2024.11.25
【期間限定公開】私の戦い方 vol.1 中村太地八段「ギアを上げて高い位置へ」
現在開催中の将棋の日フェスタ2024にて、記念動画やオリジナルポスターにご出演いただいた中村太地八段。
そんな中村八段の人柄を改めて知っていただくべく、『私の戦い方 vol.1 中村太地八段「ギアを上げて高い位置へ」』を期間限定で全文無料公開いたします。
(初出:将棋世界2024年2月号。本文中の段位・肩書は当時のものです【インタビュー日時】2023年12月8日【写真】田名後健吾【記】島田修二)
※無料公開期間:11月25日~12月8日
※無料公開期限が終了した後、本記事はゴールドメンバー限定記事となります。
お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中
この連載ではトップ棋士たちに現状の認識と、それを踏まえたうえでこれからどう戦っていくかを聞いていきたい。
トップバッターは中村太地八段。プレイヤーとしても普及の面でも活躍する中村に「私の戦い方」を語ってもらった。
テーマ1 現在の将棋界について
―本日はよろしくお願いいたします。
「よろしくお願いします」
―まずは「現在の将棋界」ということで、直近で行われた王座戦と竜王戦についてお聞きしたいと思います。藤井八冠誕生の舞台となった王座戦からお願いします。
「歴史的に大きな意味のあるタイトル戦で、世間からも注目を集めました。私は決着局の解説をしたのですが、お互いの研究も深いし中終盤のねじり合いもすごい。でも最後に人間ならではの逆転のドラマがあったのは、とても魅力的なところだと思いました。内容的には永瀬王座が押していたと思いますが、一方で藤井竜王・名人の『最後に勝つ』という勝負師としての強さも感じたシリーズでした」
―永瀬王座が相当な覚悟を持って臨まれたように見えました。
「そうですね。緊張感のある展開に持ち込んで戦っていて、相手が1手でも道を踏み外したら、もうそのまま勝ちに持っていくような鬼気迫る将棋でした。盤上に現れたのは一つの手順ですけど、水面下の隅々の変化まで網羅しているのがすごい。永瀬九段の研究がたまたまピタッとはまったのではなくて、どの道を選んでもあのような展開になっていたと思います。現代将棋において一つの形でバスッとはめるっていうのは、棋士ならば誰しもが持ちうる技術ですが、それをあらゆる展開で実現できるのは永瀬九段のすごいところです」
―先日、『八冠 藤井聡太』(日本将棋連盟)のインタビューで渡辺明九段が「藤井さん、永瀬さん、伊藤さん(匠七段)の研究には自分もついていけない」ということをおっしゃっていました。
「確かにその3人については、序盤で3人の当たり前の常識というか、定跡が作り上げられているような印象です。実戦に現れていない局面からさらに2歩3歩先をいっている感じがあります。序盤研究という意味では彼らが引っ張っていると思いますし、その人たちが勝っているというのは、現代将棋の必然の流れかと思います。ただ、その中で現在は8つのタイトルを全ての一人の人が持っているというのも事実です。高いレベルの序中盤の知識があって、中盤で互角の局面を保つのはすごいことではあるんですが、未知の局面からヨーイドンで始まって勝ちきるためには、やっぱり中終盤力が必要ということだと思います。藤井八冠の場合は逆転勝ちはありますけど、逆転負けはほとんどありません。その差がいま、全棋士に突きつけられているところだと思います」
―逆転という話が出ましたが、王座戦では永瀬王座が終盤で間違えてしまう場面がありました。
「序盤から中盤まで、本当に1滴の水もこぼさないように対局してきた極限状態の中で起きたことなのかなと思います。特に相手が藤井竜王・名人ということで何か飛んでくるんじゃないかというプレッシャーもあったでしょうし。普段の実力を出せればというのはありますけど、それは言うのは簡単でやるのは難しいことです。将棋は結構、信用の世界でできているところがあって、強い相手がこう指してきたから、何か深い意味があるんじゃないかと考えて疑心暗鬼になるのはよくあることです。似たような話で、対局していて両者とも詰みに気づいていなかったというのがよくあるじゃないですか。そういうのもお互いの雰囲気が影響し合っているからだと思います。周りでぱっと見た人はすぐに詰みに気づいても本人同士は、同じような思考になってしまって片方が気づかなければもう片方も気づかない。対局者というのは朝対局が始まってから終盤になるまでずっと同じ時間を積み重ねてきていますし、中盤のこの変化があるから終盤でこの変化は利かないと思っていた、というように考えるのもよくあることです。王座戦の永瀬王座の指し手についても、別の時間軸で見ていた人とは感じ方が違うという側面はあると思います」
―ありがとうございます。次に竜王戦についてお願いします。こちらは同年代対決で、藤井竜王が4連勝で防衛となりました。
「4―0のストレート決着でしたが、とても見応えがあって個人的にも見ていて勉強になるシリーズでした。同学年で小学生の頃から関係が続いている2人が竜王戦という最高峰の舞台でぶつかって、絶対王者が立ちはだかったという感じです。確かにいまの将棋界は藤井八冠を中心に回っていて、主人公感もあるとは思うものの、今回の竜王戦は伊藤さん視点で見ることもできます。最初は強い敵に負けてしまったけど、これから経験値を積んでレベルを上げてまた挑んでいく、という物語の第1章です。この2人はこれから何回、何十回とタイトル戦を重ねていくでしょう。今後の2人のストーリーがどう続いていくか楽しみです」
―これからの伊藤七段に注目ですね。
「初タイトル戦でのストレート負けというのは私も羽生先生との棋聖戦で経験しました。負けてしまうことは実力なので仕方ないですが、ガクッと気持ちが落ちてしまってモチベーションが上がらなくなったり、自分のスタイルを何か変えなきゃと焦ってしまって形が崩れてしまうこともあります。その点、伊藤さんの場合は棋王戦でも挑戦に近いところまで勝ち上がられているので、負けたあとの戦いぶりがすばらしいなと思います。現代将棋においては少しでも落ちてしまうと一気に取り残されてしまうので伊藤さんといえども安泰ではありませんが、その中でちゃんと高いパフォーマンスを発揮し続けてるのはすごいなと思います。また、伊藤さんはインタビューなどで藤井さんを意識していることを公言していますね。私や私より上の世代だとあまりそういうことは口に出さないで、内に秘めておく方が多かったように思いますが、最近の若い方ははっきり口にされる人が多くて、それはそれで迫力があるというか、見ていても伝わってくるものがあります」
―先生自身もタイトル戦で負けてしまったあとは、モチベーションを保つのは大変でしたか?
