○けれどかならず朝はくる
結衣殺人未遂?のその夜―。
時計は深夜2時を過ぎていた。
先ほどまで泣きじゃくっていた結衣がようやく寝たのを確認すると、私は結衣の父親に怒りのメールを送った。
『結衣の担任の先生と話しました。このままだと、留年するって。一学期の個人面談の時にその話を聞いたそうだけど、なんで、隠したの?その時、言ってくれてれば、何か手をうてたはずじゃないの?結衣は泣いてるだけで、私一人じゃどうすることもできないよ。一度、結衣と話し合ってください』
無責任すぎる。留年になるかもしれない…と注意されながら、放っておくなんて。
それでも…。放っておくはずはない。
留年の話を担任から聞いても大丈夫だろう、と軽く考えていたのかもしれない。だから、担任から電話があっていよいよ危ない、となれば、まさか、結衣と話し合って予備校でも行かせてなんとかしてくれるはず。
離れて暮らしていたって、結衣の父親だもの。
私は期待を込めてメールを送信した。
今度こそ。きっとなんとかしてくれるはず。
以前から、子供は可愛がるが、面倒な事は手を引いてしまう人だったけれど、父親なんだもの、心配の一つはするだろう…そう信じていた。
彼からの返信は、驚くほど早く、それは私を落胆させるに十分な内容だった。
『結衣の人生です。留年になりそうなのに、大学、大学と言われれば、あの子だって反発します。優しく見守ることは出来ないんですか?』
こうゆうことか…。
優しく見守る…って何だろう? 大学に行け!とも言っていない。ただ、今のままだと留年してしまう、だから、一緒に考えよう…と頼んでいるだけなのに。
私は、怒りにまかせてメールを打ち返した。
『このまま手をこまねいて、優しく見守ってたら、高校三年生に上がれない。結衣はきっと学校を辞めるだろう。それでも、結衣の人生だ、と言っていられるの?今なら、なんとか間に合う。助けられるかもしれないんだよ。子供のことなんて…』
そこまで打ち終えて、私の指は止まった。
「どうでもいいや」
打ちかけのメールを、「削除」する。
配達されないメール。やるせなさだけが心の中を彷徨う。
なんで私が一人で背負うのよ…なんで…父親のくせに。
結衣が可愛くないんだろうか。
結衣の将来はどうでもいいんだろうか。
「優しく見守って」いたら、どうゆう結果になるか、この人は本当にわからないのだろうか。
私だって、それどころじゃない。自分のことで精一杯。
なんで、結衣は普通の子たちが出来ることができないの?
留年するほど、なんで勉強ができないの?
なんで?なんで?なんで?
子供の成績がわるいと、親まで否定されたような気持になってしまう。
またその反対に、成績優秀の子を持つ親は羨望のまなざしを受け、特別な存在になったような錯覚を起こす。
自分たちの未来に、一片の陰りも無い。そう信じるものだ。
私に突き付けられた落ちこぼれの娘の現実。
「勉強しないから勉強ができないんだ」
そう言うのは簡単だけど、そう言って手をこまねいていていいのだろうか。
どうにもならないで、泣きじゃくっている結衣は、本当に留年を望んでいるのだろか?
その時…
「助けて」という声も上げられず、必死に崖っぷちに指を掛け、落ちゆく時間を待っている結衣の姿が脳裏に浮かんだ。
誰も、結衣に手を差し伸べていない。
真っ暗な闇の中で、結衣はずっと一人で、こうして耐えてきたのではないか。
結衣の手を握れるとしたら、その手を握って離さないとしたら…。
それは、母親の私しかいない?
いや。私しかいない!
そこに、父親の大きな手が差し伸べられなくても、私がいる。
窓の外は、もうすぐ夜明け前だというのに、真っ暗だった。
夜明け前が一番、暗い―。
私は、心の中で結衣の手を握った。
○言葉は伝わる
結衣の本心を知る前に、私は自分の心の中を伝えよう…そう思った。
起きてきた結衣の首には、昨夜、私に首を絞められた跡がはっきり残っていた。
結衣は、まったく私と目を合わせないまま、トーストを頬張って、テレビの朝のニュースを一心に見ている。
話そうにも、絶対、受け付けません!オーラが出まくっていてつけ入るすきがない。
ほとんど、会話もないまま、結衣を学校に送り出したあと、私は携帯電話を開いた。
メールで決着をつけるつもりはなかったけど、自分の気持ちを伝えたかった。
結衣の耳は、まったく閉ざされているのだから、目でわかってもらおう。
そう思った。
私は、自分の心をメールに託した。
【夕べは、ひどいことをしてごめんなさい。やりすぎました。パパは、結衣の人生だから、留年しても優しく見守っていこう…と言うけれど、ママは優しく見守るなんて出来ない。結衣の事が大切だから。留年はまだ決定したわけじゃない。今からでも間に合うよ。結衣が頑張るというのなら、ママはなんでも協力する。だから…あきらめるのは、まだ早いんじゃない?】
そんな内容のメールだったと思う。
こんなメールを読んだ瞬間、ごみ箱に捨てられちゃうかもしれないな…。
私は、結衣からの返事など期待していなかった。まったく。ただ、少しでも伝わってくれれば…。
その日の夕方…思いがけずに、結衣からメールの返事がきた。
【メール、ありがとう。昨日はあたしもわるかった。留年しそうなほど勉強をさぼっていた事、ママに怒られると思って、怖くて言えなかった。自分が情けなかったし。勉強が全然わからないのに、大学進学の話をママに言われて、どうしていいかわからなかった。だから、どうでもいい、なんて言ってしまいました。あたしも、留年なんてしたくないです。一生懸命、頑張るから…協力してください】