【第1回】インディーズゼロ ゲームデザイナー 鈴井匡伸 ―(1) | マイナビブックス

100冊以上のマイナビ電子書籍が会員登録で試し読みできる

ゲームコレクター・酒缶のファミ友Re:コレクション1

【第1回】インディーズゼロ ゲームデザイナー 鈴井匡伸 ―(1)

2016.01.06 | 酒缶

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

インディーズゼロ ゲームデザイナー 鈴井匡伸

 

 

インディーズゼロ代表取締役。制作に関わったタイトルは『千年家族』(GBA)、『しゃべる!DSお料理ナビ』(DS)、『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』(DS)、『タッチ!ダブルペンスポーツ』(3DS)、『シアトリズムファイナルファンタジー』(3DS)など。

取材日 :2011年5月13日
取材場所:インディーズゼロ会議室

 

1.買って後悔しないゲームを作りたい

 

酒缶 この沢山並んでいるゲームソフトは全部私物ですか?

 

鈴井 半分以上は私物です。子どもの頃はファミコンのカセットに買った順番の番号を書いていたんですけど、いつしかバラバラになっちゃって、会社で買い足したものも混ざってだんだん増えていって、どれが私物かわからなくなってしまいました。子どもの頃はファミ通さんの発売スケジュールのページが一番好きなページで(笑)、欲しいソフトに蛍光ペンで線を引いて、欲しい順番を書いて、どれを買おうか必死で考えていました。

酒缶 すごいですね。

鈴井 だから、発売日を全部言えたんですよ。中学時代は友達に「あれっていつ出るの?」と訊かれると「それは何月何日発売で容量が何メガでメーカーが○○だよ」って話ができたんです。ナムコさんがサンキューシリーズ(※1)を始められた時には友達に「第一弾の『スーパーチャイニーズ』(※2)は、ファミ通を読んだらすごく面白そうだったよ。

(※1) ナムコさんがサンキューシリーズ 
ファミコンのソフトの価格が4500円~5500円が一般的になった頃、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が3900円で発売したファミコンソフトのシリーズ。 

(※2) 『スーパーチャイニーズ』 
1986年にナムコ(現バンダイナムコゲームス)がファミリーコンピュータ向けに発売したアクションゲーム。元は日本ゲーム(現カルチャーブレーン)がアーケード向けに発売した『チャイニーズヒーロー』。ジャッキーとリーがミンミン姫を救出するために妖魔軍団の王国に乗り込む。8種類の館にそれぞれ4つの部屋がある全32ステージ。 

鈴井 ステージは多いし、アイテムや隠し要素もたくさんあるし、2人同時プレイもできるんだ!」って力説したりして。その友達が実際に買って「面白くなかったよ」とクレームを言ってきたら、「そんなことないから、僕がやりにいって説明するからさ」と自分が買ってもないのに雑誌の知識で説明しに行ったりしていました。

酒缶 まるで営業マンですね。

鈴井 コロコロ(※3)に毒されていたので、ハドソンが神様だったんです。

(※3) コロコロ 
正式名称は月刊コロコロコミック。1977年に小学館が創刊した少年漫画誌。元々「ドラえもん」のために創刊されたが、現在では、少年ホビー誌の意味合いが強く、80年代後半はファミコン情報、特にハドソンの情報が豊富で高橋名人の露出も多かった。 

鈴井 『チャレンジャー』(※4)が面白くないという友達には、「『チャレンジャー』はマップが100画面分もあるゲームで、裏ワザと隠れキャラクターがいてね」と説明していました。

(※4) 『チャレンジャー』 
1985年にハドソンがファミリーコンピュータ向けに発売したアクションゲーム。シーン2のワルドラド島は縦横10画面ずつ、合計100画面分の広さがあり、当時としてはかなり巨大なマップだった。 バーチャルコンソール http://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_clg/ 

鈴井 小学校2~3年の頃、父親が初めてコロコロを買ってくれて、ものすごくはまって、小学校4年の誕生日プレゼントが「パーマン」全巻と「21えもん」全巻、お小遣いでコロコロを買って、掲載されていたモノを買って、バンダイさんとかタミヤさんに貢いでいました。

酒缶 貢いでいたんですか?

