教育・医療・Biz iOS導入事例

Appleデバイスを駆使して“設計”した「最適なPX(患者体験)」

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

VRツールで開院前からクリニックを作り込み、Macと干渉する壁の位置関係をAppleビジネスチームに相談。問診表はiPadとApple Pencilで完全に電子化、カルテ連動のための既存ツールの組み合わせを徹底的に検証した。医師でありながら、なぜそこまでこだわるのか。「患者体験」という視点から、その効果を読み解く。

 

 

看過されてきた「患者体験」

マーケティング業界を中心に「CX」という概念が広がりつつある。CXとは顧客体験(Customer Experience)の略。消費者のニーズが多様化し、サービスや商品の差別化が難しくなる中、体験を向上させ、顧客に選ばれていくための活動だといえる。

一方、医療の世界において顧客にあたる患者(Patient)の体験、いわば「PX」の最適化は、これまであまり議論になることがなかった。一方で、「どの医療機関にかかればいいのかわからない」といった悩みを患者が抱える日本では、この患者体験の改善は本来、急務であるといえる。

患者体験の改善に取り組む国内の先進事例が、都営浅草線・大江戸線大門駅直結の浜松町こころのステーション・クリニックだ。院長の石井辰弥医師の信条は「治療は待合室から始まる」というもの。

従来のクリニックは「作り込みが甘い」と感じ、2019年4月のクリニック開院にあたって、医師でありながら店舗の隅々まで設計をした。また、内装だけでなく、アップルのビジネスチームと連係し、同社製品を駆使した最適な患者体験も「設計」したという。

そんな同クリニックを訪れ、石井医師の徹底した患者体験改善への想いを語ってもらった。

 

 

  • af_med_01.jpg

都営浅草線・大江戸線大門駅直結の日本生命浜松町クレアタワー4階に今春よりオープン。その立地から、都心で働く人が気軽に来院、こころのケアをすることができる。

 

 

  • af_med_02.jpg

北里大学医学部卒。日本医科大学精神神経科に入局後、精神科専門病院、精神科救急病院などで勤務し、放射線医学総合研究所にて医学博士を取得。以後、産業医として産業メンタルヘルスに取り組み、2019年4月に浜松町こころのステーション・クリニックを開院。

 

 

アップルに直接相談

近代的なオフィスビルの中を移動し、一歩クリニック中に足を踏み入れると、そこは落ち着いた雰囲気のいい空間。しかし、これは偶発的に生まれたものではない。石井医師はVRツールを用いて、事前に家具の種類や配置、カラーなどを徹底的に検証、コーディネートした。石井医師自身がウェアラブルデバイスを身に着け、仮想空間内で何度もクリニック内を体験。たとえば待合室の椅子には、開院前、入居が可能になる前からすでに何度も「座って」いたのだ。それゆえに、隣の人が気にならない椅子と椅子の間隔や、心の休まるクッションの色などを見つけることができた。

その徹底ぶりはアップルのビジネスチームをも動かした。同社はかねてからリテールビジネス支援をしているが、日本での事例は多くなく、ましてや国内の医療機関では稀といえる。石井医師は古くからのMacユーザであり、開院した新クリニックもMac中心のシステム環境を構築予定だった。そんな中、直面した問題が「エアドロップ(AirDrop)の壁による減衰」だったという。

「当院の特徴の1つとして、エアドロップを使った情報連係があります。エアドロップを活用することにより、各々のデバイス間で資料を高速でやり取りできます。また、アップルユーザの患者様であれば書類等を紙で持って来ていただく必要はありません。iPhoneの中にPDFを入れておくだけでOK。その場ですぐにデータとして提出可能です。エアドロップに使用されるWi-Fiとブルートゥースの電波は、壁の干渉により減衰することが知られています。たとえば、脳のMRI、CT画像のような大容量の画像を扱うことがあれば、時間がかかり、エラーが発生するなどして医療従事者のストレスになり、業務に差し障ります。そうでなくても、事前に干渉することがわかっていながら、何の対策もしないのはあり得ない。そこで、アップルに相談しに行ったのです」

