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ゴルフプラネット 第10巻

【第1回】まえがき/最大150Yのコースマネージメント(祖父に捧ぐ)

2014.12.15 | 篠原嗣典

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まえがき

 

 第10巻は2002年に書かれたコースの話です。

 

 ゴルフコースを勉強するのはこの頃も今も大変です。それでも必死で勉強していましたし、今も継続中です。

 正解がないのがゴルフコースの疑問だという説がありますが、元も子もない切ない話です。

 

 現在では、分類学的なゴルフコースの追求が主流になりつつありますけれど、正直に言うと面白みに欠けます。点数をつけるマニュアルの延長線上にあるようなイメージです。

 2002年に書いたコースの話を今回読み返して、ちょっと驚きました。当時を振り返ると未熟なのだと恥ずかしいことが多いのですが、核心を突いたコースに関しての意見が出てくるのです。

 

 学ぶ中で、自分がプレーヤーとしてどう感じるかを優先することにしています。これが正解ですと教えられても、プレーヤーとして疑問があれば鵜呑みにしないということです。

 学問と現実は完全に一致しないことは、よくあることだからです。

 

 ゴルフコースは誰のためにあるのか?

 ゴルファーのためでしょう!

 

 ゴルフコースの話は面白いものです。勉強というより、話題を増やすつもりで読んでください。ゴルフをするのが楽しくなるはずです。

 

(2013年5月)

 

最大150Yのコースマネージメント(祖父に捧ぐ)

 

 2002年1月7日午前9時03分、私の祖父が永眠した。

 

 昨年末に90歳になった明治生まれの祖父は、秋田出身で昭和という時代の成功者の一人だった。若い頃から能とゴルフを愛した趣味人で、当然であるが、息子たちにも学生のうちからゴルフをさせて、孫である私にもそれは引き継がれた。最期の数年はグリーンに出ることは叶わなかったが、ゴルフへの想いは枯れることがなかった。

 

 学生がキャディ付きでゴルフをすることは、その後のゴルフに良い影響を与えない、というポリシーを持っていた祖父は、学生の間は一緒にプレーすると1番ホールの途中から18番ホールのグリーン前までバッグを自らで担いだプレーを私にさせた。

 何故、中途半端なのかは、キャディやコースの経営を考えた配慮だった。つまり、私のプレー代の中にはしっかりとキャディフィが入っていたのである。安く上げる細工ではなく、スピリッツとしてのセルフプレーだったのである。

 

 調子が良ければ100を切ることがあるというレベルの祖父は、決して上手なプレーヤーではなかったが、150Yしか飛ばないドライバーと同じ距離のバフィを駆使して、ホールを攻める姿が飄々としていて大好きだった。

 長いパー4でボギーオンの1パットでパーを取った時の嬉しそうな笑顔。

 80歳を越えても、毎週レッスンプロにゴルフを習うスコアアップへの情熱。

 

 高い球を打つのが苦手だった祖父は、飛ばない者の唯一の道が花道だと、ピンを無視して花道にこだわった。祖父はバンカーが長い間苦手だったのだ。

 

 結果として最期のラウンドになったプレーで、生涯最高のハイボールが打てたことを自慢していた。非力でもボールを楽に上げることが出来るウェッジが出現したのに、その武器をたった1ラウンドしか使用できなかった。

 医者からハーフしかやってはダメだと言われていたのに、監視役の私を無視して1ラウンドプレーしなければゴルフじゃないとプレーしていた。お前と対等に戦えるのはこの部分だけだと言いながら、私とプレーする時はかたくなにノータッチを貫いた。私のゴルフの遺伝子の源である祖父のゴルフが、こうしてキーボードを叩いていても、次々と思い出される……。

 

 祖父の棺の中にクラブを入れることは、どうやら規則で無理だという。棺の中に入れるための燃える素材で出来たゴルフセットがあると、前に何かで読んだ記憶があるが、それは今イチピンとこない。せめてクラブの目録を入れてあげようと思う。自慢だった特別注文のパター、簡単にボールを上げることが出来るウェッジ、奇数番手だけのアイアン、そして、200Y飛ぶバフィ、240Y飛ぶドライバー……。

 

 しかし、祖父は喜ばないかもしれない。

 祖父のプライドは、最大150Yのコースマネージメントにあった。250Y飛ばすゴルフなんて、幼くて恥ずかしいと笑うのではないであろうか。

 

 また、週末は、父と妻と父の仲間との初打ちを予定していた。今のところ、それが実行されるかは微妙なところである。私としては、祖父の追悼ラウンドとしてプレーしたいのであるが、親戚の中には不謹慎であるという声もある。最終的には、祖父が最も喜ぶ選択肢が選ばれることが好ましいと思っている。

 

 テンフィンガーグリップのパンチショット。ボールは花道を転がり、グリーンに乗っていく。ゴルフを楽しむコツは、背伸びをせずに等身大の自分をさらけ出し、そして、自らも気が付かないような小さな成長や限りなく不公平だと嘆くような結果に一喜一憂することであると、祖父は身をもって教えてくれた。

 

 孫である私が葬儀の翌々日にコースに立とうとしているように、祖父も下界の私たちのしがらみなど知らん顔で、早々に天界のゴルフ場にデビューしていることを祈るのみである。これからの私のゴルフライフが、祖父に対する最高の供養である。

 

(2002年1月9日)