勘助の気配り
『甲陽軍鑑』に描かれた、「諏訪御料人」の処遇に関する勘助の適切な進言を見てみよう。
品 二十四 「諏訪頼重誅される事」からの現代語訳である。
「天文十三年甲辰二月に、晴信公は信州諏訪に出陣なされた。この時、板垣信方の戦略で、諏訪頼重との間で和睦が成立し、頼重は甲府に出仕することになった。(中略)その後、晴信公は頼重を成敗なされた結果、頼重が治めていた諏訪勢は、悉く晴信公の 敵となり、ふたたび反旗を翻した」
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『甲陽軍鑑』に描かれた、「諏訪御料人」の処遇に関する勘助の適切な進言を見てみよう。
品 二十四 「諏訪頼重誅される事」からの現代語訳である。
「天文十三年甲辰二月に、晴信公は信州諏訪に出陣なされた。この時、板垣信方の戦略で、諏訪頼重との間で和睦が成立し、頼重は甲府に出仕することになった。(中略)その後、晴信公は頼重を成敗なされた結果、頼重が治めていた諏訪勢は、悉く晴信公の 敵となり、ふたたび反旗を翻した」