教育・医療・Biz iOS導入事例

医療から教育、さらにその先へ…ある医師の人生を変えたiPad

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

iPhone/iPadで、誰もが一度は目にしたことがあるはずの項目「アクセシビリティ」。これが何か知っているだろうか。気にしている人は少ないだろうこの機能は、実は日本に30万人いるとされる視覚障害者たちの助けになっている。Appleが早期から注力してきた、アクセシビリティへの取り組み。それにより人生が変わったある医師を取材した。

 

 

テクノロジーを処方する医師

テクノロジーの革新により、眼科医から産業医へ、並行して教育・就労分野での事業展開と、その人生を大きく変えた医師がいる。株式会社スタジオ・ギフト・ハンズ(Studio Gift Hands)代表取締役の三宅琢氏だ。

現状の社会では歴然たる「障害」として認識されている視覚障害や発達障害。しかし、たとえば視力が弱くてメガネをかけている人は障害者だろうか。日本語の読み書きができない外国人は障害者だろうか。三宅氏はそれらを否定し「人の能力はグラデーションであり、100点満点の『健常者』などどこにも存在しません」と指摘する。一方、これまでの医療は「人を100点満点の健常者に近づけようとする試み」ではなかったかとの自問から、同氏は「テクノロジーを処方する」という発想に至った。

「視力障害によって就労意欲が低下し、うつ状態になった患者さんがいました。しかし、よくよく話を聞いてみると、そのきっかけは視力低下により化粧が一人でできなくなってしまったことでした。同僚から『化粧がヘン』と言われてしまい、自信を持てなくなったのですね。そこで私がしたのは従来のような治療ではなく、『今、スマホを持ってますか』という質問。そして、インカメラでズームができる、化粧にも使えるアプリを紹介しました。彼女の視力が上がることはありませんが、意欲が上がり、直面していた問題を解消することができた。彼女は今、仕事に復帰しています。ほかにも、視覚障害者にとって便利なアプリはたくさんある。これらを活用すれば、もっともっとたくさんの人が生きやすくなるはずです」

三宅氏が提供するのは「社会的処方せん」と呼ぶべきもの。同氏は現在、その医師としてのリソースの3割を眼科医、7割を産業医に充てて働きながら、スタジオ・ギフト・ハンズで障害のある人の就労や学習を支援したり、企業の職場環境や社員のメンタル面を改善したりする事業にも取り組む。

病気や障害を抱えながら働く人のまだ見ぬ才能(ギフト)を輝かせ、社会の「健康寿命」延伸を目標とする同氏。医師でありながら「病院に訪れる患者を診ているだけは人々の生活は変わらない」と思うようになった経緯とはどんなものだったのか。取材をしてみると、そこにはiPadやiPhoneなどのアップルデバイスが深く関わっていた——。

 

 

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2005年東京医科大学医学部卒業。2012年同大学大学院修了。日本眼科学会眼科専門医、日本医師会認定産業医。株式会社Studio Gift Hands代表取締役。公益社団法人NEXT VISION理事、東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、同大学先端科学技術研究センター客員研究員などとしても活動。

 

 

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Studio Gift Handsでは、iPad/iPhoneを活用したライフスタイルの改善とトータルヘルスケアに取り組む。視覚障害者対象のセミナーや眼科分野の医療従事者対象のセミナーの他、視覚補助グッズ作成・販売、障害雇用の現場におけるユニバーサルデザイン等のコンサルテーションを展開。

 

 

「医療器具」ではないメリット

三宅氏は2011年頃から、眼科医として勤務する病院でiPadの使い方を説明する活動をスタートした。

かつて視覚障害者が文字を読むには、点字や拡大印刷以外の方法がなかった。しかし、当時のデバイスのアップデート、特にiPadの登場により、弱視については端末上で文字を大きくしたりコントラストを上げたりして情報の視認性を向上させること、全盲であっても端末で文字情報を撮影すればそれをアプリが読み上げることが可能になった。三宅氏はこのように、普及している端末でアクセシビリティ(狭義には障害のある人でも使いやすく設計すること)向上を実現したアップルは画期的だったとする。

