【第8回】山口県 合わせ鏡で偲ぶ、毛利家の威光
2016.03.08 | ナリタマサヒロ
毎朝、何気なく、鏡を見て思うことがある。
我々は、自分の顔を直接、見るという機会を得られないのだ。
いつも見慣れている顔は、鏡に映った顔である。写真や映像に撮られた顔も、フィルムがCCDに写し取られ、印画紙やスクリーンに映し出された表情に過ぎない。
これは、意外なことではないか? と、感じるのは私だけであろうか?
それと同じようなことが、歴史の中で失われた姿や往時の威光を偲ぶ時にも、時として、起きている気がする。