないと、最初の謝罪会見で経営者は語った。

 

 実害がないから許されるという考え方は、ばれなければ何をしても良いという幼稚で身勝手な理論である。

 

 元従業員が過去の不正を語る。まるで自分が正義なのだといわんばかりに……

 

 何故、発覚する前に告発できなかったのか、という疑問や反省はそこに感じられない。不正を止められなかった連鎖の中にいた時点で正義はない。

 

 実行を伴わない正義はないのと同じだからだ。そして、正義は完全でなければ成り立たない。欠けることを許されないから正義を貫くのは大変なことなのだ。

 

 28歳でゴルフ業界から去り、小さな広告代理店に転職した私はそれまでのゴルフ業界での緩い社会人としての根本を叩き直された。毎日10回は言わされたことがある。

 

『企業の唯一の正義は利益である』

 

 サラリーマンではなく、ビジネスマンであるために、何が必要なのかを徹底的に叩き込まれた。ゴルフで培った自分の中にあった価値観も徹底的に否定されたが、それには他のものと違って抵抗があったのを見抜かれて、ゴルフは禁止になった。

 

 企業が利益のために起こした不正が発覚するたびに、私はあの頃の自分の立場を思いだし、正義について考えさせられる。会社のため、仕事の成功のため、利益のためであれば、何をどこまで犯して良いのだろうか。

 

 現在の私は完全にアウトロー状態で、正義を貫くのに障害になる柵はないに等しい。仕事を選ぶ基準にも、利益ではない正義を基準にして、人を困らせて、挙げ句に恨まれたりもする。それはそれで自分の選んだ道だから、青臭いとは思っても。後悔はしていない。

 

 ゴルフでは、欠けない正義が求められる。ある意味で、それが最低限の資格だとさえいえるのだから厳しい。

 

 周囲を見渡してみれば、ゴルファーとして認め合える仲間は例外なく互いに正義を貫こうと努力している。正義は尋常じゃない努力というエネルギーの上に成り立つ。だから、そういう中では、不正は目立つし、不正に繋がっていくような小さな油断や無知もくっきりと浮き上がる。

 

 欠けない正義を意識することは、ゴルファーにとって隙を作らないことに繋がっていく。だから、社会人としての基本であるホウレンソウ(報告・連絡・相談)なども、不思議なことにしっかりとしたゴルファーであるほど完璧であることに驚かされる。

 

 恥ずかしい話だが、私は20代の頃はホウレンソウがきちんと出来ない適当な部分を持っていた。まあ、どうにかなるか、という甘えた慢心を撒き散らして、失敗しても深い反省などしていなかった。

 

 先輩の中には、ゴルフが上手くとも、そういうところが駄目な人間はゴルファーとは言えない、と叱ってくれる人もいたが、結果オーライで大きなトラブルにならなかったことを良いことにして、真剣には受け止めていなかった。

 

 隙だらけで未熟だった私は、それに伴って発生する厚顔無恥ゆえの傲慢さが度胸のあるプレーに繋がったりするプラスはあったかも知れないが、明らかに緻密さとは縁遠いプレーをしていた。

 

 時々、振り返りながら思うのだが、あの頃、欠けない正義についてもう少し真剣に反省することが出来たら、競技ゴルファーとしての自分の歴史はもっと充実していたと思えてならない。

 

 自らが経験したことだからよく分かるのであるが、結局、ゴルファーが精神的な意味でステップアップするのは、自分の準備が整っているというか、受け入れる体制が出来上がっていなければ駄目なのだと思う。

 

 そういう意味で、私にとってゴルフ業界から離れ、一時的にでもゴルフをしづらい環境になったことも、今となっては全て現在のゴルファーとしての自分を高めることに強烈に役立ったと言える。

 

 ゴルファーという概念は、そのまま正義に置き換えられる。ゴルファーもレベルアップするほどに、欠けることを許されなくなるからだ。

 

 そういうことを息苦しくて不快だと感じるか、辛いけど快感もあると感じるか、まさに資格を問われているのだと思う。

 

 ゴルフスイングでも、課題として取り組んだものがきつくて、違和感があるものほど、良薬口に苦しで、高い効果を期待できたりもする。

 

 次第に苦しさも違和感も薄れる。しかし、慣れすぎれば、それは弛みとなってマイナスになる。ゴルフスイングに完成はない。常にチェックをして、メンテナスやバージョンアップをしなければ錆び付いて使えなくなる。

 

 ゴルファーとしての心構えも全く同様である。ゴルフは非日常で、だからこそ、本当の自分を確認するために続けるのだと言う人がいる。それも一つの道だろうと思う。

 

 日常では、多種多様な価値観の中で、複雑に絡み合う内に歪んで、欠けてしまった正義しか存在できないのかも知れない。それを嘆いても何も変わらない。

 

 ただ、ゴルフに触れている人の前には、ほんの少しの勇気と覚悟があれば誰でも入れるゴルファーとしての世界の入口があることは幸せである。そこには欠けることが許されない正義が生きている。

 

 不正に大も小もない。ほんの小さな油断や慢心が不正の芽になることを忘れてはならないのだ。右も左も真っ暗闇の中でも、信じてさえいれば、ゴルフは一筋の光となって私たちを導いてくれる。

(2007年1月26日)