「私の場合はモチベーションに関しては問題なかったんですけど、何か自分に足りないものを突きつけられている感じがして、何かを変えなきゃという思いが強かったです」
―将棋界で次に行われるタイトル戦は藤井王将と菅井竜也八段の王将戦七番勝負になります。こちらについてはいかがでしょうか?
「楽しみなタイトル戦です。菅井八段といえば、振り飛車党の第一人者で独自のスタイルを貫かれている存在。AI偏重になりつつある現代において、こういう方がタイトル戦に出るというのは一つの希望というか、見ていてもワクワク感があります。ご本人もそういうところを意識されてるのかもしれないですけど、ファンの方にとっても楽しみなタイトル戦になると思います。前回2人が対決した叡王戦では藤井叡王が勝ちましたけど、内容的には振り飛車に苦戦する場面も多かったと思います。この王将戦もほぼ間違いなく対抗形のシリーズになるでしょうでしょうから、どんな展開になるか楽しみです」
―振り飛車はAIの評価が低くなりますが、そのあたりはいかがですか?
「将棋ソフト『水匠』の開発者の方によると、AIの振り飛車対策はまだ完璧と呼べるものではなくて、振り飛車で戦っていく楽しみというか、勝負の余地は十分にあるそうです。菅井八段の場合は、実際に結果としてそれを体現しているのですごいです。また、菅井八段の将棋は中終盤で形勢の入れ替わりがよく起こります。それだけ粘り強く指しているということでもありますし、人間的な観点で勝負しているというか、相手がこの手を指しづらいだろうと考えて自分の指し手を選んでいる部分もあるのかなと。そういうところをうまく解説できれば、菅井八段の将棋の面白さがより伝わるのかなと思っています」
―ありがとうございます。王座戦、竜王戦、王将戦とお話しいただきましたが、現在の将棋界は「藤井一強時代」といえると思います。この状況について中村先生は、率直にどのような感想をお持ちでしょうか。
「もちろん、同じ棋士としては羽生七冠誕生時の森下先生のお言葉じゃないですけど、藤井さん以外の全棋士に課題が突きつけられている状態ではあります。ただ、藤井さんが八冠を達成したことについては、全く違和感はありませんでした。あれだけ高いパフォーマンスで将棋を指していれば、八冠というのは自然な流れだよねと思ってしまうほどの強さです。八冠という結果に対して誰も文句を言えないというか、運がよかったねっていう人は誰もいないじゃないですか。それは単純にすごいことだと思いますし、強い者が勝つという勝負の世界の鉄則の通りといえます。あの強さにたどり着くことが果たして可能なのか、どういう風に勉強したら、どういう風にやっていったらあそこまで強くなれるのか、というのは難しいところですね。例えば藤井さんの勉強法が全て公開されたとして、同じようにやったとして、果たして藤井八冠のようになれるのかと言われたら、そうでもないような気もします。藤井八冠は努力もすさまじいですし、好きな将棋への好奇心、探究心も強い。もともと持っているポテンシャルもすごい。全てが備わっているという意味で、とても稀有な存在だと思います。藤井八冠の登場によって、将棋界が盛り上がって注目していただいている。これだけ広く一般の方にまで将棋が認知されたというのはほかでもない藤井八冠のおかげですので、そこはいまの将棋界にいる身としては感謝の気持ちはあります。そうはいっても1人だけが強いままでは業界は盛り上がりませんので、私も含めて棋士がそれぞれに頑張っていく中で、自然と盛り上がりにつなげられればと思っています」
―誰が藤井八冠を破るのか、というのが、いま多くの人にとっての注目ポイントだと思います。どういう人が藤井八冠に勝つことができるのでしょうか。
「それは難しい話ですけど、でもやっぱり藤井八冠に勝つには序中盤でほんの少しのリードを奪って、そこを保ちきるっていうことしかないと思うんです。藤井八冠は常に最先端にいますしスキがほぼない状態なので、奇をてらっていくよりは王道の勝ち方で勝てる人でないと、番勝負で勝つのは難しいのかなと思います。いつの時代も最後は中終盤力にいき着くので、将棋の力がある人が勝つということだと思います」
―中村先生が藤井八冠と番勝負で戦うなら、どのように戦いますか?
「タイトル戦の舞台に立ちたいというのは常々思ってることですし、それが大きなモチベーションなので、まずは戦えるように頑張りたいです。戦うとなったらさっき言ったように死ぬほど研究して序中盤でほんの少しリードを作って、そこからはもう頭を必死に回転させてミスをしないようにする、ということしかないんじゃないですかね」
―前期の竜王戦で広瀬章人九段がやったような戦い方はいかがでしょう。
「最先端ではなく、もう少し前の序盤戦を掘り起こして、自分だけ研究が深い状態に持ち込むというやり方ですね。それは一つの戦い方で、30代くらいの棋士が藤井八冠相手にやっている印象を受けます。ただ、そういう作戦を藤井さんが受けている中で、経験がたまってきてどんどんスキがなくなってきています。その戦い方が通じる早いうちに倒さなくてはいけなかったということかもしれません。藤井八冠に唯一なかったものがいろいろな戦型の経験値だったと思うんですけど、高いレベルで経験を積んだことでそこから生まれるスキももうなくなりつつあると思います。この路線で藤井八冠に勝つなら新戦法を2、3年かけて温めておいて、番勝負が始まったときにドンと出して、対策が追いつかないうちに勝つという展開しかないかもしれないですね」
―確かに、藤井八冠もデビュー当初は横歩取りが苦手とか、早指しは得意ではないなどと言われていましたが、いまはそういう弱点のようなものが見当たらないです。
「デビューして数年は苦戦に陥ることを覚悟のうえで自分の力をつけるためにさまざまな戦型にトライしていたと思いますが、複数タイトルを取るようになって八冠が現実的になったあたりから、勝つことに重きを置いたように見えました。ご本人は口には出さないですが、この1、2年に関しては比較的結果を重視した戦型選択だったり、指し方だったのかなと思います。デビューして間もない頃のインタビューで、将棋の実力が向上するのは25歳ぐらいまでだとおっしゃっていたので、藤井八冠の中で何カ年かの計画があるのかもしれません。デビューした中学生の頃から何十年後かを思い描いていたのだとしたら、ちょっとそのプランをのぞいてみたい気もしますね」
―今後どう変わっていくのか注目ですね。
「八冠は期待も大きかったので、達成されて肩の荷が下りた部分はあると思います。全てのタイトルを取って、どう変わるのかは気になりますね。また、藤井八冠が本当の意味で追い込まれた場面というのは、これまで見たことがありません。番勝負でフルセットになって最終局で敗勢に陥るとか、五番勝負で0―2に追い込まれるとか、そうなったときにもう1段階深い藤井将棋が見られるように思います。これまで単発の将棋で追い込まれたことはあっても、番勝負ではその状況に至っていません。藤井八冠はあと2回くらい変身を残しているように思いますので、それも楽しみですね」
