アラブ世界におけるイノベーションを考える|MacFan

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アラブ世界におけるイノベーションを考える

文●山脇智志

ドバイで開催された「イノベーション・アラビア8」に日本から唯一のプレゼンターとして参加した。アラブ世界におけるスマートフォンの普及率と、教育のイノベーションの加速度感を目のあたりにして、やはりここでもイノベーションはスマートフォンから巻き起こることを実感した。

スマートフォンの可能性

東京では肌寒い日が続いていた2月中旬、筆者は真夏のような暑さのアラブ首長国連邦・ドバイ首長国の土を踏んだ。アラブ世界におけるイノベーションのアイデアや取り組み、課題を共有し、議論する場として開かれた国際会議「イノベーション・アラビア8(Innovation Arabia 8)」に参加するためである。

アラブ世界が従来の天然資源依存型の経済から知識経済への転換を図るうえで求められるのが、革新や創造性、コラボレーションなどの要素である。イベント開催の裏にはそのような課題意識があり、「品質マネジメント」「eラーニング」「健康/環境」「イスラム金融」の4分野において、産学官のリーダーが会場に集まり発表や議論が行われた。

今回、筆者は日本からの唯一のプレゼンターとして選出されて参加した。発表への応募を決定した理由は、筆者が代表を務めるキャスタリア株式会社で、当社が開発したモバイル学習システム「グーカス・プロ(goocus pro)」を使った実証実験を、2013年末から2014年にかけて西アフリカのセネガル共和国にある私立のビジネススクールISMで実施したからである。セネガルは人口の90%以上をイスラム教徒が占める世界最西端のイスラム国家であるため、厳密な定義ではアラブ世界には含まれないものの、本事例がイベントの趣旨と合致するものであると考えたのだ。

筆者の発表タイトルは「Smartphone-based learning for Afro-Arab prof essional development(アフリカのアラブ世界の専門教育のためのスマホ活用学習)」で、キャスタリアの新製品「グーカス3(goocus 3)」および今後の展開構想、セネガルでの実証実験の概要と実施結果の紹介を行った。スマートフォンを使った教育の実例を取り上げた発表は少なかったため、発表後はアラブ世界をはじめとする各国の教育機関や政府機関の関係者に関心を示していただき、質疑応答や議論を行う機会を得た。

発表者は、アラブ首長国連邦、サウジアラビア王国、カタール国、ヨルダン・ハシミテ王国などアラブ世界のほか、一部はヨーロッパやアジアからも参加していた。職業訓練や教員養成、学校教育などにおけるeラーニングの活用のほか、ブレンド型学習など近年流行の教育手法の実践事例を紹介する発表も見られた。多くの発表では、PCを使った従来型のeラーニングが取り上げられており、モバイルというワードが発表の中で使われていても、事例としてはまだ固まっていないものが多い印象を受けた。

アラブ世界に足を踏み入れるのは初めての体験であったが、ここでもやはりスマートフォンという端末が活用される可能性の大きさを実感することができた。発表後に関心を示す聴衆の多さもさることながら、会場や街中でスマートフォンを保有する人々の割合も多く、モバイル端末の高いレベルでの浸透は、アラブ世界でも変わらない現象であった。

 

 

イノベーション・アラビア(http://www.innovationarabia.ae/)は2007年以来、2013年を除いて毎年開催されており、本年2015年で8回目を数える。ほぼアラブ世界全地域より発表参加がなされていた。本イベントに対する期待の大きさは、ドバイのハムダン・ビン・ムハンマド・ラーシド・アール・マクトゥーム王子が後援をしていることからも読み取れる。

 

アップル&モバイル事情

アラブ世界でのスマートフォン普及率を知っているだろうか。2013年第1四半期のデータであるが、アラブ首長国連邦は73・8%で世界第1位、サウジアラビア王国は72・8%で世界第3位のスマートフォン普及率を誇っている。

アラブ首長国連邦の電気通信規制局が発表した2014年第4四半期時点のデータによれば、同国でもっとも利用されている端末はiPhone 5sで、全スマートフォン端末の4%を占める。また、トップ10の中にiPhone 5/6/4s/4がランクイン。スマートフォン以外の端末を含めると、モバイル端末製造数のシェアがもっとも高いのはノキアで40%。しかし、この数値は近年減少傾向で、サムスンが24・3%、アップルが11・4%とその後に続いている。

実際にイベント会場を見た限りではタブレットを使っている人も一部にはいて、iPadを手にしていた。パソコンでMacを使っている人もいたが、その数は多くはなかった。会場でももっとも利用されているアップル製品はiPhoneであり、iPhoneとそれ以外のスマートフォン端末の割合としては感覚的に1対1程度の割合だった。

ところで、ドバイ国際空港のショップでiPhoneが販売されているのを見つけたのだが、そこでは端末の種類およびストレージ容量ごとに、「フェイスタイムあり」と「フェイスタイムなし」という2種類の値段が設定されていた。

実はここにはアラブ首長国連邦の通信規制事情が絡んでいる。同国には、「Etisalat」と「du」という2大通信企業がある。この2社を保護するために、電気通信規制局がフェイスタイムやスカイプ、グーグル・ハングアウトなどのVoIPを活用したサービスをブロックしているのである。同国で売られているiPhoneには基本フェイスタイムがプリインストールされていないが、ドバイ国際空港という海外旅行者が多く集まる土地柄、フェイスタイムありとなしの両方を提供しているということだ。

