第39話 久しぶりに堪能したいアップルのリセット力|MacFan

アラカルト デジタル迷宮で迷子になりまして

デジタル迷宮で迷子になりまして

第39話 久しぶりに堪能したいアップルのリセット力

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

iPhoneが発表されたとき、これでモバイルを取り巻く世界が大きく変わると確信した。それは、機能がどうとか、性能がどうとかいった理由ではない。

「これで、この小さな見づらい画面の中で、無理やり作ったメニューをルールもハッキリしないボタン操作で選択したり、欲しい機能が欠けたアプリを使ったり、写りもフォーマットもハッキリしないカメラで撮影したりと、何だかわからない制限を受け続けながら使う携帯電話とおさらばできる」という高揚感からだった。

要するに、iPhone以前の携帯電話や、当時スマートフォンと呼ばれていたデバイスには無理があった。新機種が出ても、ただ受け身に想定内の機能が追加される状況を眺めるだけで、広がる未来が見えなかった。

そんなゴチャゴチャした状況を「こうすればいいじゃないか」とズバッと提案してきたのがiPhoneだった。それまで存在していたモバイル端末が一瞬にして色あせた。

私はいわゆるアップル信者ではないと思うが、アップルを企業として信用している。そしてアップルのもっとも魅力的なところは、iPhone登場のときに見られたような“リセット感”を打ち出す力だと、最近になって思う。

新しいジャンルのデジタル機器が登場すると、その後に手探りの時代が訪れるものだ。過渡期がいつなのかは世代の切り取り方によって変わるが、「モバイル端末」においてはiPhone登場以前はずっとそうだったと個人的には思っている。

もちろん登場直後のiPhoneは、機能的にも性能的にも物足りないプロダクトだった。しかし、従来の携帯電話に比べると、その先に見えていた未来のかたちが大きく違っていた。固定されていないキーボードや指先で直感的に操作できるUIはもちろんだが、センサとアプリを組み合わせて機能をほぼ無尽蔵に増やせる手法など、従来の携帯電話が縛りつけられていた小さな小さな画面の中から抜け出せない世界とはまったく異なる風景が見えていた。加えて、サードパーティにアプリを自由に販売できる仕組みが提供され、デベロッパーにも大きな扉が開かれたことも大きかった。

で、今回の「アップルビジョンプロ(Apple Vision Pro)」だ。プロダクトの紹介は他に譲るとして、アップルが空間コンピュータを本気でやってきたことは間違いない。SF映画に登場する空中に浮かぶ半透明のモニターの正体は、おそらくVRゴーグル的なものの中で実現されると、誰もが予想していたと思う。しかし、実現できそうなプロダクトがなかった。VRゴーグル的なものは多々あったが、そんなものをわざわざかぶって日常的に利用するほどの価値があるとは思えなかった。理由は簡単で、そこには陳腐な未来しか見えなかったからだ。無限の空間が広がるはずが、逆に閉そく感が生まれ、実世界との切り替えも煩わしい。没入感を求めるのであれば、それもひとつの方向なのだろうが、日常使いには無理がある。

ビジョンプロはそんなゴチャゴチャした状況をリセットするだろう。発売が来年以降での発表はアップルらしくないが、提示されている未来像は信用できる。

今、iPhone 3Gを手にすると、機能を含めて、まるで子どものオモチャのように見える。この先、アップルビジョンシリーズが市場を作り、来年発売されるビジョンプロがオモチャのように見える時代を想像すると、リセットされた先の未来は限りなく広く、いずれ手放せないものになっていく可能性はあるように思う。実際にiPhoneがそうだったように。

 

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。