石井医師について特筆すべきは、一貫したその美意識だ。元よりテクノロジー好きである同医師は、脳PET画像の(AIの一種である)機械学習研究に取り組んでいたこともある。必要なツールがないのであれば、ツールを生み出してしまおう。そんなDIY精神が根づいていた。だからこそ、本来「医師の仕事ではない」と疎かになりそうなところでも労を惜しまない。

結果、多少の時間はかかったものの、アップルから情報共有を受けながら、クリニックの設計を進めることができた。しかし、あくまでも「ハイテクはさりげなく」を心がけているという。

「どんなデバイスであれ、医療を邪魔してはいけない。いくら便利でも、患者さんの負担になったり、医療従事者の業務を圧迫してまで、無理に新しいものを取り入れるのは本末転倒です。違和感なくいつの間にか使われているような形を目標にしています」

 

 

  • af_med_03.jpg

患者体験へのこだわりは、受付にあるiMacのMagic Mouseのクリック音にまで及ぶ。「音が気になる」という症状の患者も来院するため、今後はMagic Mouseに加え、より静音になるMagic Trackpadも導入する予定。

 

 

医師の働き方改革にも効果

同クリニックでは現在、iMacやMacBookのほか、iPadとアップルペンシル、アップルウォッチが導入されている。石井医師はアップル製品を愛用してきたが、クリニックに導入したのは自分の好みだからではなく、プロダクトの機能性や美意識が「医療と親和性が高い」と判断したため。これらのデバイスにより、予定は「グーグルカレンダー」によりスタッフ間で共有され、連絡は「Slack」でやりとりされるなど、さながらIT企業のようだ。

「昔の病院でよくあった『〇〇さん、呼んで~』『はーい!』といった医療従事者間のやりとりは、患者さんには心理的負担になります。特に私たちは心を診るクリニックですから、その負担は最大限、配慮しなければならない。便利なメッセージツールがあるなら、使わない手はありませんよね」

「ハイテクはさりげなく」とは言うものの、結果として日常の診療にもたらす変化は大きい。たとえば、問診はiPadとアップルペンシルで劇的に効率化される。

「来院された患者さんにはまず、iPadとアップルペンシルを渡します。PDF化された問診票に直接、書き込んでいただく。これを文字認識してテキスト化、エアドロップなどを経由してカルテに転記します。手で書いたり、パソコンで打ち直したりする必要もないのです」

同院では医師の診察の前に臨床心理士による聞き取りもある。このとき、過去には医師の待機時間が発生していた。しかし、臨床心理士もiPadとアップルペンシルを利用すれば、聞き取り内容をリアルタイムで医師が確認、患者が入室した瞬間から治療をスタートできる。医療従事者の働き方改革にもつながり、かつ、患者も同じ話を繰り返しさせられることがなくなる。CXを向上させるためには顧客に接遇する従業員の体験も重要だとされるが、医師らの体験が患者体験を向上させるこの事例は、その証左にもなるだろう。

もちろん、「文字認識してテキスト化」とひと言で言っても、ツールの精度や相性などを徹底的に検証している。その組み合わせについては「企業秘密」だと石井医師は笑い、「うちのクリニックにとってのベストが、ほかのクリニックにとってベストとは限らない」と続ける。将来的には特定の医療機関についてその最適化をサポートする医療ITコンサルとしても活動していきたいそうだ。

「医療を提供する環境の整備に注力することで、患者さんが病院で居心地よく過ごせたり、医療従事者の働き方改革につながったりして、医療の質が上がることに確信を持っています。これからも日々、こだわり抜いていきたいですね」

医療現場にも芽吹き始めた、CXへの意識。医師と患者の関係が問題視されるようなニュースが増えている昨今、「患者体験」という視点はそれを解決する糸口になるだろう。

 

 

  • af_med_04.jpg

「Macを使用する前提で店舗を設計した」と石井医師。家具の種類や配置、カラーなどを仮想空間内で繰り返し検証し、今の形に辿り着いた。

 

 

  • af_med_05.jpg
  • af_med_06.jpg

iPadはApple Pencilと組み合わせて患者の問診や臨床心理士による病歴などの聞き取りに使用されるほか、医療用画像を患者に共有するときにも活用されている。

 

浜松町こころのステーション・クリニックのココがすごい!

□医師がVRツールでクリニックを総合プロデュース
□Appleビジネスチームに直談判して協力関係を構築
□患者体験の改善と「働き方改革」で医療の質を向上