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小川明久の将棋レポート 第1回 関東アマ名人戦 古屋-天野戦など

2014.05.26 | 

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 将棋ファンの皆さま、ご無沙汰しています。マイナビの小川明久です。日ごろから弊社の将棋関連商品をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。このたび当サイトは「マイナビ将棋情報局」としてリニューアルされました。現在、マイナビの将棋事業は「週刊将棋」、「将棋世界」、「書籍・ソフト」、「ネット」と4つのチームに分かれているのですが、このサイトではそれぞれが日替わり、しかも実名でブログを更新します。
 私自身、実務としては書籍、ソフトが多いのですが、仕事以外でも将棋と接することが多いので、「小川明久の将棋レポート」と称して不定期に更新させていただきます。
 第1回は第55回関東アマ将棋名人戦レポートです。
 
古屋さんが初優勝
 第55回関東アマ将棋名人戦は2014年5月24、25の両日、茨城県龍ヶ崎市の「湯ったり館」、「竜ヶ崎コニュニティセンター」で関東近郊の1都9県の代表選手24人が参加して行われ、山梨の古屋皓介さんが山梨の竹内広也君を決勝で破り初優勝、関東アマ名人の称号を獲得した。3位は新潟の佐伯駿介君、4位は都下の松下和広さん、5位は千葉の武田俊平さん。また団体戦は優勝山梨、準優勝千葉、3位茨城Aという結果だった。

写真は優勝から3位の皆さんと窪田義行六段、川嶋長一郎茨城常南支部長 


大会審判長
 関東アマ名人戦は昭和35年から行われている伝統のアマ大会。関東、山梨、長野、新潟(今回から)の1都9県が持ち回りで当番を決め、開催している。今回は私の地元茨城が当番で、日本将棋連盟茨城常南支部が同龍ヶ崎支部の協力を得て開催することとなった。実はこの大会、25年前に私はまぐれで優勝しており、今回は大会審判長の大役を任されることとなった。ちなみに運営責任者は私と一緒に茨城常南支部副支部長を務める美馬和夫さん。
 簡単にシステムを紹介すると、1都9県の代表12チーム(東京と開催県は2チーム)が2人ずつ選手を出し、それぞれ赤組と青組に分かれてスイス式4回戦の予選を行う。そこで優勝した者同士が関東アマ名人の称号を懸けて決勝を争う。また予選結果は団体戦の順位にも反映される。1回負けると個人優勝の可能性は遠のくが、団体戦のために最後まで頑張らなければならないというわけだ。
 予選の結果は下の画像の通り。ちなみに表のへたくそな名前の字は私が書いたもので、審判長は進行係も兼ねている。
 



天野さんの穴熊
 1日目は1回戦と2回戦を行う。私が注目したのは都下代表の天野貴元さん。奨励会時代には記録係として随分お世話になったのだが、アマに復帰してから舌がんに冒されて病気と闘いながら将棋を指している。「オールイン」という本を出したので、ご存じの方も多いかと思う。とにかく元気な姿を見てホッとした。
 1回戦、天野さんは長野の坂口謹一さんと対戦した。坂口さんは私と同じ年だからベテランの部類に入るのだろうが、将棋に対する情熱は今も昔と変わらない。
 天野さんの中飛車穴熊に坂口さんの左美濃。A図は坂口さんが△3六歩と突いて角筋を通したところだ。天野さんは龍を作ったとはいえ、金損で角銀も遊んでいる。先手苦戦といえるだろう。ここで天野さんは持駒の桂を3八に打った。▲3八桂である。私は驚いた。40年間穴熊を指しているが、ここに桂を受けた記憶がない。
 厳密にはいい手かどうか分からないが、後手が狙う△2六歩や△4六角の筋を消している。この手は坂口さんの読みにはなかったに違いない。この7手後に見落としが出て、形勢は先手に傾いた。優位に立った天野さんは相手には粘りを許さずに寄せ切った。
 感想戦で天野さんは2六を指差しながら「ここを突かれては駄目だから」と語っていた。
 
フェイスブックを見て愕然
 続いて2回戦は勝者同士、敗者同士が対戦する。天野さんは山梨の若手強豪、古屋皓介さんと対戦した。古屋さんは全国支部名人2回などの実績を持っており、1回戦では立命館大学の先輩、武田俊平さんを降している。
 戦型は相矢倉。107手で千日手が成立した。時計はそのまま指し直してもらう。とはいえ古屋さんは30分の持ち時間を使い果たして30秒将棋。天野さんも残り2分を切っていた。要するに激闘の末の千日手だ。
 指し直し局は天野さんが飛車を振って相穴熊に進む。私は盤側から離れ、天野さんのフェイスブックをチェックした。病気は手術や放射線などの治療が成功していい方向に向かっていると聞いていた。ところが、数日前の記述を見て愕然とした。「がんの再発、何もしなければ余命半年~1年とはっきり言われた」と書いてある。「今はそれどころではないけど、休む理由もないと思ったので予定通り関東名人戦に言ってくる」と書いてある。
 書いた通りに彼はこの部屋で平然と将棋を指している。私の体は急にほてり始めた。ツイッターでつぶやいた後、私はトイレに行き、顔を洗って、ハナをかんだ。このところ涙もろくなっており、映画を観たり、音楽を聴くだけで泣きたくなることはあるのだが、審判長が将棋を観ながら泣いてちゃ仕方がない。そう思い、気を取り直して対局室に戻った。
 
