アムステルダム(管啓次郎)


水路が扇のように風を生む北の港町だ

路上を埋めつくすかもめたちをかわしながら歩く

こんな冬の底で夏の夜のひまわりを思えば

黄色い野原が目の前によみがえる

自分の耳を切ったあの男はどんな黄色を見ていたのか

おれは知らない、おれは絵筆の代わりにスプレー缶をもち

この煤けた街路をカーニヴァル化する

おれの両親はスリナムからクラサオに移り

おれの遺伝子はカリブ海の色に調合された

逃亡奴隷、密林のインディオ、ジャワ島の苦力のすべて

見てくれ、おれの顔こそ雑色の愛の証明

おれは清掃人、秘密の革命家

人数が不揃いなサッカー試合の選手

週末にはシナゴーグ、教会、モスクから同時に

天使が現れておれのゴールを祈る

球という絶対的な平等に魂はあこがれる

 

路上に踏みつぶされたポテトを狙って

気のいいかもめたちが空から舞い降りる

出遅れた鳩たちに残されたのは

潰れたポテトと同型の空気のかけら

街路がこの世の群衆でみちたとき

水路を歩いてゆく光の人々がいた

とりかえしのつかない過去が目の前で再演される

きみは裏窓のカーテンを開けたことがなかった

きみから陽光と生活音はすっかり奪われた

かもめたちの濁声は果たせない自由の歌

散らばる文字は未来からきみを誘うのだ

父親は辞書を引きつつ毎日ディケンズを読んだ

姉は使うあてもないラテン語を勉強した

一家はこの狭い階段を下りることなく暮らした

アンネリース、あらゆる約束は約束に留まって

きみのすべての明日はノートの美しい筆跡として踊る

 

 

2014年2月5日、アムステルダムからの帰路、乗り継ぎ待ちのヘルシンキ空港にて。暁方ミセイさんへ送信。

 

カテゴリ: シーズン1, 遠いアトラス/石田瑞穂+管啓次郎+暁方ミセイ
タグ: , , ,