モバイルラーニングだからこそ実現した新たな医学教育|MacFan

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モバイルラーニングだからこそ実現した新たな医学教育

文●山脇智志

マレーシアの首都クアラルンプールでスマートフォンを使った教育を行う東南アジア屈指の医療系大学を取材した。そこではアイデアと実践の速度感が格段に違う世界があった。

東南アジア屈指の医療大学

今回はiPhoneやiPadといったモバイルデバイスの教育利用の1つの成功例として、東南アジアにおけるモバイルラーニングの導入事例を伝えたい。多くの予算をかけずに成果を上げているのが、マレーシアのインターナショナル・メディカル大学(以下、IMU)である。同大学を訪ね、責任者でもあるハスナイン・ザファー氏に話を聞いた。

まず最初にIMUの紹介をしよう。IMUはマレーシア・クアラルンプールの郊外にある医療系大学で1992年設立と歴史はそれほど古くはないが、同国最初の私立医療系大学であり、現在は同国内ではもっともクオリティの高い医療系学術機関と評されている。すべての学部で終了年は5年間、総学生数は学部・大学院を合わせて約3000名だ。経済発展が続くマレーシアにおいて、高度医療系人材の輩出を担う中核機関となっている。IMUにおいては講義はすべて英語で行われ、学費の安さと英語で講義が受けられることから、最近は海外からの留学生が増えている。

eラーニングの企画立案から実行まですべてを統括するハスナイン氏はパキスタン生まれ。同国のラホール大学でネットワークエンジニアリングを学び、サウジアラビア、マレーシアの大学での勤務を経て現在はIMUのeラーニング部門アシスタントマネージャーとしてインストラクショナルデザインを担当している。筆者がハスナイン氏と出会ったのは2014年10月に同国マレーシア工科大学で開催されたセミナーのとき。筆者が講演した際にもっとも評価してくれたのが同氏であった。そこで、実際にどのような取り組みをしているかを知りたくなり、取材の依頼を快諾してもらいIMUを訪問する運びとなった。

 

 

IMUはマレーシアのみならず、東南アジアの医学をリードする私立医療系大学だ(http://www.imu.edu.my/imu/)。医学部をはじめ、歯学部、薬学部、看護学部、心理学部、そして漢方からカイロプラティクまでをカバーしているヘルスサイエンス学部がある。

 

 

IMUのすべてのeラーニングを取り仕切るハスナイン氏。常日頃から先進的な事例やツールを調査し、まずは使ってみるというフットワークの軽さが素晴らしい。

 

学内スマホの普及率は95%

IMUは「若い」歴史がゆえに、比較的新たな技術の導入や施設を設けている。LMS(ラーニング・マネジメント・システム)やデジタル教科書やデータベースの導入にも積極的だ。現在同大学でのeラーニングの中心になっているのはオープンソースLMSの「ムードル(Moodle)」だ。講義スケジュールなどの連絡事項、講義資料の配付、宿題の提出などを行う。

また、海外の大学と共同で行う授業やディスカッション、また大学に通学できない一部の学生向けにはスカイプやさまざまなネット会議システムも導入している。比較的保守的だと言われる医療系の大学にしてはその取り組みは画期的だ。

特にハスナイン氏は重厚長大なシステムの導入よりも、早く使えて、確実に結果を出せる既存のソフトウェアやサービスを採用している。筆者が訪問したときにもノルウェーにある私立の医療大学のスタッフと学生が視察に来ており、IMUにおける数々のITを使った教育に関して熱心に聞いて、そのノウハウを学んでいた。

ハスナイン氏が教育の中にモバイルを導入したのは、学生たちの(先生や職員でさえ)コミュニケーションの舞台がモバイルに移り、PCではカバー仕切れない部分が見えてきたときのことだ。そのときの動機を氏はこう語る。

「1つのツールがすべての用途や目的を達成するわけではありません。達成したいことに近づけるものを採用していくのであり、それがモバイルであり、端末としてのスマートフォンでした」

ハスナイン氏によれば、全学生の95%以上がすでにスマートフォンを所有しているそうだ。端末の種類については、通常マレーシアなどのいわゆる「途上国」ではアンドロイド端末の比率が高いものだが、iPhoneの利用者も40%もいる。これは私立の医療系大学という属性があることを鑑みなければならないとしても、非常に高い所持率だ。もちろん、PCは全員が必携であることは言うまでもない。

 

 

訪ねたとき、ハスナイン氏はノルウェーから来ていた視察団にIMUでのeラーニングの取り組みを紹介していた。聞くと彼女たちの医科大学よりもIMUのほうがかなり先進的らしい。

 

 

ミュージアムの収蔵品ごとに貼られたQRコードは関連する情報や書籍データに直結する。

 

成功のための2つの施策

かくしてハスナイン氏はスマートフォンを使ったモバイルラーニングの導入を進めたのだが、それが比較的スムースに実現できた要因の1つに、学内のすべてのエリアにWi−Fiが整っていた点があった。また、モバイルラーニングで目指したのは「モバイルでなければならないこと、モバイルのほうが都合が良いこと」だ。講義や学習に関して、先生や学生に聞きつつ浮かび上がってきた課題に「クラスルームでのエンゲージメントのアップ」と「デジタルデータベースへのアクセス」という2つがあり、それを解決するのにモバイルはうってつけだったと語る。