テーマ2 今後の戦い方について
―ここまで語っていただいたような将棋界の現状がある中で、先生ご自身が今後どのように戦っていこうと考えているか、お聞かせいただけますでしょうか。
「厳しい競争の時代ですけど、もう一度タイトル戦に出たいという気持ちはありますし、順位戦でも上を狙える位置にいたいという思いはあります。そのためには若い世代、上の世代問わず、いろんな人からいいところを吸収して、自分の力につなげていけたらと思っています。いま私が35歳で一般的にはここから先、伸びるかどうかわからないと思われてしまうような年齢です。ただ、頂上までいけた人は落ちてしまうのも仕方ないですが、自分の場合は反省点ばかりで、伸びしろしかない部分もあると思っています。もちろん、落ちてしまう能力はあるかもしれないですけど、逆に伸ばせる部分もたくさんあります。全体として見ればまだまだ将棋が強くなる余地がある、というかあまりにも強くなる余地がありすぎる状況だと思うので、今後については自分の頑張り次第かなと考えています」
―戦っていくうえで、ご自分の長所はどのあたりにあるとお考えですか?
「積極的に攻めていくところであったり、中終盤の難解なところでいろんな可能性を探ってみるところは、自分としては大切にしています」
―先生の将棋を見ていてもそのイメージはあります。続いて、現在の研究の仕方と、これからこう変えていきたいというものがあれば教えてください。
「研究会をしたり詰将棋を解いたり、という中にAIが入ってきて、AIを使って序盤研究をしたり自分の指した将棋で感想戦でもわからなかった疑問をAIに聞いてみるということをやっています。ただ、やっぱりさっきも言ったように、中終盤の将棋の力を向上させないことにはトップレベルで戦うことはできないと思います。そこを何とか向上させたいと思うんですけど、何十年も何百年も将棋の歴史がある中でその方法として確立されたものはないので、模索中といったところですね」
―確かに、序盤はAIの研究が生きそうですが、中終盤の力はどうやったらつくのかわかりません。
「棋譜のデータベース化やAIの登場のように、新しいツールがプロの実力向上の助けになることが歴史の流れとしてあるので、今後年齢を重ねていきますけど、そういう新しいものに拒否反応を示さないで、とりあえず試してみるというのはやっていきたいと思っています。あるいは同じAIを使うにしても、ちょっと変わった使い方をしてみるとかですね」
―現時点で何か具体的な方法はありますか?
「これまでの使い方は、序盤の局面の評価値を見たり、AIと対局したり、ある局面を見てこの局面は何点差がついているのかを想像してAIの評価値と自分の感覚の差異を確かめてみたり、といった方法がありました。最近聞いた中で面白いと思ったのは、AIに特定の棋士の棋譜を学習させて、その人っぽい手を指すAIを作ることができるらしいんです。そうなれば、対戦相手のシミュレートにも使えますし、自分のAIを作れば、自分自身の弱点を可視化して、それを改善するようなトレーニング法もできるかもしれません。私は昔解いた詰将棋をもう1回解くことが好きでよくやっているんですけど、そうしたときに前につまずいたのと同じ問題でつまずくということがよくあるんです。何か『思考の癖』のようなものがあるんだろうなと思うので、それを矯正できるようなツールがあれば、もう1段階レベルアップできるような気がします」
―すごく興味深いお話ですね。いまのAIは強くなりすぎて人間とかけ離れてしまっているところが一つの問題というか、使ううえでの難しさだと思っていました。AIの研究と対人の練習を組み合わせて使うのかなと思っていたんですけど、いまのお話を聞いて、対人練習もAIでカバーできる可能性があるんだなと思いました。自分自身をAI化することで能力向上を図るというのは、将棋以外の分野でも広がっていきそうです。
「それほど遠い未来の話ではないと思います。AIを使って研究すれば、序盤では特にいい手を指すことができるんですけど、記憶力にも限界がありますし、終盤戦でぱっと未知の局面に放り出されたときに間違えてしまうわけです。序盤の研究範囲の部分をノータイムで飛ばして、研究が切れたところで大長考に沈むっていうのが現在よくある展開ですけど、結局そこでいい手を指せないとあまり意味がない。そこでもいい手が指し続けられるのが、現状は藤井八冠くらいなのではないかと思いますし、そこがいろんな意味でいちばんキツく感じる差です。自分も途中まで研究通りに進んでいて、それが外されたところで長考に沈んでしまって、どう指したらいいか全くわからないときに、ちょっと情けない気持ちになることがあります。逆に相手が研究範囲ですよといわんばかりにノータイムで指し続けているときに、自分の考えではこの手を指したいけど、この手も研究通りだろうからやめたほうがいいのかなとか、そういうことを考えていること自体が若干情けないというか寂しい気持ちになります。自分がしっかり勉強に取り組んで、ある程度力がついたと思えばそういう恐れや不安もなくなるはずですので、そう思えるようになりたいですね」
テーマ3 具体的な戦い方について
―ここからはテーマ1、2でお話しいただいたことを踏まえて、今後具体的にどのように戦っていくかについてお話しいただければと思います。先生は現在、先手番では角換わり、後手番では横歩取りを多く採用されているように思いますが、戦型選択についてどのように考えていますか。
「確かにここ最近はその2つが多いですね。ただ、幅広い戦型を指しこなせるようになりたいというのは、常々思っていることです。振り飛車党から居飛車党になったのも、やっぱり将棋をもっと深く知りたいという気持ちからでした。同じ戦法ばかりやっていると、相手に的を絞られてしまうということもあります。でも一方で一つの戦法を極めたいという思いがあったり、やっぱり勝つ可能性が高い戦法を選びたいという気持ちもあって、その辺りで揺れ動いている感じです」
―なるほど。その中で角換わりがやや多めになっているのはやはり勝ちやすさが要因でしょうか。
「自分の好みですかね。積極的にいけるところとか」
―なるほど。AIの世界では「角換わり腰掛け銀は先手必勝」という話も出ていました。
「そうですね。ただ、人間レベルだと当然覚えきれないですし、中盤で評価値が若干先手に振れていたとしても、人間同士でやったら後手のほうが勝ちやすいという局面もあるので、それは気にしなくていい話なのかなと思っています」
―AIに先手必勝と言われると、ちょっと心強いということはないですか?
