闇の中の豪雨。走る修二、篤志、裕樹。
修二(声)
飛び出した店の外は、その夏一番の激しい雨が降っていた。闇の中を走る僕達の目に、痛いほど大きな雨粒が飛び込んできた。
裕樹
(言いながら下手前らか飛び出す)マスター、こっち、こっちだよ。
上手前に、倒れた女性のシルエット、女性の頭を起こそうとする篤志。
修二
頭を揺らさないように、
篤志
(裕樹に)そっち、足、足持って、
裕樹
だって、だって俺、
篤志
何やってんだよ、
修二
裕樹君、大丈夫、大丈夫だよ。(篤志に)二人で、そっと抱えよう。
篤志
うん、
下手前より飛び込んできた神尾、三人を押しのけて女性を抱き起こす。
修二
知ってる人なんですか。
神尾
う、う、(嗚咽、そして号泣) うわ~。
― 暗転 ―
闇の中、遠くから救急車のサイレンが近づき、やがて遠のいていく。
カウンターの上に置いた花、一輪挿しのリコリスが浮かび上がる。
声
ネットって便利だよね。これよこれ、間違いない、綺麗なピンク色だし、名前も可愛い、リコリスって言うんだって。それで…和名が、夏水仙。花言葉はね、「深い思いやり」「あなたのためなら何でもします」いいじゃない、いいじゃないこれ、ねえ、そんなお店にしようよ。あっ、花言葉もう一つあった。こっちはやだな…「悲しい思い出」だって…。
店内明るくなり、数日後、朝、リコリスの店内。被害者の息子と娘である稔と愛海が礼を言うために訪れている。上手に携帯で話している元子。
元子
(携帯で)そうそう、ご家族の方…とにかくマスターに会いたいって、だからすぐに戻って、うん、うん、
稔
(元子に)あの、すみません。
元子
あ、マスターちょっと待って、(携帯を耳から離す)
稔
あの、ご迷惑はおかけしたくないので、また出直します。
元子
あ~いいんですいいんです。もう全然問題なし、本当すぐ近所のパン屋さんに行ってるだけですから。
稔
すみません。
元子
もしもし、ううん何でもない、とにかく早く帰ってきて。お願いします。(電話を切り、稔に) すぐに戻りますから。
稔
申し訳ないです。お礼を言いに来て、かえってご迷惑をおかけしてるみたいで。
元子
ちょうど良かったんです。そろそろ帰って来てもらわないと困るのに、マスター、パン屋で掴まってるんです。お店で出すトースト用のパンを毎朝買いに行くんですけど、もうそのパン屋の奥さんがすごいマシンガントークで、話し始めるとなかなか帰してもらえないんです。
稔
そうなんですか。
元子
そうなんですよ。それにここのマスター、ぼおっとしてて頼りなくて、何やっても空気読めない人なんですけど、それが近所のおばさん連中の枯れそうになった母性本能をくすぐるみたいで、変に人気があるんですよ。だから、(稔の様子を見て)ああ、ごめんなさい、こんなくだらない話、聞きたくないですよね。
稔
あ、いえ。
元子
大変な時にいらしてるのに、何言ってるんだろ、あたし…すみません。
稔
あの、このお店の方なんですか。
元子
私、ですか。私近所の酒屋です。
稔
酒屋さん。
元子
ええ。配達でいつもこの辺りをぐるぐる回るんです。それで、一日二、三回はこの店に立ち寄るって感じで。
稔
なるほど。
元子
そんなにコーヒー好きって訳でもないんですけど。あっ…あの夜も、仕事帰りにここでコーヒー飲んでて…。
稔
じゃあ、ご一緒だったんですね。
元子
ええ、マスターに言われて救急車呼んだのは私です。
稔
そうだったんですか。ありがとうございました。(愛海を見る)
愛海
ありがとうございました。
元子
あいえ。それで…お母様は、