「クラスルームでのエンゲージメントのアップ」の解決のために導入したのは「kahoot!」というゲーム型の授業支援システムだ。先生が教壇に立ち、一方的に話し続けるスタイルではどうしても聴講するほうが集中力も切れるし、先生も100名規模の講義では理解度を全員を相手に毎回確認するのも骨が折れる。そこでほぼ全員が手にするスマートフォンを使って選択クイズを出題していく。回答時間は10秒ほどに制限し、回答結果はその場で見せることもできる。設問の設定や、kahoot!へのオーサリングなどはハスナイン氏やスタッフがサポートし、そしてその成果を学内で発表するなどして他の先生へのプロモーションも随時行う。現在では医学部、歯学部、薬学部で導入されているという。

一方の 「デジタルデータベースへのアクセス」は医療系ならではの課題だ。医療系の学生はとにかく教科書や資料としての医学書をものすごく読み込まなければならない。しかし、IMUの図書館は夜は閉館してしまい、夜間の学習に対応できないため、既存の医学系知識のデータベースをモバイル対応したほか、紙での書籍のデジタル化も一部進めている。

また、IMUでは図書館に併設して人体模型や標本などが設置されているミュージアムがある。これまではそれらの模型や標本を見たあと、書籍やデータベースで理解を深めるためには図書館に戻らなければならなかった。この不便さを解消するため、ハスナイン氏はそれぞれの棚にその部位などを解説したデータベースにつながるQRコードを貼った。学生はそれらをスマートフォンで読み取り、模型や標本を目の前にしてその解説するテキストやビデオを見られる。これもまたスマートフォンだからこその解決手段であり、学生には好評だ。

 

 

kahoot!(https://getkahoot.com)を使った講義風景。学生はクイズ番組の回答者のようにスマートフォンで解答する。

 

 

学内の学習スペースでのグループ学習。教科書とPC、そしてその手にはスマートフォンを持ちながら。

 

導入には巻き込むことが重要

導入にあたり、苦労した点もあったという。

「現在実施しているモバイルラーニングも実は数年かけて導入までこぎつけました。課題であったのは教育側のITスキルの向上です。そのためにトレーニングを多く実施しました。気軽になんでも質問してもらえるような空気間を創り出したことで次第に興味を持ってくれるようになり、知識が増えた人には『elearning guru』(eラーニングの伝導師)という称号を与えることで、私以外の伝道師を増やしていきました」

日本でもとかく問題になりがちな、導入コストなどに関してはどのように上層部を説得したのだろうか。

「上層部がコストを気にするのは当たり前です。私たちは毎年、KPIが設定されており管理職部門がその結果を精査しますが、コスト面もクリアしながら結果として成果を上げてきています」

今後の取り組みに関して尋ねると、まずは、学内で提供しているツール群のネイティブアプリ化を挙げた。生徒からの要望の理由は「アラート(プッシュ・ノーティフィケーション)機能が欲しい」というもの。これもある意味IMUの属性なのだろうが、医療系大学においては、卒業だけでなく「国家試験」をパスして初めて仕事ができる。つまり、学内外での試験対策などのために日常的に学ぶことが必須であろう彼ら彼女らにとって、モバイルラーニングの最大の魅力はその「日常性」にあるわけだ。

IMUの学生が利用するスマートフォンは私物である。学校側は配付しておらず、スマートフォンを「教材」として認定しているのだが、そうなると講説中において学習以外で利用する生徒も出てくる。マレーシアでもそれは論争的なテーマらしく、いくつかの大学は学内ネットワークではフェイスブックやツイッターなどのSNSをアクセス禁止している。しかし、Wi—Fiでアクセス制限しても3G回線を使うことは止められないので結果としてうまくいっていないらしい。ちなみにIMUはゲームだけはブロックしている。ハスナイン氏としてはSNSなどは禁止するよりもうまく教育のために活用するほうが効果的であるし、効率的でもあると考えている。

「SNSは止められるものではありません。むしろ、そのソーシャルネットワークを教育や学習に使うほうが有意義なはずです。たとえば、友だち同士のつながりを使って学内のモバイルを含むeラーニングやIT教育などを教え合うような仕組みを創ろうと考えています。また、スマートフォンを使ったARの実証実験を進めています。現在のQRコードに加えてARを使えば、ミュージアムなどでかざすことにより、その場でリアルな人体の内蔵や部位などを見られるようになります。実は学生のこれらのツールを活用の学習能力は圧倒的に早いのです。いずれ、学生が先生に教えるということも生まれてくるのかもしれません(笑)」

 

【Apple】
マレーシアにはアップル直営のアップルストアはないが、非常によく似た体裁をしたアップル専門のショップは空港や市内に存在する。価格は日本と変わらないが、物価が日本の約3分の1と言われることを考えればアップル製品は決して安い商品ではない。

 

【教材】
kahoot!はMacやウィンドウズ上でドラッグ&ドロップで簡単にクイズ形式の出題や調査、アンケートなどを実施できるのが特徴。生徒は私物の端末からWEB経由でアクセスしてリアルタイムに解答することが可能だ。

 

文●山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、起業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。 現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。【URL】http://www.castalia.co.jp/