「もともと人間って何かを支えにしたいという部分はありますよね。ゲン担ぎとかもそうですし、これだけ練習してきたから勝てるはずというのもその一つですね。AIの結論もそういうものだと思います」
―気持ちの拠りどころのようなものにすぎないということですね。
「そうですね。あとこれは本当に細かい話ですが、コンピュータ将棋は持将棋の点数計算方式がプロの24点法じゃなくてアマ大会などで採用されているのと同じ27点法なんです。この点数方式の違いで、ある手を選ばないという話が出てきています。実際、公式戦でもルールの違いで影響がありそうな変化が出てきたこともあります」
―そんなところまでいってるんですか。確かにそうなってくるとAIの結論というのは人間同士の将棋とは別物ということになりそうです。
「ただ、ずっと将棋をやっている身として、死ぬ直前に将棋の結論は知りたいですね。いま知ってしまうと少し寂しいので死ぬ直前に知りたいです。将棋の完全解析となるとかなり難しいようですけど、あと何十年後かにはいまは想像つかないような技術革新があるかもしれないので、期待したいです」
―ちなみに、将棋の結論について、先生の予想は何ですか?
「これ、合っていたら何年かあとに話題になるやつですね(笑)。うーん、どうなんでしょう。引き分け(千日手)にします」
―そう考える理由はありますか?
「そんなにハッキリとしたものはないんですが、ずっと互角のまま最終盤まで進むと、先手から仕掛けると後手に受け止められてしまうのかなと」
―なるほど。いつか結論が出たときを楽しみにしましょう。さて、角換わりのお話をいただいたところで、もう一つ先生がよく採用されている横歩取りについてもお聞かせください。
「序盤の評価値では、常に先手がよく出ます。ただ、AI同士で対局を進めていくと結局、互角に戻ってくるということがよくあります。振り飛車もそうですけど、いまのAIは序盤にすごく評価を落としますが、5年後くらいにいまを振り返ると、全然そんなことなかったねっていう話になると思うんです。いまの評価値が完全に正しいということはないだろうという感触はあります」
―横歩取りは青野流が登場したことで急激に減ってしまった印象があるのですが、現在はどういう状況なんでしょうか。
「青野流は確かに有力な指し方ですけど、一つの戦法を終わらせるようなものではありません。横歩取りといってもいろいろな形があって、玉だけでも4二玉型、4一玉型、5二玉型、6二玉型がありますし、角も3三に上がる形と上がらない形、飛車も8五と8四があってまだまだ解明されていない変化は無数にあります。また、青野流をやるにしても後手がどんな対策を用意しているかわからないので、先手もやるのは大変です。後手の対策を全て把握して、難しい中終盤で1手のミスも許されない展開で勝ちきらなければいけないので、先手で採用するには勇気が要ります。AIを使って研究していると、確かにちょっと後手が苦しいと思うことはあるんですけど、人間同士の勝負であれば、横歩取りは全くの五分と言っていいと思います」
―戦法の話の最後に、振り飛車についてぜひお聞きしたいです。最近では佐藤天彦九段や豊島将之九段が振り飛車を採用されています。このような流れについて、以前に振り飛車党だった中村先生はどのようにお考えでしょうか?
「居飛車穴熊に押されていた時代もありましたけど、振り飛車側にもさまざまな形が出てきたことで盛り返してきている印象があります。振り飛車で玉を堅く囲ってドンとさばいて勝つ快感は代えがたいものがありますし、振り飛車党はいつも振り飛車を研究しているので常に自分の得意形で戦えるという面もあります。その中で佐藤九段の場合は、芸術的な観点というかご自身の『将棋の道』を究めようとしていて、豊島九段は何か新たな発見があって、勝負で勝つために振り飛車を採用しているように見えます。お二人とも相当な下地というか研究があるのは確かで、ちょっと今日は振り飛車にしてみようかなというレベルではないです。それぞれに考え方がありつつも、居飛車党のトップ棋士が振り飛車を採用することで、振り飛車が注目されつつあるというのは面白いところかなと思います」
―先生ご自身はまた振り飛車を採用される可能性はありますか?
「可能性としては大いにあります。もうこの戦法はやらないというように決めないほうがいいと思っているので、また戻るパターンも十分あると思います」
―ありがとうございます。少し脱線して対局以外の部分についても聞かせてください。中村先生はトップ棋士として戦いながら、クラウドファンディングやYouTubeでの情報発信など、普及面での活躍がすばらしいと思っています。本当に大変だろうと思うのですが、こういった活動はやっていていかがですか?