なお、ドバイ滞在中に街中や電車の中で周りを見渡してみると、東京ほどではないにしても、スマートフォンを操作している人は多く見られた。スマートフォンの高い普及率もさることながら、人工都市であるドバイの治安の良さもこの現象の裏にはあるだろう。

このようなスマートフォンの日常生活への浸透を背景に、アラブ首長国連邦政府は政府のあらゆるサービスをモバイルアプリで提供する「mGovernment」イニシアチブを進めている。同国首相シェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームは、「全国民が行政手続きを携帯電話やスマートデバイスでできるようにしたい」と発言しており、モバイル政府化への意識の高さが伺える。実際に、病院や保健センターの場所、健康情報などを提供するアプリ、事件発生や苦情を国民が政府に直接報告するアプリ、電気水道などの料金をオンラインで支払うアプリ、周辺観光情報の検索アプリ、過去の裁判の判例や訴訟手続の学習、弁護士の検索などができるアプリなど、多数のアプリがすでにリリースされている。

 

 

 

 

ドバイ・モールに隣接するアドレス・ホテルが会場。ドバイ・モールは、総面積約111.5万平方メートルと東京ドーム23個分の広さを誇る世界最大のモール。イベント参加者の9割ほどはアラブ世界の正装であるカンドゥーラ(男性の正装)とアバヤ(女性の正装)を身に纏っており、黄色人種である筆者は異色の存在であっただろう。会場の近くからは世界最高の高さを誇るブルジュ・ハリファも見えた。

 

 

空港で見つけたiPhone。フェイスタイム機能の有無で値段が変わるというのは初めて見た。空港内だからか、iPhone 6およびiPhone 6プラスいずれも、アメリカ合衆国で発売されているSIMフリーモデルより100~200米ドルほど高い。

 

アラブ世界のモバイルラーニング

アラブ世界における教育/学習の領域のデジタル化を語るうえで、イノベーション・アラビアを主催しているハムダン・ビン・ムハンマド・スマート大学は非常に重要な位置を占める。同大学は、アラブ世界における初のスマート大学であり、eラーニングと従来型の対面授業を組み合わせたブレンド型学習を正規の学位プログラムの中で採用している。

このブレンド型学習を支えるのは、同大学が構築した仮想学習環境(Virtual Learning Environment)である。仮想学習環境は、各種アプリケーションが統合されたもので、学習管理システム(Learning Management System)、仮想教室(Virtual Classroom)、電子図書館などから構成されている。

同期型学習には、仮想教室システムの「Horizon Wimba」が活用される。これは、チャットや掲示板、ファイル共有やリアルタイム動画を組み合わせて、従来型の教室授業のような授業を遠隔で実施できるシステムである。また、自律学習には世界の多くの教育機関において導入されているオープンソースLMSである「ムードル(Moodle)」が活用されており、公開されているコース教材を学生が自分のペースで学習していく。

同大学のWEBサイトで公開されているスマートキャンパスのデモ版を利用してみたところ、eラーニングとして必要な要素はしっかりと押さえられていた。ただし、デザインや画面遷移の面が完全にPC向けなので、スマートフォンやタブレットから利用するのは難しい。スマートフォン普及率が益々高まる傾向の中で、学習システムのモバイル化の要請はこれからさらに大きくなるに違いない。

実際に、イノベーション・アラビア8の発表の中で、アラブ首長国連邦の高等教育機関の学生および教員を対象としたモバイルラーニングについての調査の実施結果報告を行っているものがあったが、そこでも回答者のほとんどはモバイルラーニングを導入するということについてはポジティブな回答だった。また、イスラム教国家の多くで、女性に対する教育の不足が問題になっている。従来型の教育システムに加えて、スマートフォンなどを活用したオルタナティブな教育システムが整備されることで、女性に対する新たな教育機会の創出を実現することができる可能性は大いにある。

今回の会議参加で気づいたことは、アラブ首長国連邦が先頭に立って進める教育のイノベーションの加速度感と、教育自体はそれほどスマートフォンへの対応が進んではいないという相反する事実だ。これは、エンジニアなどを自国であまり育成できていないことで、技術のほとんどを欧米などからの輸入に頼っていることに起因している。やはり学校であろうと、職業訓練であろうと、教育や学習はその国や言語などの文化や政治、統治に依存するものだ。そうなるとアラビア語やその背景を知るものが開発に関与していくほうが良い。人口の少なさと産業構造の転換がその鍵になるはずだし、そのためにこのような国際会議を主催して「知」の集積と共有を図っている。イスラムの時代といわれる21世紀においてアラブの動きからは目が離せない。

 

 

ハムダン・ビン・ムハンマド・スマート大学(http://www.hbmsu.ac.ae/)はその名をかざすドバイの王子がトップを務めるオンラインを中心にした大学。ただし学習のモバイル最適化はまだ進んではいない。

 

【SIM】
当社社員がSIMフリー端末を持ち込み、空港でEtisalatのSIMを購入して利用していたが、SIMが50ディルハム(1600円程度)、データ通信の料金プランは100MBで20ディルハム(650円程度)、1GBで99ディルハム(3200円程度)、3GBで149ディルハム(4800円程度)と、やや高い印象だ。

 

【授業】
ハムダン・ビン・ムハンマド・スマート大学における各授業は、対面学習3セッション、オンラインによる同期型学習7セッション、オンラインによる自律学習5セッションを組み合わせて実施される。

 

文●山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、起業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。 現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。【URL】http://www.castalia.co.jp/