「視覚障害者の補助器具である拡大読書器は約20万円ほどします。高価な専用機器でしていたことが、端末に搭載された機能と安価なアプリの組み合わせで代替可能になる。また、パソコンは操作が難しいため、使える人は限定されますが、iPadはまったく知識のない人や子どもでも使いこなせる端末です。このような端末が障害者を支援するアクセシビリティ機能を充実させ、真の意味で誰でも使えるようになった意義は極めて大きいのではないでしょうか」

また以前、視覚障害者は音声時計や音声方位磁針、ルーペなどなど、さまざまな支援ツールを携行しなければならなかった。これもiOS端末の登場で状況が一変。「もともとガジェットが好き」だという三宅氏は、診察中のiPadを用いた説明が患者に便利だと好評だったことから、アップルデバイスによる医療のアップデートを模索するようになった。その活動を評価され、アップルストアでアクセシビリティについてのイベントもこれまで複数回、行ってきた。イベントには毎回、中学生から80代まで幅の広い視覚障害者やその支援者が集まる。

「私の外来で最高齢の患者さんは92歳ですが、視力障害があっても趣味の琴をまた弾きたいとおっしゃって、今はiPadで使える琴のアプリを楽しんでいます。このように、テクノロジーを活用することで、視力障害があるから無理、高齢だから無理、といった先入観がなくなって、より世界が広がることを実感したのです」

 

 

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「DO-IT Japan」は、三宅氏が所属する東京大学先端科学技術研究センターが推進する教育事業。障害や病気による困難を抱える学生の進学や就職などについて、本人の希望の実現をサポートすることで、未来の社会のリーダーとなる人材育成を目標とする。

 

 

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世界初となるiPS細胞移植で加齢黄斑変性の治療法開発に取り組む高橋政代医師が設立し、神戸港南の人工島ポートアイランドに位置する神戸アイセンター。最先端の眼科医療の研究と治療、リハビリ・社会復帰支援を担う。同センターのエントランス「Vision Park」は長イスの並んだ待合スペースではなく「公園」として設計された。

 

 

眼科病院の空間設計を担当

時代も三宅氏の背を押した。第一人者として医療現場へのiPad導入を続けていたところ、2014年から眼科分野において医療現場でのICT機器による情報提供に保険点数がつくようになったのだ。iPadの使用方法の説明が正式に「医療行為」として認められるようになったことで、視覚障害者のiPad利用が一気に広がった、と三宅氏は振り返る。

「もともとテクノロジーを導入することに熱心だったのは、高校の友人が後天的に視覚障害者になったことがきっかけでした。カメラマンになるという夢を持っていたけれど、それが破れてしまった。でも、今のテクノロジーを活用すれば、見えるようにはならなくても、写真を撮れるようにはなるかもしれない。『見える』ではなく『できる』を実現することこそ必要で、そこに介在するのがテクノロジーです。(三宅氏が執筆する)眼科分野の教科書にも記載し、学会でも発表するなど地道に活動してきたことが、ようやく実を結んだな、と」

ユニークなケアを実践する眼科医として注目されたことで、2017年開院の神戸アイセンター病院の「ビジョンパーク(Vision Park)」コンセプトディレクターとして、リハビリ機能を担当するエントランスの空間設計にも関わった。同施設はグッドデザイン賞やIDEA賞を受賞している。

友人の建築家の協力を得て、公園のようにさまざま人々が行き交う場所を構想。あえて安全に設計した段差などを採用し、視覚障害のある人が楽しみながら挑戦、成長できる空間になることを目標にしたという。

たとえば、ビジョンパーク内にはボルダリング施設が備わっている。ルートのホールドが順番に点灯し、正しいホールドを持つと荷重センサにより音が鳴るため、視覚障害のある人もボルダリングを楽しめる。

このように「いち眼科医」の枠を越え、活躍する三宅氏。その興味関心も眼科分野に留まらず、人の困り事を解消する方法へと広がっていった。

 

 

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患者や医療従事者を対象に年100回以上の講演や研修を担当するという三宅氏。iPadやiPhoneは医療機器ではないため、患者同士で教え合うことや、視能訓練士や看護師など職種を問わずに患者に教えることができるのも大きなメリットだという。

 

 

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毎年5月の第3木曜日は「Global Accessibility Awareness Day」。2019年に行われたApple京都でのイベントには三宅氏が登壇し、90分のセッションの中で、視覚障害者がiPhoneやiPadを使いこなすためのヒントを多数紹介した。イベントには当事者と支援者、双方から多くの人が詰めかけた。