「職業として棋士をやらせていただいているんですけど、これが成り立つのは支えてくださっている関係者の方と、何より将棋ファンの皆様のおかげです。将棋を指してお金がもらえる状況というのは冷静に考えるとすごくありがたいことです。棋士は対局を精いっぱい頑張るのはもちろんのこととして、将棋普及のための活動や発信というのは、当たり前にみんながやらなきゃいけないことだと思っています。それぞれ活動の仕方はあると思うんですけど、普及なんてどうでもいいよねっていう風に思う棋士がいるんだとしたら、それは大問題だと思います」
―最後になりましたが、今後の抱負をお聞かせください。
「トーナメントプロとして、もう一つギアを上げて高い位置に上っていきたいと思っています。あとは20代の頃から、自分にしかできないような活動をしたいと思っていました。30半ばに入って具体的にはまだ見えていない部分もあるんですが、最近は一つひとつの活動の意味合いというか、これは何のためにやっているか、どういう思いでこの仕事をするのか、ということをしっかり考えるようにしています。目の前の仕事をただこなすだけじゃなくて、こういうことのために仕事をやろうとか、ファンのためにこういう思いを届けようということを短期的じゃなくて、長期目線で考えてやっていけたらと思っています」
―ありがとうございます。今後もますますのご活躍を期待しております。
「はい。ありがとうございました」
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はしがき
藤井聡太竜王・名人が八冠を手中に収め、棋界は「藤井一強時代」に入っている。しかし、将棋界には藤井以外にも強くて魅力的な棋士がたくさんいる。この連載ではトップ棋士たちに現状の認識と、それを踏まえたうえでこれからどう戦っていくかを聞いていきたい。
トップバッターは中村太地八段。プレイヤーとしても普及の面でも活躍する中村に「私の戦い方」を語ってもらった。
テーマ1 現在の将棋界について
藤井さん以外の全棋士に課題が突きつけられている状態
―本日はよろしくお願いいたします。「よろしくお願いします」
―まずは「現在の将棋界」ということで、直近で行われた王座戦と竜王戦についてお聞きしたいと思います。藤井八冠誕生の舞台となった王座戦からお願いします。
「歴史的に大きな意味のあるタイトル戦で、世間からも注目を集めました。私は決着局の解説をしたのですが、お互いの研究も深いし中終盤のねじり合いもすごい。でも最後に人間ならではの逆転のドラマがあったのは、とても魅力的なところだと思いました。内容的には永瀬王座が押していたと思いますが、一方で藤井竜王・名人の『最後に勝つ』という勝負師としての強さも感じたシリーズでした」
―永瀬王座が相当な覚悟を持って臨まれたように見えました。
「そうですね。緊張感のある展開に持ち込んで戦っていて、相手が1手でも道を踏み外したら、もうそのまま勝ちに持っていくような鬼気迫る将棋でした。盤上に現れたのは一つの手順ですけど、水面下の隅々の変化まで網羅しているのがすごい。永瀬九段の研究がたまたまピタッとはまったのではなくて、どの道を選んでもあのような展開になっていたと思います。現代将棋において一つの形でバスッとはめるっていうのは、棋士ならば誰しもが持ちうる技術ですが、それをあらゆる展開で実現できるのは永瀬九段のすごいところです」
―先日、『八冠 藤井聡太』(日本将棋連盟)のインタビューで渡辺明九段が「藤井さん、永瀬さん、伊藤さん(匠七段)の研究には自分もついていけない」ということをおっしゃっていました。
「確かにその3人については、序盤で3人の当たり前の常識というか、定跡が作り上げられているような印象です。実戦に現れていない局面からさらに2歩3歩先をいっている感じがあります。序盤研究という意味では彼らが引っ張っていると思いますし、その人たちが勝っているというのは、現代将棋の必然の流れかと思います。ただ、その中で現在は8つのタイトルを全ての一人の人が持っているというのも事実です。高いレベルの序中盤の知識があって、中盤で互角の局面を保つのはすごいことではあるんですが、未知の局面からヨーイドンで始まって勝ちきるためには、やっぱり中終盤力が必要ということだと思います。藤井八冠の場合は逆転勝ちはありますけど、逆転負けはほとんどありません。その差がいま、全棋士に突きつけられているところだと思います」
―逆転という話が出ましたが、王座戦では永瀬王座が終盤で間違えてしまう場面がありました。
「序盤から中盤まで、本当に1滴の水もこぼさないように対局してきた極限状態の中で起きたことなのかなと思います。特に相手が藤井竜王・名人ということで何か飛んでくるんじゃないかというプレッシャーもあったでしょうし。普段の実力を出せればというのはありますけど、それは言うのは簡単でやるのは難しいことです。将棋は結構、信用の世界でできているところがあって、強い相手がこう指してきたから、何か深い意味があるんじゃないかと考えて疑心暗鬼になるのはよくあることです。似たような話で、対局していて両者とも詰みに気づいていなかったというのがよくあるじゃないですか。そういうのもお互いの雰囲気が影響し合っているからだと思います。周りでぱっと見た人はすぐに詰みに気づいても本人同士は、同じような思考になってしまって片方が気づかなければもう片方も気づかない。対局者というのは朝対局が始まってから終盤になるまでずっと同じ時間を積み重ねてきていますし、中盤のこの変化があるから終盤でこの変化は利かないと思っていた、というように考えるのもよくあることです。王座戦の永瀬王座の指し手についても、別の時間軸で見ていた人とは感じ方が違うという側面はあると思います」
―ありがとうございます。次に竜王戦についてお願いします。こちらは同年代対決で、藤井竜王が4連勝で防衛となりました。
「4―0のストレート決着でしたが、とても見応えがあって個人的にも見ていて勉強になるシリーズでした。同学年で小学生の頃から関係が続いている2人が竜王戦という最高峰の舞台でぶつかって、絶対王者が立ちはだかったという感じです。確かにいまの将棋界は藤井八冠を中心に回っていて、主人公感もあるとは思うものの、今回の竜王戦は伊藤さん視点で見ることもできます。最初は強い敵に負けてしまったけど、これから経験値を積んでレベルを上げてまた挑んでいく、という物語の第1章です。この2人はこれから何回、何十回とタイトル戦を重ねていくでしょう。今後の2人のストーリーがどう続いていくか楽しみです」
―これからの伊藤七段に注目ですね。
「初タイトル戦でのストレート負けというのは私も羽生先生との棋聖戦で経験しました。負けてしまうことは実力なので仕方ないですが、ガクッと気持ちが落ちてしまってモチベーションが上がらなくなったり、自分のスタイルを何か変えなきゃと焦ってしまって形が崩れてしまうこともあります。その点、伊藤さんの場合は棋王戦でも挑戦に近いところまで勝ち上がられているので、負けたあとの戦いぶりがすばらしいなと思います。現代将棋においては少しでも落ちてしまうと一気に取り残されてしまうので伊藤さんといえども安泰ではありませんが、その中でちゃんと高いパフォーマンスを発揮し続けてるのはすごいなと思います。また、伊藤さんはインタビューなどで藤井さんを意識していることを公言していますね。私や私より上の世代だとあまりそういうことは口に出さないで、内に秘めておく方が多かったように思いますが、最近の若い方ははっきり口にされる人が多くて、それはそれで迫力があるというか、見ていても伝わってくるものがあります」
―先生自身もタイトル戦で負けてしまったあとは、モチベーションを保つのは大変でしたか?
