私が次に岡田の家を訪ねたのは、それから五日後のことだった。
その日、午後から所用のあった私は、時計が九時を回る頃には、もう電車に乗っていた。開け放たれた窓から流れこんでくる風も幾分涼やかな、八月も終り近くの、しのぎやすい日だったと記憶している。
「岡田の奴、この前のように退屈がっているだけならいいんだが」
雲のように掴みどころのない不安を感じながら道を行き、私はいつものように岡田家の門前に声を掛けた。大家の奥方からもらった水蜜桃の入った紙包みが、手のなかでガサリと音を立てる。やがて凛とした返事とともに出てきたのは、岡田の兄君だった。
「おお、斎木くんか」
これから勤めに出るのか、兄君はかっちりした軍服に身を包んでいた。近所の子供たちから軍人さん軍人さんと慕われ、憧憬の的となっている兄君の姿は、私から見ても背筋の伸びるような威厳と凛々しさがあった。
「御無沙汰しております。二郎くんのお見舞に伺ったのですが」
「先日も訪ねてきてくれたそうだね。さあ、上がってくれたまえ」
「はい、お邪魔致します」
岡田は寝ているのか、私は入ってすぐの応接間に通された。そこは洋間ではなかったが、床の間に海を描いた油絵が掛けられてあった。
「おとよは薬を取りに行っていてね。なにもかまってやれないが」
「いえ、二郎くんもお休みのようですから、すぐに失礼致します」
私は兄君が手ずから注いでくれた茶を飲みながら、岡田の様子を聞いた。兄君の表情を見ると、やはり彼の体調は、芳しいとは言えぬようだった。
「あれは昔から身体の弱いところがあってね……ここしばらくは良かったんだが、夏風邪が祟っているのかもしれない。一旦寝込むとなると、長引くのがあれの癖だ」
「お医者さまは、なんと?」
「軍医大にいる友人に診てもらったんだが、特に悪い病気ではないらしい。ただ、熱の引かないのが厄介でね」
「先日も、食欲がないと言っていましたが」
「ああ。おとよもそんなことを言っていた」
話によると、岡田は私が見舞った日を境に、ほとんど食べなくなってしまっていた。薬湯だけは無理にでも飲ませているらしいが、熱は日増しに高くなっているようだった。
「明日にでも、もう一度医者にみせて、必要があれば入院させようかと思っている。一体、なにが原因なのか…………」
兄君が深く息をつくのと同時に、奥の部屋から岡田の声が聞こえてきた。ちょっと失礼する、と出ていった兄君の背を見送って、私も同じようにため息をついた。ここ数年間の元気な岡田を知っているだけに、私には兄君の辛さが手に取るようにわかった。
岡田は前々から、次に寝込むことがあったら、それが最期になるだろうと言っていた。無論私は、強引に冗談として受け止めていたが、岡田にはどこか、自分の身体をぞんざいに扱うところがあった。
どうせ、長生きなんざできねェんだから。
彼がそんなことを言うたびに、私は強く叱ったものだった。激しく怒ることで、岡田を死から遠ざけたかったのである。いや、むしろ死を恐れていたのは、私自身だったのかもしれない。だから岡田の体調のことになると、あれほど躍起になったのではないだろうか────。