 

 

「発達障害」がなくなる世界の実現

ここ数年、三宅氏は視覚障害に加えて、発達障害のケアを視野に入れている。たとえば、発達障害の1つである読み書きに困難を持つ子どもに対しては、iPadでテキストを読み上げるようにすれば、一気に問題解決が図れるという。ほかにも発達障害の特徴として「普通の人が簡単に覚えられることが覚えられない」ということがあるが、これも「メモ」や「リマインダー」を活用すれば、生活への影響を最小限にすることができる。

ここまで紹介してきたように、アクセシビリティを重視した端末の機能が有効なのは、発達障害だけではない。今後、テクノロジーの発展がテキスト読み上げなどの機能をよりスムースに実現すれば、実際の学校などでも発達障害が問題にならなくなるだろう。そうなったとき「発達障害という概念がそもそもなくなる」と三宅氏は期待する。

「その先では、高齢者の支援を想定しています。高齢者の方々というのは、目だけでなく耳も聞こえにくいし、記憶力も落ちている。移動障害も発語障害も抱えるようになる。つまりは、学びの宝庫なのです。高齢者を支援できれば、いかなる障害も支援できることになります」

このように柔軟な発想は、東京大学大学院の人間支援工学分野・中邑賢龍教授の研究室で学んだ経験によるもの、と三宅氏。

「テクノロジーの効果は劇的で、社会から孤立する人がほとんどいなくなります。『健常者』という雲を掴むような理想ではなく、着実に目の前の困難を解消して、生きがいややりがいなど、ヒューマンな要素を補ってあげることができる。私個人としては、こちらのほうがよほど医療なのではないかと思ってすらいますね」

医師としての残り7割である産業医としては、ヤフー株式会社、株式会社ビズリーチ、三井ホーム株式会社などの約30社と産業医や顧問の契約をしている。こちらもきっかけは、医師として人々の困り事にフォーカスするようになったことだ。

「今、人々は多様な困難を抱え、生きています。それを解消するためには、生活の大きな基盤である就労環境へのアプローチも必要です。他人の望む人生でなく、社会的処方せんにより患者が自ら治る医療、すべての人が自分らしく生きられる世界を作りたい、という夢に挑戦する人生を生きようと改めて思ったのです」

 

 

アクセシビリティ機能の裏話

最新のiOS/iPadOSのアップデートには、こんな裏話がある。標準で搭載されている[アクセシビリティ]機能だが、これまでは「設定」アプリのかなり下のほうに項目があった。一方、視覚障害者は読み上げ機能によって端末を操作する。視覚障害者のためのアクセシビリティ機能であるはずなのに、視覚障害者がそこに到達するまでに、無関係な項目をすべて読み上げなければいけない仕様になっていたのだ。

この問題に気づいた三宅氏は、アップルに報告。程なくして[アクセシビリティ]は「設定」アプリの[一般]→[コントロールセンター]→[画面表示と明るさ]の次、上のほうに位置するようになった。三宅氏は「あらためて、アップルはエンドユーザの声をしっかり拾う会社だ」と感じたという。

また、フェイスID(Face ID)はカメラに目線を合わせられない視覚障害者でも認証が可能になり、高精細なディスプレイは拡大表示に耐え得る。アップルウォッチ(Apple Watch)でSiriを操作し、アップルペイ(Apple Pay)を起動すれば、障害があっても財布を持たずに行動が可能だ。さらに、アップルペンシル(Apple Pencil)はタッチ操作が苦手な高齢者でもiPadの利用を容易にする。このように「アップルデバイスの進化は、すべての人の生活のしやすさを向上させるほうに進んでいる」(三宅氏)。今後、噂されるグラス型のウェアラブル端末なども、もし実現すれば弱視や発達障害、高齢者への活用方法の幅はさらに飛躍的に広がることになるだろう。

「それだけでなく、私はiPadのようなガジェットを使って、人々が想像力を育んでくれることを期待しています。想像力というのは、自分が『健常者』でなくなる日を想像する力です。人生百年時代、みんないずれは持っていた何かを失うことになる。それでも『できること』を増やし続けるのがテクノロジーなのです。身近な端末に、困難のある人に不可欠な機能があることが、ぜひより多くの人に知られてほしいと思います」

