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【WEB版】羽生善治名人×吉川壽一(書家)『羽生名人、書であそぶ』

2015.12.18 田名後健吾

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この対談は、2015年10月17日に福井市で開催された「秋實名人対談」イベントの一部を抜粋しまとめたものです。将棋世界1月号に掲載した記事に、収めきれなかった会話と、未公開写真を盛り込んで、ロングバージョンでお送りします。

【於】福井県福井市「金井学園講堂」
【主催】福井ケーブルテレビ
【後援】公益社団法人 日本将棋連盟/株式会社 囲碁将棋チャンネル
株式会社マイナビ/毎日新聞社/福井新聞社
NHK福井放送局/福井テレビ/株式会社 ムラタ
【特別協力】学校法人 金井学園
【撮影】常盤秀樹、田名後健吾

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――ステージ上に2畳ほどの巨大な和紙が3枚並べて敷かれている。スーツから黒い作務衣に着替えた羽生名人が現れ、薄墨をたっぷり含ませた箒ほどの大きな筆を抱えて立つと、吉川氏とともにあうんの呼吸で紙を上を動き回り、一心不乱に筆を走ら始めた。観客にはプロジェクターのスクリーンを通じて、羽生名人が「□」「△(駒形)」「○」を書き進める様子が伝えられる。それぞれ、将棋盤・駒・人生をイメージした形だという。




吉川氏と即興のパフォーマンスに挑戦する羽生名人。作務衣姿は珍しい光景だ









事前の打ち合わせが全くない即興のパフォーマンス。最初はとまどいを見せていた羽生名人だが見事な図形を書ききった


吉川「僕は前衛書道をやっておりまして、新しい感覚でパッと見たところ、羽生名人が書かれたこの円は、ものすごい迫力が感じられて大変素晴らしい! 毎日書道展の前衛部門に出せば入選するのではないでしょうか」

羽生「ありがとうございます(笑)。吉川先生はこうやって皆さんの前で大きな字を書かれことが多いのですか?」
吉川「ほとんどそうですよ。今度は僕が書きますので、ここで見ていてください」
――1畳分の大きさのキャンバスが2枚、立てて並べられる。表面は白紙だが吉川氏が裏から筆で墨を塗っていくと!?
羽生「あっ、何か文字が白く浮かび上がってきました。“勝”という字ですね」
吉川「書家にとって“勝つ”って何だろうって思います。2003年に“来年の大河ドラマは『武蔵』”という小さな小さな新聞記事を見つけたとき、“このドラマの題字はお前が書け”という声が天からふわっと降ってきました。NHKのプロデューサーから“宮本武蔵とは何か”と質問された僕は、“静と動が非常にうまく合わさった人”と話しました。彼の人生は、若いときは動的で勝って勝って勝ちまくった。負けていたらいまの歴史の中には宮本武蔵はなかった。そして晩年は(真剣勝負をやめて)『五輪書』を書くなど静の中で生きたわけだけれども、知恵の中に勝ちを持ち込んだ方であろうと私は感じます。彼の生き様は、頭の上から下まで、常に勝ちっていうものを念頭に置いて生きてきた方だと思ったわけです。そういうことを話したところ、プロデューサーが“それ、マルですね。大河ドラマ『武蔵』の題字は吉川先生が書いてください”とおっしゃった。
もうひとつは、日本球界の長嶋茂雄さんですね。長嶋さんの前で大きな字を書く機会を作っていただいたときに、やはり“勝”と書きました。それは読売新聞社の永世監督室に飾られています。私が最終画の“力”をふっと書き終えたとき、正座をして見ておられた長嶋さんが『決まりましたね』っておっしゃった。空間を決める、線を決めるということもありますが、その“決まった”を見る人に感じてもらえたときが、僕たち芸術に携わる人たちにとっての勝つということではないかと思っています。
 羽生名人にとっての“勝つ”とは、どういうことでしょうか。

羽生「そうですね、将棋の場合は勝負がつきますけど、それがすべてでもないですし、負けてしまうと悔しいというところもありますし、当然ながら見てくれている人が喜んでもらえたかっていうところもあります。あと、対局に勝ったとしても、自分自身で本当に勝ったという感じを持てないときもあります。そういう意味で、すべての面でうまくいったときっていうことなのかなと思います」

