第41話 愛されなくなった広告が人類の敵になっていく|MacFan

アラカルト デジタル迷宮で迷子になりまして

デジタル迷宮で迷子になりまして

第41話 愛されなくなった広告が人類の敵になっていく

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

子どもの頃、友だちとの間の重要な共通コンテンツにテレビCMがあった。たとえば、CMソングを口にすれば誰かが一緒になって歌ったし、CMに出てくるキャラのまねをすれば皆笑った。ほとんどの家庭はテレビを見ていたし、CMは繰り返し放送されるので、ある意味、番組自体よりも知られた存在だったかもしれない。実際、全国区のテレビCMともなるとキャッチフレーズは優秀だったし、よく作り込まれていた。その結果、CM自体がバラエティ番組のネタになったり、社会現象を起こしたりしていたし、テレビCMは視聴者に愛されていたように思う。今はほとんどテレビを見ないので世間の温度はよくわからないが、近年、話題になるようなテレビCMは激減している。

代わりに頻繁に出会うのは、スマホでWebサイトを見ている最中に急に画面をふさいで現れる広告画面だったり、ユーチューブ(YouTube)のコンテンツをぶった切って流れてくる広告動画だったり、スマホアプリを使っている最中にポイントなどの特典のバーターとして表示されるアプリの広告たちだ。

それらに共通しているのは、口ずさみたくなるCMソングや独自性のあるストーリーなどではなく、バナーのタップをゴリ押ししてくる点だ。広告表示のルールを逆手にとってユーザが誤ってタップすることを狙ったり、見ている側がしびれを切らして思わずタップしてしまうような仕掛けを用意したりと、謀略に近いものも多い。

内容も微妙だ。トラッキングの影響で年齢や性別なりの内容をあてがわれ、太っているとか、毛深いとか、人によってはコンプレックスを揶揄されるようなものを見せられることもある。結果的に、広告というものが、不快な存在として社会に浸透しつつある。

すると、敵もさる者、最近スマホの画面で見かけた動画広告には、途中で画面をスワイプすると広告の表示を5秒短くするという仕掛けがあった。「我慢して画面を見て指示に従えば、代わりに5秒早く解放してやる」というわけだ。これでは、広告自体がイヤなものだと認めているも同然だ。

そんな自虐的な広告シーンは増えている。「広告なしで遊べるゲームの広告」もそうだ。「プレー中に流れてくるうっとうしい広告が、このゲームにはありません」と力説してくる。しかし、それ自体がうっとうしい広告だし、広告を表示しているアプリは、自らが不快な存在だと宣伝しているようなものだ。

そのような時空をゆがめる広告手法では、ユーチューブも負けていない。ユーチューブには、有料のサブスクリプションプランとしてユーチューブ・プレミアムがある。このプランの特典はいくつかあるが、全面に押し出しているメリットは「広告なしのYouTube」だ。キャッチフレーズにも「お気に入りのコンテンツを中断なしで継続再生」とある。

つまりグーグルは、自らのクライアントが制作した広告を、見たくない視聴者に見せ、「この邪魔な広告を表示したくなければお金を払え」と喧伝していることになる。クライアントと広告を悪者にすることでサブスクに誘導するとは、その潔さにある意味敬服する。

ところで、私のChromeでは、ユーチューブを再生しても広告は表示されない。もちろんアドブロックを使用しているからだが、この便利な機能拡張は、公式のChromeウェブストアで手に入る。つまり、広告を回避する方法も、自らのプラットフォームで提供している。膨大なお金を生む存在でもあるネット広告だが、それゆえに、その存在が人々の明確な敵になるのは簡単だ。そしてそれは、そう遠くないように思う。

 

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。