5月28日(水)
Sくんの連絡先がわかったので電話をかけるとつながる。くぐもっていてはっきりと聞きとれない声だ。いま何していると訊くと寝ていたと答える。昨日の夜からずっと寝ていたらしい。いまは横浜に住んでいるという。一度会って話がしたいと言うといいよと答える。今週は忙しいので来週。来週の土曜日に会いにいく。(Y)
5月28日
5時半に起きて原稿執筆。以前から続く評論。あまり進まず。仕事の休憩中もやるが、たいした成果はない。いいフレーズは浮かび、全体の構成も決まっているが、その流れをひとつの文章に組み立てる作業が上手くいかない。自分は文章書きとしては並以下と自覚しているが、あまりの作業の遅さに体と頭が悲鳴をあげている。早く三流になりたい。(T)
5月28日
他人の日記ばかりつけていたらじぶんが誰だかわからなくなってくる。ここが何処なのかいまがいつなのかわからなくなるのも時間の問題。(K)
*
ツガルさんが死んだ。
横浜に住んでるツガルさんに来週の土曜日に会いにいくことになってたんだけどまさか死ぬなんて思わなかった、
なんでもそうだけどなんでもいつもちょっとだけ間に合わないんだよね、
享年38歳、
人間だったら120歳だって(世界最高齢だって)、
ツガルさんの死を知ってみんな「えっ…」とか「こないだ会ったときは元気だったのに…」とかだいたいそんなようなこと呟いたと思うんだけどぼくの口をついて出たのは、
しんだらくだ
だったんだ、
それは詩人の亜久津歩さんの一行詩で「権力の犬」って詩誌に載ってた、
しんだらくだ
たった六文字・六音の詩って古今東西でももっとも短い部類に入ると思うんだけど、
しんだらくだ
はじめは「死んだ駱駝」とおもったけどよくよく眺めてるうちにひょっとしたら「死んだら苦だ」かもしれないし「死んだ楽だ」かもしれないと思いはじめてそうこうしているうちに、
しんだらくだ
の六文字・六音があたまから離れなくなっちゃって、
(死んだら苦なのかな、
(それとも楽なのかな、
ぼくとしては、
(死んだら空(くう)だ、
だといいなって思ってるけど、
こないだその亜久津さんにはじめてお会いできてこの詩のこと話したらこの詩の載ってる「権力の犬」は中原中也の特集号なんだけど(編集は演劇をやってる谷竜一さん)中也に駱駝の詩があるんだっておしえてくれてあとで調べてみたらたしかにあって、
疲れた駱駝は、
己が影みる。
無口な土耳古人(ダツチ)は
そねまし目をする。
(中原中也「砂漠」より)
みえないツガルさんがみえないツガルさんの影みてて、
それをそねまし目をしてみてるぼくは無口な土耳古人で、
って、
そういう夢、
夢っていうか妄想、
してぼくなりにツガルさんの死を悼んでいたんだ、
(ツガルさん、
(しんだらどんな?
いまごろ故郷の津軽に帰る途上かそれとも故郷よりもずっとずっと永くすごした野毛山動物園のらくだ舎にとどまるのかな、
8日にお別れ会があるんだっていうからともかくもそれまではとどまっててくれるかな、
きっとたくさんのひとが泣くんだろうな、
らくだも泣くのかな、
しんだらくだも泣くのかな、
(らくだも泣くの?
(しんだらくだも泣くの?
(ねえ、
(しんだらどんな?
(しんだらくだのツガルさん?
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>上くんへ。こないだ近代美術館できみを見かけたよ……といっても画面のなかでだけど。柏木麻里さん、斉藤倫さん、管啓次郎さん、三角みづ紀さんと、5人の詩人が丸いテーブルを囲んでひとつの詩をつくる、っていう美術家・田中功起さんの映像作品のなかで。きみは前回の日記で、美術館を楽しんで鑑賞するには30分くらいのほうがいいかもしれない、みたいなこと書いてたけど、この映像作品だけで1時間くらいあるのだから、30分じゃ全然足りないよ。ところで複数人で詩をつくるってどういうことなんだろうね。今回のこの駱駝についての詩、TiP!の3人のどの言葉よりも亜久津さんの詩がまんなかにあって、これ、TiP!の作品って云っちゃっていいのかな。そもそも、ツガルさんが死ななかったらこの詩は生まれていないのだから、「しんだらくだ」のツガルさんこそが、この詩の作者と云いうるのかもしれないよね。いずれにせよ、ぼくなんかはじめから三流の書き手だから、ひとりじゃなんにも書けないんだ。
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(以下、2010年1月25日、カニエ・ナハから山田亮太宛てのメールより引用((…)は中略を表す)。「(…)詩集(※山田亮太『ジャイアントフィールド』。引用者註)を拝読していて連想したのは、現代美術の田中功起さん (…)単純な仕掛けでとても面白いビデオ作品をつくっておられて、観るとおもわず真似したくなるんですが(…)、ご本人が座談会のなかで「(…)僕の行為はなんなのかと考えたとき、それは多分、究極的にはインストラクションや短いテキストのようなものとして表せることなのかもしれない。(…)映像やインスタレーションは、いくつかありえたその結果のひとつっていうこと。(…)」(「美術手帖」2008年7月号)云々と語っておられる。(…)」)
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(「権力の犬」誌上で、亜久津歩さんの一行詩「しんだらくだ」の右隣りに山田亮太の一行詩が載っていて、「その人を指差して聴こえない声でおめでとうと言ってください私の代わりに。」)
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>山田さんへ。こないだSくんを横浜駅で見かけたから(前回の日記にも出てきた、あのSくんでいいんだよね?)、彼を指差して「おめでとう」と言っておいたよ。聴こえない声で。
2014.6.4