第40話 AIのクリエイティブは人の特技を超えるのか|MacFan

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第40話 AIのクリエイティブは人の特技を超えるのか

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

AIが描く「人間が描いたような絵」が話題になってからたいして時間は過ぎていないが、瞬く間にその行為は一般化し、インターネット広告の制作などでも重宝されているようだ。テレビCMのような高い品質や綿密なコントロールを求めなければ、制作に手間もお金もかからない。本来は手配に時間がかかったり、自分では発想できなかったりするクリエイティブが短時間の作業で済ませられるわけだから、当然ながら人々はそれを活用する。一方的に悪い行為とは思わないが、人は楽な道が見つかるとそちらに流れていくものだと、あらためて感じている。

AIはこの先しばらく、このようなアプローチで、人間の「特技」と呼ばれる何かを埋めていくことになるだろう。労力や才能があってようやく達成していたことが、たやすく実現できるようになった例はこれまでも数多くあったが、実現が難しいと思われていた分野に進出してきたことが、今回のAI周辺の騒ぎにつながっているように思う。

たとえば、音楽に置き換えて考えてみると、曲を作るにしても、現状ですでに楽器自体を扱える必要性はなく、演奏できなくても作曲して演奏できる。そしてAIが加わることで、作曲の才能すら必要なくなるはずだ。「著作権に触れないレベルで、こんな感じの曲を作ってほしい」と任意の曲をインプットすれば、似た感じのいい曲を作ってくれるだろう。ヒットするフレーズを埋め込むよう指示すれば、過去の膨大な数のヒット曲を参照して、その辺りもうまくやってくれるに違いない。そんなお手軽に生まれた曲に価値があるのかといえば、それを称賛する人がいる限り、おそらく価値はある。

文章制作も同様だ。AIチャットボット「ChatGPT」を活用した記事作成などは引き続き話題だが、現時点でよい文章が書けているかというと、まったくできていない。ただし、それも時間が解決するだろう。特にSEO記事など、内容よりも反射的なアクセス数が重要なものはより簡単だと思われる。加えて言えば、現時点でChatGPTには確かにひどい記事しか執筆できないが、この点については近年、人が書いた記事にもひどいレベルのものが大量に存在しているので、正直、AIが作っても、それらにまぎれてしまって判断できない可能性がある。大量に生成し、まぎれてしまうという状態を作ることこそが、現時点でのAI作品の真骨頂なのかもしれない。いずれにせよAIは、修正能力が異常に高い。すぐにまともなものに仕上げてくるだろう。

では、作品の価値はどうなのか。AIが描いた絵を見て「感動した」という感想を目にすることがある。しかし、それは何に対する情動なのだろうか。AI作品に対しては、実写のようなCGも含めて、個人的に感動は少ない。最初はある種の感動はあったが、それはテクノロジーに対するものであって、絵が素晴らしいという感動とは種類が異なる。

一方で、作品の価値を、完成した作品という結果だけで論じることは可能だ。しかし、曲を聴いて感動したあとに、「これはAIに作らせた曲です」と説明されたときと、「こういう思いを込めて作った曲です」というエピソードを聞いたときでは、明確に違いが出るように思う。

音楽制作には何が必要なのかChatGPTに聞いてみたところ、「音楽理論」やら「演奏能力」やら複数のスキルを挙げてきた。挙げ句、音楽への情熱と創造性がもっとも重要なのだという。これはAIが人間に向けてついた、明確なウソだ。AIは自力で曲作りに到達できることを予見できているはずだ。そしてそれがどんな仕上がりであれ、AIは作品に情熱を込めない。

 

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。