教育・医療・Biz iOS導入事例

iPadは改善するためのツールではなく、“可能性”を広げるツール

文●神谷加代

Apple的目線で読み解く。ビジネスの現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

人間が“人”として生きていくために必要なことは、何ができて、何ができないかではない。 その人が何をどう感じ生きているのか、その感性を認め合うことこそ、人としてのアイデンティティを確立する。 どんな子どもたちにも引き出せる感性があると信じて、特別支援学校の現場で挑戦を続けるのが海老沢穣教諭だ。

 

内面を引き出したい

特別支援学校ではiPadが使われていることが多い。そう言うと、大抵の人は子どもたちがiPadを使って見づらい文字を大きくしたり、読み上げ機能を使って文章を聞いたりと、身体的にできないことをサポートするためにiPadを使っていると思うだろう。たしかに、それもひとつの使い方ではあるが、そこに留まらない発想で特別支援でのiPad活用を広げているのが今回紹介するADE、東京都練馬区の都立石神井特別支援学校(以下、石神井特別支援学校)の海老沢穣教諭だ。

同教諭は、創造性やアイデア、表現など、もっと子どもたちの内面を引き出すためにiPadやテクノロジーを使うことはできないか、そんな挑戦を特別支援の現場で続けている。具体的には、iPadを活用したストーリーづくりや動画制作など、デジタルなものづくりを取り入れることで、子どもたちがクリエイティブに学べる場を設けている。

海老沢教諭が所属する石神井特別支援学校は、知的障がいのある児童・生徒が通う特別支援学校だ。小学部と中学部が設置されており、海老沢教諭は主に美術を担当し、中学部を受け持っている。同校は以前から学校方針としてICT活用に取り組んでおり、2016年に情報モラル推進校、2017年には情報教育推進校に選ばれた。

海老沢教諭がiPadに出会ったのは、自身の子どもと参加したワークショップだった。4歳の子どもたちが紙をくしゃくしゃに丸めたものをiPadで撮影し、その写真をつないでお話を作るというシンプルなものだったが、一気にインスピレーションが広がったという。

「子どもたちがお話を作っている姿を見て、iPadの活用イメージが広がりました。うちの学校でもやってみたら喜ぶはずだと思って、タイミングよく募集していた『魔法のプロジェクト』という実証研究に応募したところ、運良く選んでいただき、iPadを支給してもらいました」と海老沢教諭は当時を振り返る。その後、iPadを使ってレゴでお話を作る活動に挑戦した海老沢教諭。出来上がった作品を見て、これまで隠れていた子どもたちの個性に驚いたという。

「実は、それまで特別支援学校には子どもたちがアイデアを出し合い、一緒にクリエイティブな活動を行う授業はほとんどありませんでした。どちらかといえば、文字を教えたり、書いたりと、自立に向けたサポートに重きが置かれていました。もちろん、それらも大切なのですが、これからの時代、それだけでいいのかなと考えていたところにiPadと出会い、このツールを使えばもっと子どもたちの内面を引き出していけるのではと思うようになりました」

時を同じくして、東京都教育委員会もすべての特別支援学校にiPadを配備することを決めたという。現在、石神井特別支援学校では25台のiPadを学校共有で活用している。

 

 

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東京都立石神井特別支援学校指導教諭。美術、国語・数学等を担当。iPadを積極的に活用し、子どもたちの創造性・表現の力を引き出すアプローチに取り組んでいる。ICT夢コンテスト2016日本教育情報化振興会奨励賞受賞。クリエイティブな教育を目指す研究会「SOZO.Ed」代表。2017年にADEに認定。

 

 

未来につながる力を育てる

海老沢教諭は、iPadを活用して実に多様な表現・制作活動を行っている。一例として、卒業生を祝う会ではiOSアプリ「KOMA KOMA for iPad」を使ってコマ撮りアニメーションを作成した。ほかにもプレゼンテーションアプリ「ロイロノート」とレゴを組み合わせたストーリーづくりや、ライトドローイング、プロジェクションマッピングなど、通常の学校でもなかなか見られないiPad活用に挑戦した。

そのほかに石神井特別支援学校が行った新しい試みのひとつとして、iPadを用いた調理実習の説明動画を見せてくれた。家庭科の時間に生徒たちが餃子を作り、その様子や工程を教師がiPadで撮影。その写真を順番に並べて、クラス全員で写真にコメントを書き込んで説明動画に仕上げた。海老沢教諭は「シンプルな活動なのですが、簡単に振り返りの教材が作れるうえに、子どもたちの個性も表現できます。擬態語やイラストを描いたり、ユーモアや友達を励ますコメントを書いたりと、皆が参加できる形でひとつの作品を作ることができました」と語る。