鈴井 貢いでましたよ……。当時は藤子不二雄になるのが夢で、友達と交換漫画日記をやっていました。小学校6年生の頃に父親が「まんが道」(※5)の愛蔵版を買ってくれて、父親には「漫画家になるのはこういうことだぞ」という意図があったと思うんですけど、全巻読んで自分には漫画家になるのが無理だとわかりました。 

(※5) 「まんが道」 
藤子不二雄Ⓐが描いた藤子不二雄の自伝的漫画。藤子不二雄Ⓐ作品では、『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』がゲーム化されている。  

鈴井 あんなに描いて、何本も連載を持っていても、たった一人で締め切りの苦労を毎週抱えて、落としたら仕事がなくなっちゃうなんて人生はとてもやっていけないと思ってしまって。

酒缶 でも、漫画家さんもアシスタントが付いていますし、締め切りがあるのはゲームの制作でも同じですよね?

鈴井 同じといえば同じですけど、法人契約と個人契約ではものすごく違って……それは大人になってから気づいたんですけど。

酒缶 (笑)そりゃそうですよね。

鈴井 当時はお金をちゃんと貰いながらモノづくりをしたかったので、漫画じゃなくてもゲームでもモノづくりでみんなを喜ばせるのは同じだと思い、ファミコンに鞍替えしました。その後、MSX(※6)でマシン語が組める友達と一緒にRPGを作ることになって、方眼紙に絵を描いて渡していたんですけど、完成しませんでした。

(※6) MSX 
マイクロソフトとアスキー(現アスキー・メディアワークス)が提唱したパソコンの共通規格。多くの家電メーカーからMSX規格のパソコンが発売された。一部のゲームソフトはバーチャルコンソールで今でも遊ぶことができる。 バーチャルコンソール http://www.vc-msx.d4e.co.jp/ 

酒缶 その年代だと、プログラマーがかなり重荷ですよね。

鈴井 ゲームデザイナーになりたくて、ファミマガ(※7)で『ポケットザウルス 十王剣の謎』(※8)で読者のアイデアを募集してゲームにする企画があったんですけど……。

(※7) ファミマガ 
正式名称はファミリーコンピュータMagazine。1985年に徳間書店インターメディアが創刊したファミコン専門誌。後にファミマガ64になり、1998年に休刊。 

(※8) 『ポケットザウルス 十王剣の謎』 
1987年にバンダイ(現バンダイナムコゲームス)がファミリーコンピュータ向けに発売したアクションゲーム。元はバンダイが発売した、恐竜の形をした文具「ポケットザウルス」だが、ゲームの主人公は当時バンダイの広報をしていた橋本名人が魔法を掛けられて変身したハシモトザウルス。 

 

酒缶 子ども会議みたいなのをやってましたよね。

鈴井 当選するとPC-9801(※9)が貰えて、さらに実際のゲーム開発に関われるっていうので応募したんですけど、後日届いた封筒には「残念だったよ、十王剣を買ってね」という紙が入っていて、「クソー! PC-9801が欲しかったのに」とか、バンダイさんには子ども心に全財産を掛けたのに見返りがなかったという思いがいっぱいありましたね。

(※9) PC-9801 
かつて日本電気から発売されていたパソコンの総称。80年代から90年代前半にかけて日本では主流のパソコンだった。 

鈴井 『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』(※10)も発売日に買いに行ったら、1軒目の店になくて、探して買ったのに全然面白くなかったとか。

(※10) 『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』 
1986年にバンダイ(現バンダイナムコゲームス)がファミリーコンピュータ向けに発売したアクションゲーム。 

酒缶 でも、すごく売れた印象があります。ランキングでその月の1位だった(※11)んですよ。

(※11) 「ランキングでその月の1位だった」 
ファミコン通信創刊号の売り上げランキングの1位は『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』。 

鈴井 騙された人が多かったんですよ。見た目がズルいんですよ。縦スクロールがあって横スクロールがあって、ボスがいて、全体マップがあって、いろんな技が使えて。当時のバンダイさんのファミコンソフトはうまいんですよね。欲しくなるように見せかけるのが非常に上手で。これ、褒め言葉です。

