まえがき
32巻は2007年に書かれたものです。愛すべきゴルファーが次々に登場し、ゴルフな出来事にゴルファーとしての心が揺さぶられたりする話が並んでいます。
2007年はずいぶん前だと思いますけど、驚くことに1月と12月に食品偽造の話題がテーマになった話があるのです。別々の事件のことなのです。1年の内に、2回もそういうことがあったわけです。
6年が経過した今年、外食産業は訴えられたら詐欺になるような偽装を公表して、次々に謝罪しました。反省を活かせない悲しさを読み返しながら痛感しました。
2秒をテーマにした話も複数出てきます。
これはそれぞれ全く違う話です。 当時は意識していませんでした。大病から復活したとはいえ、こういう同じテーマや題名を近い期間に載せているのは、短期記憶に障害があったからかもしれません。
ゴルフへの想いが目一杯詰まったのが、32巻なのです。気軽に読んで笑うのも良し、真剣に読み解いてため息をつくのも良し。楽しみ方に決まりはありません。
読み終えたときに、少しだけでも読む前よりゴルフが好きになってもらえれば本望です。楽しんでください。
(2013年12月)
年賀状
高橋三千綱の小説の中で、ゴルフ嫌いの人にゴルフの素晴らしさを説明することは、英語に興味がない人に英語の辞書の教材を売りつけるぐらい無駄なことだと書かれた部分があったように記憶している。
高橋自身、バリバリのアスリートだったのでゴルフなんてジジイの散歩だとバカにしていた口だったが、大きな手術をした後、体力が低下して運動が出来なかったことからリハビリにゴルフをすることになった。ゴルフをした瞬間、虜になり、35歳を過ぎてからプロになろうと研修生としてゴルフ場に入門したことすらある。
一芸に秀でるという人は…… すごい…… 変わっているのである。
私自身あまり記憶がないのだが、中学高校にかけて周囲にゴルフの面白さや素晴らしさを啓蒙しようとしていたようだ。
昭和50年代において、中高生がゴルフをすることは極めて稀だった。だから、年寄りの遊びだという目で見られるよりも、珍しいものと見られたり、やや羨ましい視線で見られたりしていた。それでも、その啓蒙は上手くいってはいなかった。時代がジュニアが気軽にゴルフをすることを許してはいなかったし、私自身が人にゴルフを薦められるほどのゴルファーにはなっていなかったからだ。
私の周囲の友人たちには、私がゴルフをしていたという事実や、試合に出るために在学証明をしょっちゅうもらっていたことなどが記憶されただけだった。
時は流れて平成だけでももうすぐ20年。年賀状を見るたびにかつての同級生たちがゴルフを始めたことやゴルフの悩みについてのコメントが増えている。
今年も例外ではなく、一緒にゴルフをしてみたいとかねがね思っていた友人からも『とうとう昨年よりゴルフを始めました。諸々よろしくお願いします』というメッセージが書かれた年賀状が来た。
どのように対応するかは考慮中である。本当に必要だと思えば、迷わず動くことを信条としているので、そういう意味ではあまり重要ではないという位置付けなのかも知れないし、過去にこういうケースで積極的に連絡をしたら迷惑がられたというトラウマがあるからかも知れない。いずれにしても、考慮中というのは、放置しているのと同じことで少し心苦しくはある。
年賀状のメッセージというのは、本音が分かりにくいものである。
まあ、年賀状でしかやり取りがない友人や知り合いがたくさんいることを考えれば、まずはアクティーブな動きを見せ、その辺りの解消を図ることが大事なのだろうが……
後輩の結婚の報告もあれば、先輩の離婚の報告もあり、100を切れないという嘆きもあれば、クラチャンになったという喜びも書かれているのが年賀状である。
色々な刺激を受けながら、自分も今年誰にも負けないように頑張るぞ、と気合いを入れるのが正しく、それでこそ年賀に相応しい。
正確には分からないが、同級生でゴルフをしている方が過半数になった感触はある。多数派になることに特別な意味はないけど、孤軍奮戦していた頃を思えば、やはり嬉しいことではある。
とは言え、ゴルフをする人間にも色々いるわけで、最初の入り方が悪いとそれはそれで大変だったりすることも間違いない。
自ら望んで突き進んだ道とは言え、間違ったことを平気でやっているような適当な奴らにヘラヘラ合わせてお愛想で済ますことが、ことゴルフに関しては出来ないから、余計に大変である。つまりは、ゴルフが絡むものだと誰に会うのも覚悟がいるので、先延ばしにしたり、情報集めをしたりしているのである。
気軽に啓蒙しようと思えた頃が懐かしいと思う反面、覚悟を固めて会おうと思える友人がゴルフを始めたと知ったことも嬉しい1月なのである。
(2007年1月12日)