「私の場合はモチベーションに関しては問題なかったんですけど、何か自分に足りないものを突きつけられている感じがして、何かを変えなきゃという思いが強かったです」
―将棋界で次に行われるタイトル戦は藤井王将と菅井竜也八段の王将戦七番勝負になります。こちらについてはいかがでしょうか?
「楽しみなタイトル戦です。菅井八段といえば、振り飛車党の第一人者で独自のスタイルを貫かれている存在。AI偏重になりつつある現代において、こういう方がタイトル戦に出るというのは一つの希望というか、見ていてもワクワク感があります。ご本人もそういうところを意識されてるのかもしれないですけど、ファンの方にとっても楽しみなタイトル戦になると思います。前回2人が対決した叡王戦では藤井叡王が勝ちましたけど、内容的には振り飛車に苦戦する場面も多かったと思います。この王将戦もほぼ間違いなく対抗形のシリーズになるでしょうでしょうから、どんな展開になるか楽しみです」
―振り飛車はAIの評価が低くなりますが、そのあたりはいかがですか?
「将棋ソフト『水匠』の開発者の方によると、AIの振り飛車対策はまだ完璧と呼べるものではなくて、振り飛車で戦っていく楽しみというか、勝負の余地は十分にあるそうです。菅井八段の場合は、実際に結果としてそれを体現しているのですごいです。また、菅井八段の将棋は中終盤で形勢の入れ替わりがよく起こります。それだけ粘り強く指しているということでもありますし、人間的な観点で勝負しているというか、相手がこの手を指しづらいだろうと考えて自分の指し手を選んでいる部分もあるのかなと。そういうところをうまく解説できれば、菅井八段の将棋の面白さがより伝わるのかなと思っています」
―ありがとうございます。王座戦、竜王戦、王将戦とお話しいただきましたが、現在の将棋界は「藤井一強時代」といえると思います。この状況について中村先生は、率直にどのような感想をお持ちでしょうか。
「もちろん、同じ棋士としては羽生七冠誕生時の森下先生のお言葉じゃないですけど、藤井さん以外の全棋士に課題が突きつけられている状態ではあります。ただ、藤井さんが八冠を達成したことについては、全く違和感はありませんでした。あれだけ高いパフォーマンスで将棋を指していれば、八冠というのは自然な流れだよねと思ってしまうほどの強さです。八冠という結果に対して誰も文句を言えないというか、運がよかったねっていう人は誰もいないじゃないですか。それは単純にすごいことだと思いますし、強い者が勝つという勝負の世界の鉄則の通りといえます。あの強さにたどり着くことが果たして可能なのか、どういう風に勉強したら、どういう風にやっていったらあそこまで強くなれるのか、というのは難しいところですね。例えば藤井さんの勉強法が全て公開されたとして、同じようにやったとして、果たして藤井八冠のようになれるのかと言われたら、そうでもないような気もします。藤井八冠は努力もすさまじいですし、好きな将棋への好奇心、探究心も強い。もともと持っているポテンシャルもすごい。全てが備わっているという意味で、とても稀有な存在だと思います。藤井八冠の登場によって、将棋界が盛り上がって注目していただいている。これだけ広く一般の方にまで将棋が認知されたというのはほかでもない藤井八冠のおかげですので、そこはいまの将棋界にいる身としては感謝の気持ちはあります。そうはいっても1人だけが強いままでは業界は盛り上がりませんので、私も含めて棋士がそれぞれに頑張っていく中で、自然と盛り上がりにつなげられればと思っています」
―誰が藤井八冠を破るのか、というのが、いま多くの人にとっての注目ポイントだと思います。どういう人が藤井八冠に勝つことができるのでしょうか。
「それは難しい話ですけど、でもやっぱり藤井八冠に勝つには序中盤でほんの少しのリードを奪って、そこを保ちきるっていうことしかないと思うんです。藤井八冠は常に最先端にいますしスキがほぼない状態なので、奇をてらっていくよりは王道の勝ち方で勝てる人でないと、番勝負で勝つのは難しいのかなと思います。いつの時代も最後は中終盤力にいき着くので、将棋の力がある人が勝つということだと思います」
―中村先生が藤井八冠と番勝負で戦うなら、どのように戦いますか?
「タイトル戦の舞台に立ちたいというのは常々思ってることですし、それが大きなモチベーションなので、まずは戦えるように頑張りたいです。戦うとなったらさっき言ったように死ぬほど研究して序中盤でほんの少しリードを作って、そこからはもう頭を必死に回転させてミスをしないようにする、ということしかないんじゃないですかね」
―前期の竜王戦で広瀬章人九段がやったような戦い方はいかがでしょう。
「最先端ではなく、もう少し前の序盤戦を掘り起こして、自分だけ研究が深い状態に持ち込むというやり方ですね。それは一つの戦い方で、30代くらいの棋士が藤井八冠相手にやっている印象を受けます。ただ、そういう作戦を藤井さんが受けている中で、経験がたまってきてどんどんスキがなくなってきています。その戦い方が通じる早いうちに倒さなくてはいけなかったということかもしれません。藤井八冠に唯一なかったものがいろいろな戦型の経験値だったと思うんですけど、高いレベルで経験を積んだことでそこから生まれるスキももうなくなりつつあると思います。この路線で藤井八冠に勝つなら新戦法を2、3年かけて温めておいて、番勝負が始まったときにドンと出して、対策が追いつかないうちに勝つという展開しかないかもしれないですね」
―確かに、藤井八冠もデビュー当初は横歩取りが苦手とか、早指しは得意ではないなどと言われていましたが、いまはそういう弱点のようなものが見当たらないです。
「デビューして数年は苦戦に陥ることを覚悟のうえで自分の力をつけるためにさまざまな戦型にトライしていたと思いますが、複数タイトルを取るようになって八冠が現実的になったあたりから、勝つことに重きを置いたように見えました。ご本人は口には出さないですが、この1、2年に関しては比較的結果を重視した戦型選択だったり、指し方だったのかなと思います。デビューして間もない頃のインタビューで、将棋の実力が向上するのは25歳ぐらいまでだとおっしゃっていたので、藤井八冠の中で何カ年かの計画があるのかもしれません。デビューした中学生の頃から何十年後かを思い描いていたのだとしたら、ちょっとそのプランをのぞいてみたい気もしますね」
―今後どう変わっていくのか注目ですね。
「八冠は期待も大きかったので、達成されて肩の荷が下りた部分はあると思います。全てのタイトルを取って、どう変わるのかは気になりますね。また、藤井八冠が本当の意味で追い込まれた場面というのは、これまで見たことがありません。番勝負でフルセットになって最終局で敗勢に陥るとか、五番勝負で0―2に追い込まれるとか、そうなったときにもう1段階深い藤井将棋が見られるように思います。これまで単発の将棋で追い込まれたことはあっても、番勝負ではその状況に至っていません。藤井八冠はあと2回くらい変身を残しているように思いますので、それも楽しみですね」
テーマ2 今後の戦い方について
課題は中終盤の力。新しいツールも取り入れる
―ここまで語っていただいたような将棋界の現状がある中で、先生ご自身が今後どのように戦っていこうと考えているか、お聞かせいただけますでしょうか。「厳しい競争の時代ですけど、もう一度タイトル戦に出たいという気持ちはありますし、順位戦でも上を狙える位置にいたいという思いはあります。そのためには若い世代、上の世代問わず、いろんな人からいいところを吸収して、自分の力につなげていけたらと思っています。いま私が35歳で一般的にはここから先、伸びるかどうかわからないと思われてしまうような年齢です。ただ、頂上までいけた人は落ちてしまうのも仕方ないですが、自分の場合は反省点ばかりで、伸びしろしかない部分もあると思っています。もちろん、落ちてしまう能力はあるかもしれないですけど、逆に伸ばせる部分もたくさんあります。全体として見ればまだまだ将棋が強くなる余地がある、というかあまりにも強くなる余地がありすぎる状況だと思うので、今後については自分の頑張り次第かなと考えています」
―戦っていくうえで、ご自分の長所はどのあたりにあるとお考えですか?
