【第3回】瞑想 | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

ゴルフプラネット 第31巻

【第3回】瞑想

2016.03.04 | 篠原嗣典

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

瞑想

 

 瞑想してゴルフにプラスがあるかどうかは分からない。私は、瞑想について語れるほど、その分野を極めていないし、勝手な解釈はしているものの瞑想そのものにはあまり興味を持っていないからだ。

 

 無我の境地に入るということには興味はある。それはゴルフでも感じることがある。

 

 例外なく、そういうときは、凄く良いストロークが出来ている。

 

 前後を逆に考える人もいる。良いストロークだから無の境地を感じるのだと。でもそれは勘違いである。冷静に分析すれば、99%アドレスで無の状態になって、それすら意識できないぐらい良い状態だから分からないだけである。

 

 アドレスで良いショットの予感があることがあるが、それは、そのような無の状態を無意識に記憶していて、それと同じ状態だと瞬間的に思うからだろう。

 

 アドレスした状態で使えない瞑想のテクニックなら意味がないと思うから、私は座禅をするような瞑想に興味がないのだ。

 

 とは言え、メンタルトレーニングは極めれば極めるほど、瞑想のような東洋的な精神世界に近づく傾向があることは、21世紀になってさらに明らかになってきてもいる。

 

 宗教と科学の関係も近くなっているぐらいだから、現代に生きる私たちにとって、そんなことは当たり前、実は昔から決まっていたことなのだと納得するのが正しいのだろう。

 

 唐突だが、子供の頃からゴルフを始めたゴルファーは、一部の不幸な例外を除けば、驚異的にゴルフの技術を会得する。先日のハワイアンオープンで話題になった高校生タッド・フジカワも、本格的なゴルフ歴は4年だという。4年でプロと同じフィールドに立てるということを理論立てて説明するのは難しい。

 

 私は昔から子供がゴルフを素早く会得しやすい理由は、失敗を恐れず、自分を疑わない純粋な心が原因ではないかと思っている。

 

 私自身、子供の頃からゴルフをしてきたので、いわゆる無の境地と純真な心がかなり近いものであることを体験している。また、普通、ゴルフは経験がプラスになるものなのに、年齢が上がるにつれ、経験や知識が無の境地に入ることを邪魔することも体験してきた。

 

 例えば、若い頃は、肩の力を抜き、手の平の力を抜くだけで、アドレスの中で無を生むコツのようなものを武器にしてきたが、30代の半ばから、それだけでは同じレベルまで心を静めることは無理になった。

 

 工程が複雑になるほど、アドレスに組み込むのは難しくなる。今年の私のゴルフのテーマの一つは、心を静めるアドレスを可能にする単純な何かを見つける、ということだ。

 

 それは呪文のようなものなのだ。言葉は少し違うが、恐怖を無くすための暗示が、無の境地のアドレスの最終的な目的だからだ。

 

 ブルース・リーではないが、考えるのではなく、感じることである。

 

 私は現役の頃ボールを飛ばしたいときに、軟らかくてビュンビュンしなる鞭をイメージしてスイングしていた。はまれば、ドライバーだと20~30ヤードは距離が違うほど飛ぶこともあった。これは、叔父が教えてくれたワザだった。

 

 時間の流れと共に、そのイメージではボールを飛ばすことは出来ず、何度も失敗したことで、失敗を呼ぶマイナスの暗示にしてしまった。

 

 イメージが通じるのは、宇宙戦艦大和の波動砲のように1発勝負の必殺ワザ的な使用に限る。例えば、練習場などでも10球もやれば、効果は薄れてしまう。集中力が維持できないからだろう。だから、練習も数発しかできない。たくさんやれば、本番の分が薄くなる。

 

 昨年末に、私は現在の自分に有効ないくつかの暗示がラウンド中でも再び機能することを発見した。それだけでも、ラウンドする楽しみは増す。

 

 イメージでボールの結果を変えていくことで条件が一つだけある。それは『義』を重んじ、恥がないことである。澄んだ心でなければ、イメージを用いた力は出せない。そういう意味で後ろめたさや妙な見栄などは邪魔をするのだ。

 

 ちなみに、私が40歳を過ぎてからも効果があったイメージというのは…… 資格がある方の潜在意識に向けて送ったので、感じてみて欲しい。

(2007年1月25日)

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン