第42話 手で文字が書けるのは “昔取った杵柄”なのか|MacFan

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デジタル迷宮で迷子になりまして

第42話 手で文字が書けるのは “昔取った杵柄”なのか

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

さまざまなものがデジタル化された結果、アナログ的な作業がいろいろな意味で面倒に感じられることがままある。内容にもよるのだが、たとえば書類を作る場面で、手書きとデジタル入力との選択肢があれば、私の場合、デジタルを選ぶ。

会社経営をしていると、公的機関のサイトから書式をダウンロードして記入することがよくあるが、書式にエクセル(Excel)と手書き入力用のPDFの両方のファイルが用意されていれば、必ずエクセルを選んでPC上で入力をする。PDFしか用意がなければ、ダウンロードしたPDFファイルをアドビ・アクロバット(Adobe Acrobat)で開き、PDF編集機能を駆使してでもPCで入力する。

書くことが嫌いなわけではない。手で字を書くことは、むしろ好きだ。しかし、物理的な書類の管理のことを考えると、それがデジタルデータとして残っていることのほうに安心感を覚える。逆に紙の書類は、保管する(アナログの)ファイルを用意したり、それらを管理したり、結果として物理的に場所を取られたり、保管場所がわからなくなっても検索できなかったりと、際限なく不安が押し寄せる。

ひと昔前なら、「やはり紙で残していたほうが安心できる」という価値観を持っていたような気がするのだが、もはや逆転している。これはおそらく、クラウドの技術や信頼性が高くなったからこそ生まれた心理状態のように思う。

先般、さまざまな取引先からインボイスの登録番号の確認書類が届いた。弊社の登録番号を指定のフォーマットに記載して提出するのだが、それがなぜか紙の書類で届く。その時点で「この紙がなくなったりしないうちに処理しなければ」という強迫観念に駆られており、その意味で、送り主がアナログの紙で送りつけたことは、スムースな書類作成という目的に対して功を奏している。

中には、書類にQRコードが記載されていて、読み込むと専用の登録フォームが開くというものもある。一方で、手書きで記入した書類をスキャンしてメールに添付して送ってくれという、もはや何に気を使った結果なのかわからない指令もあった。こちらとしてもデジタル派の信念を曲げてなるものかと、記入前の書類をスキャンしてPDF化し、そこに編集機能を使って入力するというワザを駆使して、事なきを得た。

そんなデジタル偏重な書類作成をしてはいるが、前述のとおり、手で文字を書くことは好きだ。紙に文字を書いていると、何かから解放されたような爽快感があるし、鉛筆やペンからのフィードバックも心地いい。でもそれは、昔やっていたことを思い出すときの感覚に近いことに気がついた。久しぶりになわとびを跳んでみたり、何年かぶりにボーリングをやってみたりしたとき、「ああ、これこれ」と思い出すヤツだ。

小学生の頃から学生時代、そして雑誌の編集者時代と、30年以上続けてきた「手で紙に書く」という行為が、ここ数年で激減した。今手で文字が書けるのは、数え切れないほど繰り返してきた結果、体が覚えているだけなのではないか。

これはわれわれの世代の感覚だが、デジタルネイティブの世代はいよいよ文字を書く機会が少なくなるだろう。アルファベットのような記号とは異なり、日本語や中国語は書くこと自体の難易度が非常に高い。書く頻度が下がれば、記憶への残り方や用途も変わってくる可能性がある。

この先、さらにデジタルに依存していくことになる「文字を書く」という行為が、次の世代に向けてどう変化していくのか。デジタル化が日本語に与える影響は、決して小さなものではないように思う。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。