「積極的に攻めていくところであったり、中終盤の難解なところでいろんな可能性を探ってみるところは、自分としては大切にしています」
―先生の将棋を見ていてもそのイメージはあります。続いて、現在の研究の仕方と、これからこう変えていきたいというものがあれば教えてください。
「研究会をしたり詰将棋を解いたり、という中にAIが入ってきて、AIを使って序盤研究をしたり自分の指した将棋で感想戦でもわからなかった疑問をAIに聞いてみるということをやっています。ただ、やっぱりさっきも言ったように、中終盤の将棋の力を向上させないことにはトップレベルで戦うことはできないと思います。そこを何とか向上させたいと思うんですけど、何十年も何百年も将棋の歴史がある中でその方法として確立されたものはないので、模索中といったところですね」
―確かに、序盤はAIの研究が生きそうですが、中終盤の力はどうやったらつくのかわかりません。
「棋譜のデータベース化やAIの登場のように、新しいツールがプロの実力向上の助けになることが歴史の流れとしてあるので、今後年齢を重ねていきますけど、そういう新しいものに拒否反応を示さないで、とりあえず試してみるというのはやっていきたいと思っています。あるいは同じAIを使うにしても、ちょっと変わった使い方をしてみるとかですね」
―現時点で何か具体的な方法はありますか?
「これまでの使い方は、序盤の局面の評価値を見たり、AIと対局したり、ある局面を見てこの局面は何点差がついているのかを想像してAIの評価値と自分の感覚の差異を確かめてみたり、といった方法がありました。最近聞いた中で面白いと思ったのは、AIに特定の棋士の棋譜を学習させて、その人っぽい手を指すAIを作ることができるらしいんです。そうなれば、対戦相手のシミュレートにも使えますし、自分のAIを作れば、自分自身の弱点を可視化して、それを改善するようなトレーニング法もできるかもしれません。私は昔解いた詰将棋をもう1回解くことが好きでよくやっているんですけど、そうしたときに前につまずいたのと同じ問題でつまずくということがよくあるんです。何か『思考の癖』のようなものがあるんだろうなと思うので、それを矯正できるようなツールがあれば、もう1段階レベルアップできるような気がします」
―すごく興味深いお話ですね。いまのAIは強くなりすぎて人間とかけ離れてしまっているところが一つの問題というか、使ううえでの難しさだと思っていました。AIの研究と対人の練習を組み合わせて使うのかなと思っていたんですけど、いまのお話を聞いて、対人練習もAIでカバーできる可能性があるんだなと思いました。自分自身をAI化することで能力向上を図るというのは、将棋以外の分野でも広がっていきそうです。
「それほど遠い未来の話ではないと思います。AIを使って研究すれば、序盤では特にいい手を指すことができるんですけど、記憶力にも限界がありますし、終盤戦でぱっと未知の局面に放り出されたときに間違えてしまうわけです。序盤の研究範囲の部分をノータイムで飛ばして、研究が切れたところで大長考に沈むっていうのが現在よくある展開ですけど、結局そこでいい手を指せないとあまり意味がない。そこでもいい手が指し続けられるのが、現状は藤井八冠くらいなのではないかと思いますし、そこがいろんな意味でいちばんキツく感じる差です。自分も途中まで研究通りに進んでいて、それが外されたところで長考に沈んでしまって、どう指したらいいか全くわからないときに、ちょっと情けない気持ちになることがあります。逆に相手が研究範囲ですよといわんばかりにノータイムで指し続けているときに、自分の考えではこの手を指したいけど、この手も研究通りだろうからやめたほうがいいのかなとか、そういうことを考えていること自体が若干情けないというか寂しい気持ちになります。自分がしっかり勉強に取り組んで、ある程度力がついたと思えばそういう恐れや不安もなくなるはずですので、そう思えるようになりたいですね」
テーマ3 具体的な戦い方について
角換わり、横歩取り、振り飛車。ギアを上げて高い位置へ
―ここからはテーマ1、2でお話しいただいたことを踏まえて、今後具体的にどのように戦っていくかについてお話しいただければと思います。先生は現在、先手番では角換わり、後手番では横歩取りを多く採用されているように思いますが、戦型選択についてどのように考えていますか。「確かにここ最近はその2つが多いですね。ただ、幅広い戦型を指しこなせるようになりたいというのは、常々思っていることです。振り飛車党から居飛車党になったのも、やっぱり将棋をもっと深く知りたいという気持ちからでした。同じ戦法ばかりやっていると、相手に的を絞られてしまうということもあります。でも一方で一つの戦法を極めたいという思いがあったり、やっぱり勝つ可能性が高い戦法を選びたいという気持ちもあって、その辺りで揺れ動いている感じです」
―なるほど。その中で角換わりがやや多めになっているのはやはり勝ちやすさが要因でしょうか。
「自分の好みですかね。積極的にいけるところとか」
―なるほど。AIの世界では「角換わり腰掛け銀は先手必勝」という話も出ていました。
「そうですね。ただ、人間レベルだと当然覚えきれないですし、中盤で評価値が若干先手に振れていたとしても、人間同士でやったら後手のほうが勝ちやすいという局面もあるので、それは気にしなくていい話なのかなと思っています」
―AIに先手必勝と言われると、ちょっと心強いということはないですか?
