小学校は通らへん言うてるで
昭和?61年度の兵庫県の小学校教諭の採用予定はわずか100人で、約2000人が受験した。大阪では府と市を合わせてわずか50?人の採用予定に、約5000人が受験した。当時、小学校の先生になるのは「神業」と言われていた。第2次ベビーブームから年月が経ち、子どもの人口がどんどん減ってきたので、本来なら採用はしないぐらいだが、そうすると年齢構成にバランスがとれなくなるので採用するぐらいの数である。
私の友だちからも「小学校は通らへん言うてるで。中学校にしたらどうや。」と無責任なことを言われたことがある。おそらくテレビ等のマスコミで大きく報道されていたので、親切な気持ちで言ってくれたかもしれないが、私はそんなことは百、いや千も万も承知の上だ。