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中国・銀川 将棋の旅(記・青野照市九段)

2015.10.26 | 将棋世界編集部

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将棋世界11月号に掲載した、青野照市九段による寄稿『中国・銀川 将棋の旅』。
本誌ではモノクロでの紹介となりましたが、実際はもっと鮮やかで美しい銀川の風景でした。そこでこちらではカラーで紹介いたします。

    ◇    ◇    ◇


西夏王陵の前で

かつてチンギスハン率いるモンゴル軍と戦い、滅亡したシルクロードの西夏王国。その都があった寧夏省の省都・銀川に少年少女の将棋ファンが大勢いることは、何年か前から知っていた。
ただ、過去十数回、中国に指導に出掛けた私だが、銀川は初めてで、西夏王陵と西夏文字との出会いも楽しみだった。
私が行くと聞いた『将棋を世界に広める会』の、袴田、小針、森本氏の3名も同行してくれた。3名とも中国勤務の経験があり、頼もしい味方である。
終戦記念の8月15日。北京に着いた私たちは、その足で北京国際交流基金事務所に行き、まず30名の子どもに指導対局。ここは交流基金将棋部時代に知り合った吉川氏が所長で、お世話になった。
指導終了後、北京西駅から夜行寝台に乗り込む。北京の李氏(昨年度、外務大臣表彰)も同行して、千キロの旅だ。着いた銀川の少年宮でも、30名ほどの少年少女(と同数の父兄)が待っていた。
指導はほとんど六枚落ち、八枚落ちだったが、中には六枚落ちできれいに負かされた少女がいた。一人、平手で指した若い女性は障害者だったが、中国象棋少年少女の部で、全国6位という天才少女。私は矢倉戦の考え方を教えたのだが、大変興味深そうに聞いていた。








銀川での指導の様子

この指導の模様は、新華社通信によって、全中国にネット配信(写真つき)された。テレビで連日のように戦勝記念の番組をやっている、終戦記念日の翌日に、『日本から将棋の棋士が来て、銀川の子どもたちと交流した。民間交流は今後も続けたい』という報道をしたから、地元の関係者も驚いたようだった。
長年、銀川の将棋に携わってきた北京の王氏も「新華社が報道したことで今までの10年が報われた」と感激していた。
帰る前日は、寧夏象棋協会の主任の任氏が、自宅に招待してくれての夕食会。銀川の人たちとは親密に交流させていただいた。帰る当日、銀川将棋倶楽部で指導した後、帰路の空港に向かった。

銀川は観光も素晴らしく、ピラミッドを小型にした『西夏王陵』では、私の名前の落款を西夏文字で彫ってもらった。また車で3時間かかるが、『沙坡頭』は黄河の船遊びとラクダ乗りが同時に遊べる中国5Aの観光地。多くの観光客が押し寄せていた。他には賀蘭山の岸壁のあちこちに彫った岩画や、古代人の住居跡を中心に、テーマパーク化した『水洞溝』など。日本では知られない1級の観光地が多い。
観光地を巡りつつ、将棋の好きな人が将棋倶楽部に寄れば(数年前、アマ高段者が来たとのこと)、最高の交流になるのではないだろうか。


西夏文字


砂漠と隣り合って黄河が流れる




広大な砂漠が広がる。らくだは乗ることも可能


左から森本幸男氏、小針俊郎氏、袴田勇氏、青野九段、李民生氏




賀蘭山の岸壁に刻まれる壁画の数々