3.愛情だけで作りました
酒缶 『有野の挑戦状』シリーズ(※1)に収録されているゲームの発売日が、実際に発売された同ジャンルのレトロゲームの発売日と同じになるようにしてありますけど、あれは子どもの頃に発売日を覚えたことが元になっているのですか?
鈴井 もちろんです。あのこだわりはゆずれなくて……当時、ファミ通さんとかファミマガさんを見ていると、必ず未来に夢を馳せられる新着情報のページがありましたよね。『ファイナルファンタジー』の1作目で天野喜孝さんの「タイムボカン」(※2)っぽいデザインの開発中の画面写真が掲載されていたことをすごく覚えています。
鈴井 当時のファミ通とかファミマガとか取ってあったんですよ。気に入った号だけでなく、付録もビニールに入れて貯めていて、大人になったら開発資料に使おうと思い、スクラップして集めていたんです。自分の80年代のすごくワクワクして楽しかった思い出をこのゲームに全て入れたかったので、ゲーム雑誌の中のたかだか発売日のおまけみたいなリストであっても妥協できません。ゲーム名も「この時期にこのタイトルはないよね」とか言いながら、リスト分の何十倍もネタ出しした候補の中から選りすぐられたゲーム名を名付けました。
酒缶 鈴井さんは当時ゲームにどっぷりの環境だったからいいけど、他の開発スタッフの年齢層ってどうなっているんですか?
鈴井 僕ぐらいの年齢の人間が1/3くらいで、1/3が若手、残りの1/3がその間の年齢層です。そこで何をしたか。まずはみんなで2日間くらい大発表会。ファミコンソフトを今日みたいに全部持ってきて、「僕の懐かしかったファミコン」と題して、各スタッフがピックアップしたゲームを、お茶菓子を食べながらプレゼンしました。「このドット絵のどこがすばらしいかわかる?」と訊いたら20代の子が「さっぱりわかりません」とかね。
酒缶 プレステの最初の頃にドット絵の文化が消えかかっていたのが、iモードの躍進でドット絵が復活し、今ではドット絵もかなり進化したじゃないですか? でも80年代のドットって違いますよね。その辺りはどうしたんですか?
鈴井 指導しましたね。本当のファミコンのスペックと同じ仕様でしか作れないという縛りで絵を描いていました。もっというと、模写してもらいましたね、いっぱい。ファミコンとスーファミ時代の名作ゲームのドット絵を沢山模写で描いてもらって、「ここのドットが違うよ」「このアニメが違うよ」「ここにこだわるとカッコ良くなるよ」というのを何週間かやってもらった上で、実際のゲームのドットを描いてもらいました。もちろん最終的には色数的にもスプライト能力的にもウソをついているところはありますが、可能性としての正しい美化でやってます。そうやってこだわってファミコンテイストになるようにわざとやっている表現に対してバグ報告をされちゃったんですが……信じられなかったです(笑)。
酒缶 『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』の1作目はファミコン時代風に見えたんですけど、2作目の方が時代的には後になるんですか?
鈴井 1作目が「ゲームの続編」をテーマにしたソフトの歴史をやっていて、2作目は「ハードの80年代の歴史」をやったんです。なので、同じ80年代なんですけど、1作目は『からくり忍者ハグルマン』という架空のゲームが、1、2、3と登場(※3)し、進化している流れを見せていて、2作目はゲームボーイ風の白黒のゲームが出てきたり、ディスクシステムらしきものが出てきたり、スーファミっぽいものが出てきたり、そういう80年代、90年代前半に出てきたハードの歴史を見せています。
酒缶 すごく楽しそうですね。
鈴井 楽しかったですよ! 大変でしたけど(笑)。2作目には『デーモンリターンズ』(※4)というゲームが出るんですけど、最後にはスーファミ風バージョンを作ることが決まっていたので、ファミコン風のドットで可愛く描いていたのを16色で奇麗に描かなくてはいけないんです。
鈴井 拡大回転縮小でロゴが出てくるようなスーファミの最初の頃にあったような演出を全部入れなくてはならなくて、「この期間で間に合うんですか!?」とみんなに言われて、1番この内容を作るのに適したスタッフを集めて「ベストを尽くそうよ!」って。根性だけで作りました。中身を詳しく知らない人にはミニゲームって言われてしまうんですけど、ちゃんとオープニングもエンディングも入っているし、タイトル画面もあるし、ステージも豊富です。ミニゲームではありません。
酒缶 4つの挑戦を達成すると次のゲームが遊べるようになるのでミニゲームっぽく見えるんですけど、実際にはそれぞれ1本分のゲームとしてまとめられていますよね。
鈴井 まるまる遊べますからね。
酒缶 恐ろしいですね。