「もともと人間って何かを支えにしたいという部分はありますよね。ゲン担ぎとかもそうですし、これだけ練習してきたから勝てるはずというのもその一つですね。AIの結論もそういうものだと思います」
―気持ちの拠りどころのようなものにすぎないということですね。
「そうですね。あとこれは本当に細かい話ですが、コンピュータ将棋は持将棋の点数計算方式がプロの24点法じゃなくてアマ大会などで採用されているのと同じ27点法なんです。この点数方式の違いで、ある手を選ばないという話が出てきています。実際、公式戦でもルールの違いで影響がありそうな変化が出てきたこともあります」
―そんなところまでいってるんですか。確かにそうなってくるとAIの結論というのは人間同士の将棋とは別物ということになりそうです。
「ただ、ずっと将棋をやっている身として、死ぬ直前に将棋の結論は知りたいですね。いま知ってしまうと少し寂しいので死ぬ直前に知りたいです。将棋の完全解析となるとかなり難しいようですけど、あと何十年後かにはいまは想像つかないような技術革新があるかもしれないので、期待したいです」
―ちなみに、将棋の結論について、先生の予想は何ですか?
「これ、合っていたら何年かあとに話題になるやつですね(笑)。うーん、どうなんでしょう。引き分け(千日手)にします」
―そう考える理由はありますか?
「そんなにハッキリとしたものはないんですが、ずっと互角のまま最終盤まで進むと、先手から仕掛けると後手に受け止められてしまうのかなと」
―なるほど。いつか結論が出たときを楽しみにしましょう。さて、角換わりのお話をいただいたところで、もう一つ先生がよく採用されている横歩取りについてもお聞かせください。
「序盤の評価値では、常に先手がよく出ます。ただ、AI同士で対局を進めていくと結局、互角に戻ってくるということがよくあります。振り飛車もそうですけど、いまのAIは序盤にすごく評価を落としますが、5年後くらいにいまを振り返ると、全然そんなことなかったねっていう話になると思うんです。いまの評価値が完全に正しいということはないだろうという感触はあります」
―横歩取りは青野流が登場したことで急激に減ってしまった印象があるのですが、現在はどういう状況なんでしょうか。
「青野流は確かに有力な指し方ですけど、一つの戦法を終わらせるようなものではありません。横歩取りといってもいろいろな形があって、玉だけでも4二玉型、4一玉型、5二玉型、6二玉型がありますし、角も3三に上がる形と上がらない形、飛車も8五と8四があってまだまだ解明されていない変化は無数にあります。また、青野流をやるにしても後手がどんな対策を用意しているかわからないので、先手もやるのは大変です。後手の対策を全て把握して、難しい中終盤で1手のミスも許されない展開で勝ちきらなければいけないので、先手で採用するには勇気が要ります。AIを使って研究していると、確かにちょっと後手が苦しいと思うことはあるんですけど、人間同士の勝負であれば、横歩取りは全くの五分と言っていいと思います」
―戦法の話の最後に、振り飛車についてぜひお聞きしたいです。最近では佐藤天彦九段や豊島将之九段が振り飛車を採用されています。このような流れについて、以前に振り飛車党だった中村先生はどのようにお考えでしょうか?
「居飛車穴熊に押されていた時代もありましたけど、振り飛車側にもさまざまな形が出てきたことで盛り返してきている印象があります。振り飛車で玉を堅く囲ってドンとさばいて勝つ快感は代えがたいものがありますし、振り飛車党はいつも振り飛車を研究しているので常に自分の得意形で戦えるという面もあります。その中で佐藤九段の場合は、芸術的な観点というかご自身の『将棋の道』を究めようとしていて、豊島九段は何か新たな発見があって、勝負で勝つために振り飛車を採用しているように見えます。お二人とも相当な下地というか研究があるのは確かで、ちょっと今日は振り飛車にしてみようかなというレベルではないです。それぞれに考え方がありつつも、居飛車党のトップ棋士が振り飛車を採用することで、振り飛車が注目されつつあるというのは面白いところかなと思います」
―先生ご自身はまた振り飛車を採用される可能性はありますか?
「可能性としては大いにあります。もうこの戦法はやらないというように決めないほうがいいと思っているので、また戻るパターンも十分あると思います」
―ありがとうございます。少し脱線して対局以外の部分についても聞かせてください。中村先生はトップ棋士として戦いながら、クラウドファンディングやYouTubeでの情報発信など、普及面での活躍がすばらしいと思っています。本当に大変だろうと思うのですが、こういった活動はやっていていかがですか?
「職業として棋士をやらせていただいているんですけど、これが成り立つのは支えてくださっている関係者の方と、何より将棋ファンの皆様のおかげです。将棋を指してお金がもらえる状況というのは冷静に考えるとすごくありがたいことです。棋士は対局を精いっぱい頑張るのはもちろんのこととして、将棋普及のための活動や発信というのは、当たり前にみんながやらなきゃいけないことだと思っています。それぞれ活動の仕方はあると思うんですけど、普及なんてどうでもいいよねっていう風に思う棋士がいるんだとしたら、それは大問題だと思います」
―最後になりましたが、今後の抱負をお聞かせください。
「トーナメントプロとして、もう一つギアを上げて高い位置に上っていきたいと思っています。あとは20代の頃から、自分にしかできないような活動をしたいと思っていました。30半ばに入って具体的にはまだ見えていない部分もあるんですが、最近は一つひとつの活動の意味合いというか、これは何のためにやっているか、どういう思いでこの仕事をするのか、ということをしっかり考えるようにしています。目の前の仕事をただこなすだけじゃなくて、こういうことのために仕事をやろうとか、ファンのためにこういう思いを届けようということを短期的じゃなくて、長期目線で考えてやっていけたらと思っています」
―ありがとうございます。今後もますますのご活躍を期待しております。
「はい。ありがとうございました」
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