【第1回】『スススにぽんぽんぽん』 | マイナビブックス

掌編小説「言葉」シリーズ

【第1回】『スススにぽんぽんぽん』

2014.03.01 | 岩村圭南

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 突然ですが……英語の複数形にまつわる話です。息抜きにお読みください。

『スススにぽんぽんぽん』

「だーから、説明しただろう。本が2冊は、two bookじゃなくて、two booksだって。2冊以上は、bookに複数形のsをつけるの!」
 つい叱責するような口調になってしまう。
「うざいなぁ。英語を勉強しなけりゃ、単数形や複数形なんて覚える必要ないのに」
 理解しているようにも思えるし、そうでないような気もする。説明していて、今ひとつはっきりしない。その上、何か言う度に不平不満が返ってくるのだから手が焼ける。知人の紹介で、学費の足しにと家庭教師を始めてからまだ間もない大学院生の中浜次郎にとって、川田英悟は、タメ口をきく小生意気な中学1年生なのだ。
「はーぁ」
「溜め息をつくなよ。こんなの基本……」
 思わずぼやきそうになる次郎。そこは堪えて複数形について質問を続ける。
「じゃあ、犬が2匹は?」
「うーん、two ドッグスかな」と英悟。
 込み上げる苛立ちを抑えながら次郎がゆっくり諭すように言う。
「かな、じゃないだろう。さっき説明したよな。もう忘れちゃったのか。グと音が濁っている場合は、two ドッグズ。スじゃなくてズだよ、ズ」
「two ドッグズー、two ドッグズー」
「お前な、ズは伸ばさなくていいから」
「僕の名前はお前じゃありません。英悟というちゃんとした名前があります」
「名前負けしてるよな。英悟が英語できなくてどうするんだよ」
「名前をつけたのは親です。2人に文句を言ってやってください」
「わかった、わかった。続けるぞ。じゃあ、箱2つは?」
「two ボックスス。ん?ボックスズかな」
「おいおい。ボックススもボックスズも言いにくいだろうが」
「言いにくい?そうかな。ボックスス、ボックスズ。ほら、簡単に言えます。日本語にだってあるでしょ。黒い粉みたいな煤(すす)、ベルの鈴や金属の錫(すず)」
「おっ、煤、鈴、錫だなんて。よく咄嗟に出てきたな」
 次郎が褒めると、調子に乗って英悟が言う。
「ね、だから、ボックススでも、ボックスズでもいいでしょ」
「と・に・か・く、英語では、ススもスズも言いにくいんだって。スで終わる場合は、スィズになるの。だから、箱2つは、two ボックスィズ」
「えーっ。ボックスィ、ん?ボックスィズ?こっちの方が言いにくいけどなぁ」
 少し考えるようにしてから、きっぱりとした口調で英悟が言う。
「うん。全部『ススス』にしたほうが全然わかりやすい。だから、two ブックス、two ドッグス、two ボックススでいいでしょ、ね」
「ね、じゃないよ。そうはいかないんだ」
「僕はそうします」
「そうしますって。勝手に変えるなよ。英語ではそう言うんだから。がたがた言わずに、そのまま覚えればいいじゃないか」
「別にがたがたなんて言ってないけど」
 英悟が少しむくれたような顔をしている。
「いいか。日本語だってそうだろう。例えば、1本、2本、3本って数えるじゃないか。全部一緒にして、『いっぽん、にぽん、さんぽん』じゃおかしいだろう」
 クスッと笑いがこぼれたが、口元が緩むのを堪えて英悟が言い返す。
「僕はいいですよ。全部『ぽん』で。『ぽん』でも通じると思うから」
 そう言うと、何やらにやついている。
「何だよ。その自信ありげな顔は……」

「僕はいいですよ。全部『ぽん』で」
 次郎が英悟の口真似をしてぽつりと呟く。
 電車のドアにもたれかかり車窓を流れる街並をぼんやり眺めながら、フフッと思わず苦笑い。
 改札口を通り抜け、1DKとは名ばかりの四畳半一間のアパートへと向かう。炭火で焦げた甘いタレの香りが漂ってくる。ジュージューと食欲をそそる音。お腹がグーと鳴る。夕食を兼ねて缶ビールと焼き鳥で憂さを晴らすのも悪くない。そう思い、店の前で立ち止まった。
「らっしゃい。何にしましょ」
「えーと、皮を2ぽんと、ねぎまを3ぽん。それに、ハツを2ぽん」
「はーい。全部で7ぽんね」(了)

 楽しい週末を。Have a nice weekend.