書の芸術家と盤上の芸術家の感性のぶつかり合いによる異色のステージ


吉川「まだお話が続きますので、それでは次にいかせていただきます」
羽生「次にどんな言葉が出てくるか……いや、あまり予想しちゃいけないんですね、きっと。えーと、さすがに“負け”じゃなかったですね(笑)。“運”?、あっ“運”だ、はい」
吉川「お分かりになりました?(笑)。“運”。ツキというふうに言ったりもしますけど、羽生名人は運はおあり?」
羽生「分かりません」
吉川「分かりません?」
羽生「本当に分かりません(笑)」
吉川「私自身は、あんまりバーンとした運は・・・・・・とは思うんですが、皆さんからいろんな形で支持をいただいているので、運気はあるほうだと思っております。勝負の世界では、“勝ち運に恵まれる”とかいったりしますけど」
羽生「まあ巡り合わせとか、そういうのも運でしょうしね。タイミングもそうでしょうし、不可抗力的なことを含めばかなりのことが運ってことになりますよね」
――吉川氏のパフォーマンスは続く。新しく用意された3枚のキャンバスに、再び裏から墨が塗られていく。

羽生「何も書かれていない紙に、文字が浮かび上がってくると不思議な感じですね。今度は2文字ですか……“直感”」
吉川「はい。羽生名人は直感というものをどのくらい信じますか?」
羽生「どのくらい信じるっていいますか、迷ったときに直感に立ち返ることが多いですかね。ちょっと袋小路に入ってしまったなというときに、コンパスのように直感に戻るっていうことでしょうか」
吉川「まああの、私が作品を書くときには、ぱっと紙面を見たときに、直感的に感ずることがあったらいちばんで、すぐに飛び込んでいけるんだけども、だんだん鈍感になってきつつあって、いま大変苦労してます。直感を磨くというのは、どういうふうにすればよいのでしょうか」
羽生「たぶん、こういうやり方をしたら磨かれるというものではなく、どうでもいいこととか無駄なことの中に見つかるものがあるんじゃないでしょうか。方法論がないところに難しさも面白さもあるのかなあっていう気がしています」
吉川「羽生先生はお忙しい方なので、いつもリラックスした状態を作っていないといけないのかな、ってぼくは思っているんですけれども。リラックスする方法っていうのは、直感につながっていくものがあるんじゃなかって気がします」
羽生「ぼんやりするのがいいですね。何にもしないで」
吉川「そんな時間があるんですか?」
羽生「というか、眠っている時間はぼんやりしている訳ですから、そのあいだは頭が切り替わっていうことがあると思います。まあそういう頭の切り替えは大事なのかなあと思っています」
吉川「次にいきましょう。続いて、漢字の“閃き”とひらがなの“ひらめき”なんですけれども、羽生名人はどちらのほうですか?」
羽生「そうですね、ひらがなのほうが何かこう、ひらめきっぽい感じがします(笑)」
吉川「将棋の感性やひらめきは、どういうふうな感じで現れるのですか?」
羽生「どう言ったらいいんでしょうか。論理的な思考でうまくいかないときに、掛け算のようにいっぱい足していくんじゃなくて(逆に)引いていくことをやったときに、ひらめくときもある。でもいつもそういうことがあるわけではないので、運次第ってところもあります」
吉川「人生の中では、ぼんやりしていてもひらめきがくることがあります。僕は、寝ながら何かをやりながらそれをずっと待ってるんですけど。ひらめきを信じて指した手が、すごくいい手だなっていうときもあるでしょうし、逆もあるんじゃないかなと思うのですが」
羽生「そうですね。冴えているときは答えが先に分かって理屈は後からついてくるので、読まなくてもこれは正しいっていうのがまあ瞬間的に分かります。ただ裏付けは取らないといけないので、順番が逆ってところはあるかもしれないです」

意外性のある進行に羽生名人も観客と一緒になって楽しんでいる様子

吉川「もう少し対談を続けさせてください。後ろを見ていただきたいのですが」
――最前から、ステージの背面には将棋盤に見立てて81枚の半紙に書かれた文字や絵がずらりと掲げられている。吉川氏が羽生名人にちなんだキーワードを集め、書で表現した言葉の数々である。