鈴井 恐ろしいですよ。2作で計22本のゲームを作りましたけど、人生で十分かと思うくらいのエンディングを作りました。オープニングもスタッフロールもタイトル画面も作りましたし、パッケージやカセットのラベルや取説も作りましたし、ゲーム内に登場する雑誌の記事も攻略記事も書いて。ゲームを作っていて変な気分になったんですけど、ゲーム業界の頭からケツまで全部を経験できたんですよ。攻略記事を作るときは、記事を作るスタッフに仕様を見せて攻略してもらいましたしね。
酒缶 でも、攻略する時点でゲームは完成してないんですよね。
鈴井 それがすごく辛いんですよ。最後はデバッグが始まってから記事を書くこともあったんですけど、記事の構成は決まっていて、裏技特集も告知が出たり発売が延期されたり、号ごとに何が起こるか決まっていて、主人公たちの会話まで全てが連動するようになっていて、一つでもずれちゃいけないような作り方をしたので、整合性を取るのがすごく大変でした。でも、基本年表を作って、世界を全部まるっと作れたのはすごく楽しかったです。
酒缶 主人公とありの少年がいる下画面のまったりとした雰囲気(※5)がいいですよね。下画面だけでも楽しめますし。
鈴井 音声セリフも尋常じゃないくらい入ってますからね。有野さんが5時間も6時間も頑張ってくださって。渡した台本が何十ページもあるのに、「かあちゃん、カレー!」というセリフがあったとしたら、「かあちゃん、ジュースもな」とか、「かあちゃん、カレー……やっぱやめたわ」と、どんどんアレンジしてくれるのが面白すぎました(笑)。収録が終わった時にはどうやって使おうかというくらいの量になってしまいました。1000とか2000とかのセンテンスがゲームに入っているので、音声だけでものすごく友達のうちにいる気分になりました。
酒缶 いいタイミングでしゃべりますよね。
鈴井 いいタイミングでしゃべるように判定する仕様とプログラムがものすごく大変なんですよ。だけど、有野さんが作って下さったいろんなネタを訊いていたら入れたくなって。台本にはなかったんですけど、マップ画面の曲に合わせて鼻歌を歌ってくれたりして、「これどこに使うの~」って感じで(笑)。絶妙なタイミングで、何歩歩いて何分の一の確率でどう鳴らすとか1個ずつ定義したんですけど、チェックするデバッグがものすごく大変でした。でも、すごく臨場感が出たのでやってよかったと思いますよ。
酒缶 そう訊くと改めて遊びたくなるけど、作るのは本当に大変そうですよね。
鈴井 僕自身が中学生の頃、本当に楽しかったという思い出がなかったら、作ってないと思います。
酒缶 懐かしさと、番組で有野さんが挑戦することの疑似体験をコラボしたというか……そのコンビネーションがいいですよね。
鈴井 絶妙でしたね。打合せの時、「上画面がレトロゲームで下画面が部屋の中で、その部屋で遊んでいるゲームを上画面に出ているという姿で、架空の80年代の設定で、挑戦しているところが番組と一緒だよ」という落書きをしながら、探りを入れながら提案したら、「早く企画書を書いて番組スタッフの方に話に行こう!」ということになったのですが、企画書を書いてみたら意外とボリュームがありました。「これを成立させるためにはこんなにいっぱい作らないといけないの? 信じられない! でもやっぱりやらないと面白くならないし、当時を再現したいし、有野さんも気に入ってくれているし、やろう!」といういろんな意味でボランティア精神もあふれるタイトルです。愛情だけで作りました。
酒缶 愛情は十分感じました。実際に作られた「ゲームファンマガジン」(※6)にも愛情を感じるのですが、これはいつ作ったんですか?
鈴井 2作目を作り始めた頃です。だから、2作目の隠しネタがあるんですよ。小梅版ROM(※7)がもらえることを書いているんですが、これは本当に2作目に入っているんです。
鈴井 『無敵拳カンフー』(※8)の師匠と弟子の会話も入れているんですけど、誰も指摘してくれません。
酒缶 だって……。
鈴井 これ、500部しか刷ってないですもんね。
酒缶 1作目を作っているときから「ゲームファンマガジン」を作る予定はあったんですか?
鈴井 予定は全くなかったです。1作目が終わってから、当時ビーワイルド、現在、ガスコイン・カンパニーの、番組のプロデューサーの菅さんから「イベントに参加して下さい」という相談を受けて、「じゃ参加します」と。で、「みんな何か作って売るので、インディーズゼロさんも何か作って売って下さい」と言われたので作ったんです。
酒缶 ゲーム画面そのものはほとんど掲載されてないですよね。
鈴井 よくゲーム雑誌で特集されている、開発秘話的なインタビュー記事とか「設定資料初公開!」みたいな感じにしたかったんです。イベントに来られる番組のファンの方はこのゲームを買って遊んで下さっているので普通のゲーム紹介が載っていても面白くないだろうと思いまして。これ、メチャクチャ大変だったんですよ。徹夜しました。仕事をしながら夜にこれを作ってましたから。制作期間は2週間を切っていて、この会議室でスタッフにインタビューをしたら今日みたいに盛り上がっちゃって(※9)、「これを2ページにどうやって落とし込むの?」って(笑)。