また海老沢教諭は、一昨年から特別支援学校では珍しいプログラミング教育にも熱心に取り組んでいる。もちろん、知的障がいのある子どもたちにとって、プログラミング教育がどのような学習効果をもたらすのかは研究段階であるが、因果関係や順次性を学ぶのに有効ではないかと同教諭は考えている。具体的には、ビジュアルプログラミングツール「Viscuit」やレゴエデュケーションの「WeDo2.0」などを活用して、これまでも授業を行ってきた。

そして、昨年はさらに取り組みを進めて、総務省が実施した「若年層に対するプログラミング教育の普及推進」事業に実証モデルとして採択された。同事業では、知的障がいのある子どもたちも簡単にプログラミングの概念が学べるよう、キーボードやマウスを使わずに、カラーボールを使ったプログラミングに挑戦した。仕組みとしては、カラーセンサが搭載されたケースにボールを並べると、あらかじめ色ごとに組み込まれたプログラムが実行するというものだ。この事業では表現に重きをおくプログラミング教育ではなく、順番どおり操作しなければコンピュータは動かないなど、その特性を理解する観点を大事にしたという。

「デジタルものづくりやプログラミング教育については、特別支援の分野でも非常に大切だと考えています。これからの時代、社会はどんどん変化しますし、今、特別支援で身につけているスキルも、機械に変わってしまう可能性があります。決められたことを正確にできるだけでなく、ロボットを動かしたりしながら課題を解決する発想を持ってもらいたいと思っています」

 

 

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プログラミング教材で、今一番子どもたちに人気があるのは、リアルなブロックとiPadが組み合わさった「Osmo」だという。「画面の中だけで行うよりも、実際に物を動かしながらプログラムを組み立てるほうが盛り上がります」と海老沢教諭。

 

 

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餃子の作り方を説明した動画のワンシーン。教師が調理実習の過程を撮影し、その写真を順番に並べて、皆でコメントを書き込んだものだ。友だちを褒めるコメントも見られて、成長を感じたと海老沢教諭。

 

 

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卒業生を祝う会では、iOSアプリ「KOMA KOMA for iPad」で作成したコマ撮りのアニメーションを披露した。生徒たちが考えたメッセージが、アニメーションをとおして下級生にもきちんと伝わったことを実感できた取り組みだったという。

 

 

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2017年度は総務省が実施した「若年層に対するプログラミング教育の普及推進」事業に実証モデルとして採択された。特別支援におけるプログラミング教育はまだまだ実証・研究の段階であるが、学ぶ価値があると積極的に取り組んでいる。

 

 

“自由な居心地”を発見

多彩な取組みを行っている海老沢教諭であるが、実は美術が専門ではない。美術の教員免許を取ったのは特別支援の教員になった2年目のことで、それまでは認知心理学が専門だったというのだ。

「もともとカウンセラーになりたくて心理学を専攻したのですが、そのうち人間の発達過程を緻密にデザインして積み上げていく認知心理学に興味を持ちました。そんなときに障がいのある子どもたちのボランティアで認知発達療法の現場に関わるようになり、この世界も面白いと思うようになったんです」

たとえば、子どもたちが“物には名前がある”という概念を理解するには、どのようなプロセスを積み上げていけばいいか。ひとつひとつのステップを細かくデザインして、理解できるようになるまで導く、この分野の仕事にやりがいを感じたという。その後、特別支援の教員2年目で美術の授業を受け持つようになり、美術教員の免許を取るために働きながら大学の通信制で美術を学んだ。

「それまでまったく美術とは縁がなかったので基礎から学びました。美術の世界を知ったことで、非常に自分の視野が広がりましたね。感触を楽しむアートなど“こんなことしていいの?”と思うこともあって。それまで何かを完成させなければいけないと思っていましたが、もっと自由でいいんだと思いました」と海老沢教諭は語る。美術の世界で発見した“自由な居心地”が、今の取り組みにも広がっているという。

今後はADEの教師たちと協力して、校種を超えた活動にも挑戦したいと話す海老沢教諭。インクルーシブな社会が未来に見え始めた今だからこそ、既存の概念にとらわれない自由な発想で特別支援の教育を広げていきたい考えだ。

 

海老沢穣教諭のココがすごい!

□“できないことをサポートする”視点ではなく、子どもの内面を伸ばす教育を重視している
□さまざまなテクノロジーを取り入れ、創造的な活動に常に挑戦している
□自らも学び続ける力を持って創造的であろうとする姿を見せている

 

Apple Distinguished Educator(ADE)…Appleが認定する教育分野のイノベーター。世界45カ国で2000人以上のADEが、 Appleのテクノロジーを活用しながら教育現場の最前線で活躍している。



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