吉川「これらは、羽生名人が少年時代にどのように歩んできたのか、これまでの棋士人生で起伏があったのか、その辺のところをストーリー的に挙げた言葉です。いくつか選びながら話を振らせていただきます。まず“はさみ将棋”と“まわり将棋”。若い人が将棋に興味を持っていくための第一歩というわけですけど」
羽生「そうですね。私は小学校1年生のときに同級生の友だちに将棋を教わったんですけど、最初は本将棋ではなくて、はさみ将棋やまわり将棋で、駒と遊ぶということから始めました。それで将棋って面白いんだなあと思ったので続けられたんですけど。だから皆さんもいちばん最初はそういう気楽なところから始めてもらえたらうれしいなと思います」
吉川「あそこに“教えない”という言葉がありますが、将棋の師匠というのは弟子に教えていただけないのですか」
羽生「将棋の世界の伝統で、入門して必ず師匠につくのですが、直接将棋を教わる機会はほとんどなくて、入門のときにどれくらい指せるかを見るために1局は指してくれますが、その後はほとんど指してくれません。一人前のプロになって、公式戦で師匠と顔を合わせるっていうのが恩返しになります。だから職人さんの世界にちょっと似ているのかもしれません。言葉とかで教えるんでなくて、姿を見て学んでいくってことですかね」
吉川「つまり独りで考えろと。それに関連した言葉では、“将棋無双”と“将棋図巧”ですか。これは何ですか?」
羽生「これはですね、江戸時代に作られた詰将棋の作品集なんです。将棋の世界は江戸時代には家元制度でした。名人は詰将棋を作ってそれを将軍家に献上するのがいちばんの仕事だったんですね。時の名人が精魂尽くして創作した詰将棋なので非常に難しいんです。私も十代の頃、(無双と図巧を)独りで考えたんですけど、1日に1題解ければいい方で、ひどいと1ヵ月解けないことがありました。それは考える訓練として非常に役に立ったところがありますし、難しいだけじゃなくて非常に芸術性が高いんですね。作品の素晴らしさや美しさ、感動みたいなのものを合わせていかないと、なかなか続いていかないのかなあという気がします」
吉川「ものすごい手数の作品もあるじゃないですか」
羽生「ああ~そうですね。いちばんいままででいちばん長いのだと、1500手くらいのがありますし、江戸時代この将棋無双、将棋図巧でも600手くらいの作品があります。ただ、すごく難しいかというと、意外と難しくないんですね。どうしてかっていうと同じ手順の繰り返しなので。50手1組くらいの手順で1個の駒が消えるというのが何回も続いていくで、意外と難しくありません。好きな方は挑戦してみてください(笑)」
吉川「600手とか言われるともう最初からギブアップな感じです。私は3手5手詰めで頑張っていきます(笑)。“潜水”という言葉は、リラックスするという意味でしょうか?」
羽生「いや、これは集中していくことが海の中に潜っていくようだという表現です。すぐには深く潜れないので、浅瀬のところからだんだん慣れていって、深く潜っていく。で、本当の深い集中というのは長い時間はできません。限られた時間の中で深く集中することが、潜水するというのと似ているってことですね」

吉川壽一(よしかわじゅいち)
1943年生まれ。自由な発想と優れた企画力でスケールの大きな表現世界を開拓。国内にとどま
らず、SHO Artist として精力的に活動している。
U.A.E のドバイ赤沙砂漠にてヘリコプターでの書ING を成功させ、パリ・エッフェル塔下での大書、中国・天安門前で45m ×15m の大揮毫を観衆3000人余の前で披露した。
NHK 大河ドラマ『武蔵」や漫画『ジパング』『バガボンド』ほか数多くの題字も手がける