医療を出発点に教育と就労を自在に行き来する、まさに新時代の医師のモデルケースである三宅氏。ともすれば生産性ばかりが追い求められてしまう時代に、それを否定だけするのではなく、テクノロジーの活用という形で鮮やかな答え—身体機能ではなくできることを増やし続ける—を示している。未来に希望を持ちづらい世の中だからこそ、稀有な存在だと言える。

 

 

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「高齢者はタッチ操作が苦手なことも多い」と三宅氏。ペンによる操作であれば誰もが慣れており、操作しやすい。三宅氏の患者にはApple Pencilでボーリングのゲームアプリを楽しむ高齢者もいる。

 

 

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視覚障害者は杖を持ち歩くため、「手が塞がる」状況は可能な限り避けたい。Apple Watchの登場により、Siriを活用することで、視覚障害者は多くの持ち物を減らすことができるようになった。

 

 

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一般の人は言われなければ想像しにくいが、視覚障害者は「カメラに目線を合わせる」ことが難しい。しかし、最新のiPad ProやiPhoneに搭載されているFace IDは現在、正面以外の角度からでも顔認証が可能。これもAppleデバイスにおけるアクセシビリティの1つといえる。

 

 

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視覚障害者の日常生活において、聴覚はその機能の代替となり得る。HomePodのようなスマートスピーカはSiriやそのほかの読み上げアプリなどと連動することで、なくてはならない存在になりつつあるという。

 

 

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AppleがiPhone/iPadでかなり早期から注力してきたアクセシビリティへの取り組み。時には「視覚障害者は読み上げ機能を利用するのに、アクセシビリティの項目自体が下のほうにあって読み上げに時間がかかり、アクセシビリティが悪い」というように利用の実態にそぐわないこともあるが、三宅氏のような支援者や当事者からの要望があれば、迅速に対応する。

 

 

アプリ紹介

af_med_16.jpg UDブラウザ

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弱視など、視覚障害がある人を対象とした教科書・教材閲覧アプリ。文字拡大のほか、書体の変更や、文章を音声で読み上げることも可能。アイコンの表示も大きめに作られている。「UD」は「Universal Design(誰でも使いやすいデザインの意味)」の頭文字。

【開発】Climb App 【価格】無料
【場所】App Store>教育

 

af_med_18.jpg 明るく大きく

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視力障害で小さな文字などが読みにくい人のための読字補助ツール。小さな文字を色彩処理により「明るく」「大きく」「くっきり」とさせて、快適に読むための補助をする。読みやすさ向上のために、黒字に白などで表示するモードや表示色を限定するモード、斜め上補正などの機能がある。

【開発】Kazunori Asada 【価格】無料
【場所】App Store>ライフスタイル

 

af_med_20.jpg Seeing AI

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ユーザの周囲の状況について説明するアプリ。視覚障害のあるコミュニティのために設計された研究プロジェクトで、AI の機能を活用して短いテキストの読み上げや印刷されたページのテキスト認識、商品・通貨のスキャン、色・明るさの認識などが可能。

【開発】Microsoft Corporation 【価格】無料
【場所】App Store>仕事効率化

 

af_med_22.jpg 色のシミュレータ

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さまざまな色覚特性を持つ人の色の見え方を体験するための色覚シミュレーションツール。明確な色覚異常でなくても、たとえば男性の約5%は「赤と緑の色の区別がしにくい」「濃い赤が見えにくい」などの特徴を持っているとされる。色覚特性のタイプごとにどのように色が見えるのか体験できる。

【開発】Kazunori Asada 【価格】無料
【場所】App Store>教育

 

af_med_25.jpg Be My Eyes

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視覚障害者と健常者のボランティアをマッチングするアプリ。グローバルで展開されているが、日本でもよく利用されている。視覚障害者から支援が依頼されると、 リアルタイムのビデオ通話により、ボランティアは「この書類には何が書いてあるか」「このリンゴはまだ食べられそうか」といった相談に応じ、視覚的支援を提供する画期的なシステム。

【開発】 Be My Eyes 【価格】無料
【場所】App Store>ライフスタイル

 

三宅琢氏のココがすごい!

□ iPadなどテクノロジーを患者に処方、困り事を解消する眼科医
□ アプリ活用により「発達障害という概念がなくなる」ことが目標
□ さまざまな企業の産業医でもあり、就労の問題にもアプローチ



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