295手の激闘、古屋さんが制す
 対局時計の機械音が交互に鳴る中、局面は終盤に入っている。しかし、お互いの穴熊は原型を保ったままだ。そのうち対局開始から1時間半が過ぎ、規定により20秒将棋となる。私は一言言って対局時計を取り替えた。天野さんはプーという音にせき立てられるよう、闘志あふれる手付きで駒を放つ。一方の古屋さんは駒音すら立てず、同じリズムで着手する。
 古屋さんは天野さんの現状を知っているのだろうか。知っているからこそ全力でぶつかっているのだろうか。いや、そんなことは二人ともどこかに飛ばしてしまっているのかもしれない。それほど将棋というゲームは魅力的なのだ。そんなことを考えながら観戦を続けた。
 古屋さんの猛攻を天野さんがしのぐ展開が続いている。天野さんは穴熊の玉を2八に上がり、脱出という名の勝負手を図った。その後、私の目には攻めを遠ざけたのではと映ったのだが、古屋さんの寄せは正確だった。188手目、ついに天野さんは駒を投じた。2局合わせて295手、よくぞ戦ったものである。本当に頭が下がる。
 
みんな将棋が好き
 2回戦が終わり、夕食までは休憩タイム。入浴する選手が多い中、5分切れ負けトーナメントも開かれた。いい将棋を観ると、無性に将棋が指したくなる。美馬さんに頼んで私も参加させていただいた。すると、相手はなんと古屋さん。あれだけ指したのにまだ指し足りないのかと驚いた。そして、私と古屋さんの将棋をなんと天野さんが観戦している。感想戦にまで参加してくれ、「やりますねえ」と褒めてくれた。それにしても将棋が好きな人たちだ。まあ、私も20代まではそんな感じだったかもしれないが。
 夕食会は選手や関係者が一同に会しての懇親会。一人ずつ自己紹介をしていく。本大会で最多優勝回数を誇る埼玉の遠藤正樹さんが「天野さんと戦いたかった」と語ったのが印象に残った。
 また付き添いの方たちからも将棋に懸ける熱い思いが伝わってきた。今年から参加した新潟からは県支部連合会の奥州光治会長が出席されたが、県の将棋の動きをまとめた「越の駒音」なる小冊子をプレゼントされた。これまたすごい情熱だ。
 
決勝は山梨決戦
 大会2日目。朝早く東京から窪田義行六段がやってきてくれた。窪田六段は茨城県取手市出身で、茨城常南支部の顧問である。微妙な間を取りつつの号令で3回戦が始まった。
 午前中に3回戦、4回戦を終え、決勝は竹内広也君と古屋さん、山梨同士の対決となった。ステージ上に脚付きの盤を用意しての対局。私は記録係と棋譜読み上げを担当した。審判長たるもの何でもやらなければいけない。絶対正座を崩さない、と誓いを立てて記録を取った。なお観戦者のためステージ端に大盤が立てられ、窪田六段と川嶋長一郎茨城常南支部長(大山賞受賞者)が無言のまま指し手を進行させてくれた。
 竹内君は高校1年。昨年の全国中学生名人である。竹内君の先手で角換わり腰掛け銀に進む。局後は大盤の前で両対局者と窪田六段による公開感想戦が行われた。窪田六段は専門外の戦型にもかかわらず、窪田ワールド全開といった感じの定跡講座を始めた。いつ終わるか不安になったので、私が聞き手兼駒操作係として割って入ってペースアップ。以下はその感想戦での変化を中心にした解説です。
 
竹内君、勝負手逃す
 第1図。古屋さんが△8五歩としたところ。▲同歩△8六歩▲8四香△4二飛▲8一香成△8七香の展開は先手が面白くなかった。窪田六段が言うには図の△8五歩の瞬間が甘いので、▲7一角△7二飛▲3三桂成といった感じで攻めたかったとのこと。▲7一角は△7二飛ですぐ死んでしまうが、飛車を遊ばせつつ自玉が緩和されるのは大きいと言う。竹内君は「考えなかった」とくやしそう。

 続いて第2図。古屋さんが△6九角と打ったところだ。窪田六段はこの手では△8七歩成▲同金△6九角の方が良かったと言っていたが、この手も十分厳しい。勝負手の▲7一飛成は△7八角成▲同玉△9八飛▲8八角△8七歩成▲6九玉と形を決めてから△4一香(参考A図)とされて先手が勝てないようだ。

 本譜は第2図以下、▲3三桂成△同桂▲7九金としたが、△9八飛▲7八銀△8七歩成で先手敗勢となった。なお△9八飛では△8七歩成▲6八玉△7八飛(参考B図)以下詰みがあった。興味のある方はお考えください。ちなみに発見者は「激指13」です。

 
 今回のレポートいかがでしたでしょうか。私が優勝したころは「将棋ジャーナル」という雑誌があって、棋譜や写真も大きく載せていただいたのですが、現状は「将棋世界」、「週刊将棋」もアマ大会に力を入れていない。ただし、今ではネットという媒体がある。いずれこのサイトは全国の指す将棋ファンと世話役による大会情報が満載されるようなものにしたいと思う次第です。
 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。(週刊将棋元編集長、激指シリーズプロデューサー 小川明久)