吉川 「ここに“1勝4敗”っていうふう言葉があるんですけども、これは?」
羽生「“1勝4敗”はですね、私が(19歳で)初めてタイトル(竜王)を獲って、次の年私負けてしまったんですけど、そのときのスコアが1勝4敗だったということなんです。ただ、こういう言い方もちょっと変なんですけど、負けてよかったというか、そのときの真の実力を表したということ。自分を知るという意味では、非常にいい負けだったのではないかなというふうに思います」
吉川「続いて、“駒が下がる”っていうのは、ぼくはまったく意味が分からないのですが」
羽生「将棋の駒というのは、基本的に前に進むようにできているので、だから下がってしまうときは、あまり状態(調子)がよくないっていうことですね」
吉川「“九時間”というのは、名人戦の持ち時間ですね。ふだんの対局も長時間にわたって戦われるわけですが、体力の維持はどういうふうにされていますか。
羽生「将棋の場合は普通の体力とちょっと違っていて、ずっと考えても疲れないとか、疲れても集中力が落ちないとか、そういう状態をいかに持続するか。マラソンを走るのと似ていて、スタートであんまり速く走っちゃうと疲れるので、ある一定のスピードを常に保ち続けながら考えたり、コンディションを維持するというのが将棋の体力というのになるのかなあとは思ってますね。書家の場合はいかがですか。先ほどからの吉川先生を見ているだけでも体力を使いそうだなっていうのはよく分かりました(笑)」
吉川「こういうふうに大きな筆を持つときは腕力を使いますから、ある程度は体を鍛える必要があります。重たく感じてはよい線が書けませんから。以前、中国でやったときの筆は、墨を付けると65キロの重さになりました」
羽生「ええっ、じゃあ人をひとり抱えているようなものですね」
吉川「羽生先生の体重よりも重いですね(笑)。精神力もそうでしょうけど体力は書家にとっても非常に大切です」
羽生「精神状態って字に表れたりするんですか?」
吉川「やっぱり健康的な字っていうのが第一ですね。パッと見たときに、それがふっと自分に感じられる力がないと、書っていうのは成り立たないと思うんです」
羽生「では、書を見てなんかこの人ちょっと病んでるなって感じることは?」
吉川「それは分かりますね。線に表れますから」
羽生そうなんですか。はは、そうなんですか(笑)」
吉川「続いて“七冠王”。羽生先生の七冠制覇は、当時不可能っていうふうに皆さんも思ったし、僕もそうでした。あのときは、どんな感じでしたか?
羽生「20年前の話なので、もうかなり忘れてしまっているっていうのが実情ではあるのですが。ただまあそうですね、本当にこれは巡り合わせみたいなものもあったり、あと、目の前の対局を続けていった結果として、そうなってしまったというところがあります。自分にとっては不思議な経験でした」
吉川「タイトルを全部取ったり、保持していくとうのは至難の業ではないかな、と感じます」
羽生「そうですね。将棋のタイトルって7つあるんですけども、だいたい1つにつき2ヵ月から長いと3ヵ月くらいかかります。1年は12ヵ月なので、7つを全部戦うということは、2つのタイトル戦を同時に行うこともあるので、気持ちを維持していくのは結構大変です」
吉川「続いて“感想戦”。テレビを見たりして、僕が不思議な世界だなあと感じるのが感想戦です。勝った人と負けた人で結構長い時間されてますよね。どういう風なおしゃべりをされているのでしょうか」
羽生「ひとつは、お互い対局が終わってまだ興奮状態なので、少しクールダウンしていくためになっているところもあります。あと、1人の考えや発想、思考っていうのはやはり限界があるので、そこで相手の人の考えた読み筋を照らし合わせてみると、より深く理解できるところもあります。2人だけでやらすにもうちょっとたくさんの人数でやるときもあるので、それこそ3人寄れば文殊の知恵じゃないですけれども、いろんな意見が出て将棋の進歩も早いっていうことですね」
吉川「はい。ところで、羽生名人といえば“羽生マジック”ですね」
羽生「はい。でも別にマジックショーではなく、何かを消したりとかトリックがあるわけじゃないんですけど(笑)。自分ではごく普通に指しているつもりですが、そういうふうに言ってもらえるのは非常に光栄なことだとは思っています」
吉川「“手が震える”とか、このへんがひとつの言葉になっていますけれども」
羽生「ああ、そうですね、まあ、勝ちを意識したときに手が震えるということで。あまりそんなことって日常ではないですよね。先生のこの書をよく見ると、字も震えてる感じで書いているんですね、カタカタカタって(笑)」
吉川「テレビで見て、こんな感じになっているんじゃないかなと(笑)。では最後に“夢”。今日の夢、明日の夢は?」
羽生「後悔しないようにっていうのは大事なのかなと。先のことはどうなるか分からないので、まあその1日だったり、その時間だったりを有意義なものにしていけたらいいなとはいつも思ってます」
吉川「先ほど運についてお尋ねしましたけども、先生はやっぱり幸せ者ですか?」
羽生「ああ~。それは非常に何ていうか、恵まれているとは思っています。いかがですか、先生は?」
吉川「私も大変恵まれています。不思議なもので、僕は書を書いて生きてますし、それがこういう形で羽生名人を福井にお招きして対談できるという夢の世界を作らせていただいたのですから。今日は本当にありがとうございました」

●将棋世界1月号購入ページはこちら↓
https://book.mynavi.jp/ec/products/detail/id=46328












△(駒形)に羽生名人のいちばん好きな駒である「銀」の文字が書き入れられる。
吉川氏が「将」「王」「歩」を書き入れ、両者の署名が入って見事な作品が出来上がった




金井学園内にある「夢殿」に掲げられた吉川氏の作品の前で


◎吉川壽一先生イベントお知らせ
『飛翔から伸展へ』
【期間】2015年12月26日(土)-2016年1月12日(火) ※店舗休業日1月1日、2日
【場所】新宿伊勢丹メンズ館8F  CHALIE VICE(チャーリー ヴァイス)
【営業時間】10時30分-20時0分
・1月10日(日)、11日(月)の2日間は吉川壽一氏が来館し、お客様の好きな文字を揮毫する特別イベントを開催 (予約制→伊勢丹メンズ館HPにて)
また、期間中、新宿伊勢丹メンズ館1F正面玄関の壁面に吉川先生が揮毫した作品が展示されます。