【第0回】はじめに | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

こーちゃんは今日も台湾で元気だ。いつもお母さんに、「こーちゃんのお話、聞いて」とお願いする。しかしお母さんは忙しくて聞いてくれない。仕方がなくお姉ちゃんにちょっかいを出すと、すぐに怒鳴って恐ろしい形相で説教される。

そんなこーちゃんも少しずつ台湾を好きになったし、台湾にいる幼稚園のお友達とも仲良くなった。それでも帰国前一か月くらいになり、私が「もうすぐで日本に帰れるよ」と言うと、うれしそうだったこーちゃん。日本が恋しくて仕方がなかったらしい。だけれども帰国二日前に幼稚園や日本人学校を離れた時は、こーちゃんもお姉ちゃん二人ともさみしくて感情的になってしまった。

お姉ちゃんは中国語が分からないことが精神的に負担だったようだ。日本人学校でも一週間に一時間は中国語の授業がある。テレビを見れば中国語か台湾語の番組ばかりで内容が理解できない。お姉ちゃんが数チャンネル映る日本語の番組の一つを見れば、母親に「せっかく台湾に来て日本のつまらない番組ばかり見て。たまには中国語の放送で中国語でも勉強すれば」と、棘がある言い方をされる。お姉ちゃんはそんな母親が好きな番組である台湾版「渡る世間は鬼ばかり(風水世家)」に付き合わされるが、母親がドラマを見ながら独り言を言っているのを聞いて、この登場人物は善人、これは悪人だと分かっても、どんなストーリー展開になっているのかが分からない。

こーちゃんは、お姉ちゃんに輪をかけて台湾のテレビが大嫌い。アニメでも中国語放送だと内容が分からないため、こーちゃんは、お母さんがテレビを見ていると、わざと「パソコンとテレビをつないでよ。ゴーバスターズを見るから、テレビを消して!」とわめいて、YouTubeを表示させたり、ゲームをするときボリュームを大きくしてテレビの音を聞こえなくさせたり。

しかし今は家族にとって無事に帰国できたのが一番の幸せ。帰国してから二週間で台湾から船便で送った荷物が家に届き、こーちゃんは日本にいた兄弟に、台湾で買ったおもちゃをどこで買ったのか、どのように操作するのかを説明しては喜んで遊んでいた。お姉ちゃんも、日本で通学している小学校で一番中国語が上手であることが自慢(あれだけ台湾では中国語ができないと落ち込んでいたが)。結局、二人とも帰国後日本での生活にも慣れて、台湾での生活が自分にとってはいい思い出になりつつある。

母親の私にとっては、仕事のために台湾に来たという圧力もあったが、一方で日本での生活とは異なり、子どもとゆっくりと夕食をとる時間が作れたことが何よりうれしいことだった。台湾に連れてきたのは二人の子どもだけで、日本では仕事から帰ると私一人で四人の子どもを見る場合も多かったからだ。こーちゃんは三番目で、その下の四番目が二歳のため、帰宅後もこーちゃんにはあまり関心を向けられなかった。しかし台湾では夕方から子どもとゆっくりと過ごす時間を得た分、夜中に一人でパソコンに向かったり、毎日朝四時半に起き仕事をしたりと、日本にいる時以上に慢性睡眠不足で疲れてしまった。帰国前一カ月はバスや地下鉄に乗れば、すぐに熟睡してしまうほど疲れ切っていた。

私の母親は脳に出血がある上、心臓にも問題があったため、台湾へ行っている間、こーちゃんのお世話をお願いできなかった。さらに、私の妹も事故で意識不明の重体という状況が一年続いていたこともあり、結局こーちゃんを台湾へ連れて行くことにしたのだ。

