【第4回】『酔った日本語』 | マイナビブックス

掌編小説「言葉」シリーズ

【第4回】『酔った日本語』

2014.05.31 | 岩村圭南

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 日本語の言い間違いにまつわる話。息抜きにお読みください。

 『酔った日本語』

 酔客で賑わう路地裏の居酒屋。どことなく時代がかった店の雰囲気に誘われ、ふらりと暖簾を潜る。カウンターの中程に空席を見つけ腰を落ち着けた。早速お勧めの日本酒を。とは言っても、この店には一つの銘柄しか置いていないらしい。棚に同じ一升瓶がずらりと並べてある。『酔って候』か。司馬遼太郎?産地はどこだろう。『酔』の右上に小さな文字『日本……』が見える。それを冷やで注文し、ちびりちびり飲み始めた。舌先が痺れるような荒い味の酒だ。
 からすみを肴に二杯目を飲んでいると、右横に座っている若いカップルの話し声が耳に入ってくる。
「髪をさっぱり切っちゃたんだね」
・・・さっぱり切る?耳慣れない表現だな。何を言ってるのか俺にはばっさりわからん。
「長い方が良くなくなくない?」
・・・良いのか、悪いのか、どっちなんだ。その言い方って、わからなくなくない?
「いやーん、カツオのいけす」
・・・どうしてそこで鰹の生け簀が出てくる。ちょっと待てよ。ひょっとしてそれは彼氏のカツオ君に対して言ったのか。じゃあ『生け簀』じゃなくて『いけず』だろう。耳かじりの、おっと、ここで俺が間違えてどうする。聞きかじりの関西弁を無理して使おうとするからそうなる。
 側耳を立てている訳ではないが、今度は左手にいるサラリーマン風二人連れの話し声。
「お前、ただじゃ転ばないよな」
・・・ん?随分はしょった言い方だ。言わんとする意味はわかるが、起きない、はどこへ行っちまったんだ。語順も違ってるぞ。転んでもただじゃ起きない、だろう。酔ってるとなんとなく意味が通じちゃうんだな、これが。
「それでさ、言ってやったんだよ。明後日来やがれってんだ。このおっとどっこい」
・・・一昨日だろう。明後日なら戻って来られる。それじゃ相手を一喝する言葉にならない。『では、そうします』と返事されたらどうするんだ。それに、『おっとどっこい』と『すっとこどっこい』を混同してる。二つは似て非なる表現だ。
「まあ我慢しないとな。桃食い三年、柿八年って言うだろう」
・・・おいおい。そんなに長い間、桃と柿を食い続けてどうする。新手のダイエットに挑戦するのか。ところで栗は一体どこに姿を消したんだ。
 おかしな日本語の響きが耳について離れない。首を左右に何度か振り、酒を一気に飲み干し、おかわりを注文した。
 少しして、また聞こえてきた。後ろのテーブル席に座っている連中だ。人差し指で耳栓をするが、却ってそれが逆効果になり、つい聞き入ってしまう。
「あの二人、焼けどっくりに火がついちゃったんだよな」
・・・木杭(ぼっくい)を『ぼっくり』ならまだしも、『どっくり』はだめだろう。焼けた徳利に火をつけてどうする。そんな酒とても飲めたもんじゃない。手も口も大やけどしちまう。
「俺がどうして二人の関係を知ってるかって?それは蛇の道は蛇だよ」
・・・何?じゃのみちはじゃ?いやいや、最初は音読み、次は訓読み。『じゃじゃ』は蛇じゃなくて馬。うーん、どう考えてもここにいる客は皆変だ。呂律が回らぬほど泥酔しているようには見えないが。日本語がどこかおかしい。
 疑問に思い店主に問いかけた。
「この店の客は一体どうなってるんだ」
「皆さん酔ってるんですよ。日本語が」
「日本語が酔ってる?」
 店主が一升瓶を手に取り、ラベルを見せながら言う。
「手前どもでは日本語を酔わす酒を出しておりまして、銘柄は『酔って候』です。お気づきになりませんでしたか。ほら、ここに小さく『日本語』と書いあるでしょう。今飲まれている酒がそうです」
「ふざけた酒を出しやがって。俺を何様だと思ってるんだ」
「ええ、もちろん、お客様でございます。お客様の日本語も少々酔われたようで」
「俺は何様?お客様か。ひっく……」(了)

 楽しい週末を。Have a nice weekend.