酒缶 いろんなクリアパターンがあるんですよね。火を点けるとか、敵を倒すとか(※12)、偽物の目玉のおやじが落ちてくる(※13)とかギミックがいっぱいあって、

(※12) 火を点けるとか、敵を倒すとか 
『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』には4種類の魔境があり、妖炎魔境はつるべ火を誘導して10本のロウソクに火を点けるとクリアになり、妖界魔境は敵の妖怪を10匹倒すとクリアになった。それ以外に、一反もめんに乗って妖怪を10匹倒す妖空魔境と、たましいを10個集める妖奇魔境がある。 

(※13) 偽物の目玉のおやじ 
正式名称は「毛目玉」。ゲーム中に目玉のおやじと毛目玉が落ちてきて、目玉のおやじを取るとプレイヤー数が1人増え、毛目玉を取ると1人減る。 

鈴井 元々漫画が好きでキャラクターに弱かったので、ゲームとして面白そうなタイトルとキャラクターのタイトルが同じ時期に出ると、悩んだ末にキャラクターを選んで、後悔するんです(笑)。後にバンダイの入社試験を受けるんですけど、面接の時に「自分が子どもの頃にキャラクターのソフトをすごくワクワクしながら買ったのに、全部面白くなくてガッカリしたので、買ってから後悔しないゲームを作りたいんだ! テクモさんの『キャプテン翼』(※14)は買ったら想像の何倍も面白かったのに、バンダイさんのゲームは買っても何倍も面白かったものはなかったので、僕がそれを変えたいんだ!」とゲームの部署の部長さんに向かって言ったんです。

(※14) テクモさんの『キャプテン翼』 
1988年にテクモ(現コーエーテクモゲームス)がファミリーコンピュータ向けに発売したシミュレーションタイプのサッカーゲーム。 

鈴井 怒られるかと思ったら「いいんじゃない」的なことを言われて……不思議でしたね。

酒缶 それで、バンダイさんに勤めていたんですよね?

鈴井 はい。ただ会社を立ち上げることが決まって、実際にいたのは1年くらいなんです。入社したら営業畑の方が新しい部長さんになっていて、開発はお金を払って仕事をしてもらうプロデュースが業務だから、「そんな仕事をいきなりやると天狗になるから、お前たちは人に頭を下げてからお金を貰うことを覚えなければならない」と言われて、当時のマルチメディア事業部に配属された新人は全員営業に配属されて、ゲームの営業から始めたんです。

酒缶 年代的にはいつ頃ですか?

鈴井 1996年4月入社だと思います。僕が入社した年にはたまごっち(※15)が発売されたり、セガバンダイの合併話(※16)が出たり……と、短い期間ながら印象的なことがいろいろあった1年でした。

(※15) たまごっち
1996年にバンダイが発売した携帯ペット育成ゲーム。 
公式サイト http://tamagotch.channel.or.jp/index.php 

(※16) セガバンダイの合併話 
1997年1月にバンダイとセガ・エンタープライゼス(現セガ)の合併が発表され、その後、解消された。 

酒缶 じゃ、ピピン(※17)が発売された直後ですよね。

(※17) ピピン 
正式名称は「ピピンアットマーク」。1996年にバンダイ・デジタル・エンタテインメントが発売したマルチメディア機。OSにはMac OS 7.5.xをベースにしたピピンOSが使われている。 

鈴井 ピピンのことは……違う部署だったので、よくわかりません(汗)。確か全員、無償で配布されたような……。退職時に返却した記憶だけあります(笑)。

 

酒缶 ボクは同じ年にバンダイさんを受けましたけど、会社説明会のときにプレイディア(※18)が置いてあったことを覚えています。誰も触れてなかったんですけど。

(※18) プレイディア 
1994年にバンダイが発売した子ども向けマルチメディア機。 

鈴井 そのプレイディア、僕、週末に一生懸命、百貨店の売り場で売ってました(笑)。

続きをご覧いただくには、会員登録の上、ログインが必要です。
すでにマイナビブックスにて会員登録がお済みの方は下記の「ログイン」ボタンからログインページへお進みください。

  • 会員登録
  • ログイン