親の海外赴任で子どもが初めて台湾に来た場合、必ず口にするのが「疲れる」「早く日本に帰りたい」という言葉である。台湾に疲れただけでなく、新しい幼稚園、学校に慣れないということでもある。帰国二週間前までは、慣れない幼稚園、日本人学校に通う子ども二人のために、私は気をつかったが、帰国十日を切ると、私主導で、「もう日本に帰ることができるのだから、しっかりしなさい」と。

親の仕事で、ずっと日本で育てていた子どもを突然海外の生活に放り込むのは簡単ではない。わずか三か月半の滞在だったが、子どもが台湾での生活をいい思い出にしてこれからも成長していくことを母親としては願いたい。

韓国では父親を置いて(韓国で働いてもらって)、母子で英米圏に英語留学をして長期滞在するという話を聞くが、膨大な費用と父親の孤独を犠牲にしても留学することに感服していた。子どもが英語をマスターできれば国際社会で活躍するのも問題ないと、その子どもを羨ましい目で見ていた。しかし、もしかして最初の母子の苦労は大変大きいものだったのかもしれない。子どもが現地の学校生活に慣れず(日本人学校に通った私の子どもさえカルチャー・ショックがあり、帰宅後の現地の生活にも慣れなかった)全然勉強に打ち込めず、韓国に帰りたいと言ったら、母親も大きな犠牲を払っての生活ゆえに、子ども以上にストレスを感じてしまうだろう。

外国で暮らすということ

 

子どもが台湾に慣れるのは遅い。多くの人に聞いても、一年半くらい経って、「台湾っていいかも」と子どもが言い出すという。子ども自身も覚悟して台湾に来るが、最初はどんな生活になるのか分からず、早く台湾での生活に慣れないといけないという葛藤があるよう。少しずつ幼稚園、学校での生活を通して台湾を知っていくと、台湾を好きになるという。

こーちゃんは暑い盛りの台湾にやって来て、一歩外に出ると日差しの強さに辟易し、食べ物も香辛料の使い方が独特であるため、セブンイレブンのおにぎりやマクドナルドなどがお気に入りだった。お姉ちゃんも海外での生活は初めてで、夏の暑さと慣れない学校生活を嫌がっていた。

しかし二カ月を過ぎる頃から、こーちゃんもお姉ちゃんも台湾の食べ物がおいしいとだんだん慣れてきたが、私の方は台湾に来てから子どもが過剰に感情的に生活の問題を訴え続けるために疲れていた。こういう時は、小学生、中学生の子どもだと、「お母さんも、時にはマッサージや美容院に行ってくれば?」と優しい言葉をかけてくれたり、肩もみもしてくれるだろう。しかしこーちゃんの年齢だと、母親に対して「早くジュースを買ってきて」「ママ嫌い」と次から次へと注文を付けたり文句を言うだけだ。しかしまだまだかわいい年頃だけれども。

子どもが二人いる場合は、子どもを一人連れてくるより兄弟でホームシックや慣れない生活に対応できるのでいい反面、やれ風邪をひいた、虫に刺された、転んで擦りむいた、疲れた、と二人の子どもの体調のケアは大人以上に大変である。しかも台湾での生活のストレスから兄弟で殴り合いのけんかをすることもあり、兄弟げんかの仲裁をするのも大変だ。また兄弟の片方が「台湾は嫌だ」と泣きわめけば、もう片方も、ここぞとばかり「台湾は嫌だ」と叫ぶので、収拾がつかない。これに対する対処法はあるのだろうか。

台湾での子育てについては、ブログで生活の模様を公開している人も少なくないし、子育て関係の本がないわけではない。本書は台湾での子育て奮闘記で、主に台湾の高雄市での子育て資源を紹介する。高雄市に滞在し、平日は仕事、娘を台湾の幼稚園、日本人学校で学ばせ、その上で週末に子どもを地域の子育て関連施設に連れて行った記録でもある。今回滞在したのは高雄市だが、台北市の方が子育てセンターなどが充実している。本書では、台湾で幼児と小学生が生活するにはどのようなことが必要であるのかも紹介していく。

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン