物事というものは、見る角度によって、まったく違って見えるから不思議だ。
例えば、忠臣蔵を見る時、通常、我々は、善玉・赤穂藩、悪玉・吉良家という構図で眺める。
すると、赤穂浪士たちが討ち入ろうとする吉良家の背後には、上野介の息子・綱憲が養子に入った大藩・米沢藩が控えており、容易には手出し出来ない脅威として映る。
しかし、この綱憲を養子に迎えたことで、本当に首が繋がったのは、実は米沢藩の方であった。
たしかに、上杉家といえば、謙信以来の戦国きっての精鋭軍団であり、その後継者となった景勝もお家騒動を退け、豊臣政権下では、五大老の一人に列せられ、堂々の120万石で会津若松に封じられた。