無人島での体験から生まれたiPhone×睡眠分析支援サービス|MacFan

教育・医療・Biz iOS導入事例

無人島での体験から生まれたiPhone×睡眠分析支援サービス

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。教育の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

約5人に1人が睡眠に関する問題を抱える日本。原因は労働環境にもあり、個人の努力だけでは解決できない。「睡眠の重要性」を個人、そして企業側にも知らしめ、実際に対策を講じるためには、どうすればいいのか。今、ある医療ベンチャーが開発したアプリが、企業を動かし始めている。そのカギは「無人島生活」にあった。

 

「月曜朝の不調」の背景

平日は短い睡眠でガマンし、週末に寝だめ。週が明けた月曜日に「体がだるい」と感じることはないだろうか。このような状態は専門家の間で「社会的時差ぼけ」と呼ばれ、悪化すると睡眠障害やうつ病などの病気を引き起こす危険性も指摘される。背景にあるのが「体内時計」の存在だ。

この「体内時計」に注目した医療系ベンチャー企業が、株式会社O:(オー)。起業家コンテスト「テックシリウス2018」でグランプリを獲得、経済産業省が推進するベンチャー企業支援プログラム「J-Startup」にも選出されている。同社代表の谷本潤哉氏は「これから企業にとって“睡眠”が重要課題となる」と主張する。その真意、そして同社が開発するアプリ「オー・スリープ(O:SLEEP)」はこの課題をどう解決するのか、谷本氏に話を聞いた。

 

 

株式会社O:の代表取締役・谷本潤哉氏。フィリピンでの体験を発端に、「体内時計」に関心を持ち、2016年12月に起業した。

 

 

広告マン時代の睡眠不足

人間の体は固有のリズムによりつかさどられている。夜、急に眠くなったり、朝、ハッと目が覚めたりするのは、このリズムによるもの。ほかにも、朝には血圧と心拍数が上がり、夕方には体温が上がり、夜には尿量が多くなり、真夜中には成長ホルモンが盛んに分泌される。このようなリズムをコントロールしているのが、前述の体内時計だ。これを生み出す遺伝子とメカニズムを発見した研究者らが、2017年にノーベル生理学・医学賞を受賞するなど、医療業界のホット・トピックでもある。

ほとんどの動物はこの体内時計の指示に従い、生きている。しかし、人間はこの体内時計の指示に逆らい、「寝ろ」と指示されても(眠気を感じていても)、遅くまで起きていることがある。この体内時計とのズレが、前述したような体の不調や病気の原因になるのだ。ピンと来なければ、海外旅行の時差ぼけを想像してみてほしい。仕事で忙しく、十分な睡眠時間を確保できないとき、程度の差はあれ同じことが起きているといえる。

経済協力開発機構(OECD)の調査では日本人の平均睡眠時間は7時間22分と、加盟国中で最短。国立精神・神経医療研究センターによれば、これは必要な睡眠時間より1時間ほど短い。働き盛りの人ではもっと少ないこともあり、同センターは「日本人の5人に1人は睡眠に関する問題を抱えている」とまとめる。病気とまではいかなくても、睡眠不足のときのつらさや、「やる気が出ない」などの感覚は、多くの人が体験していることだろう。谷本氏も「睡眠が不足していると、どうしても精神的に落ち込んだり、追い込まれたりしてしまいがちです」と強調する。そして、これは自身の経験からの言葉でもある。

「会社を起ち上げたのは、前職の広告代理店時代に激務により睡眠不足が重なり、“このままでは死んでしまう”と本気で思ったことがあるからです。そのときは思い立って、フィリピンの無人島で2週間ほど生活しました。朝、太陽が上るのとともに起きて、太陽が沈むのとともに寝る生活をしたら、メンタルが劇的に回復したんですね。帰国してその原体験を追究しているうちに、これは体内時計がリセットされたことが理由では、と考えるようになって」

会社員として事業化する案もあったが、一念発起し、2016年の12月に起業。穏やかな物腰であまり野心を感じさせない谷本氏は「もともとチャレンジ精神が豊かというわけではない」と認める。そんな同氏を突き動かすほど、フィリピンでの体験は劇的なものだったといえる。

当初製作しようとしたのは、体内時計を計測できるデバイス。もともと医療のバックグラウンドがあるわけではないため、関連する研究者の元をドアノックで回った。色よい返事はなかなかもらえなかったが「ある研究者はこれならできる、別の研究者はあれならできるという中で、全体像を描き出していった」(谷本氏)。自身でも論文を読み込み、研究者の協力も取りつけた。現在、同社の社員は6名、外部メンバーを含めると15名がプロジェクトに携わっており、中には2名の医師が参加しているという。デバイスは現在も開発中だが、その過程で先に生まれたのが、アプリ「オー・スリープ」だった。

 

 

「体内時計」に着目しサービスを展開する株式会社O:。2017年3月には、三菱総合研究所とともに、「睡眠コーチングサービスO:」の実証実験を行った。A https://o-inc.jp/

 

 

「生産性低下」を予防

 「オー・スリープ」は企業の従業員を対象に、睡眠を計測・分析する健康管理アプリ。利用者がiPhoneをベッドに置いて寝ることで、加速度センサを介して、睡眠時間とその質を計測できる。ここでいう“質”は「今日の調子は?」といった主観的な5段階のアンケートで記録される“質”と、ベッドに入ってから寝つくまでの睡眠効率で計算される“質”の両面で計測されるもの。この結果から、各個人に対して理想の睡眠時間を分析し、それが実現するようにコーチングする機能もある。睡眠不足が続き、知らずしらずメンタルが弱っているような場合は、アラートが発生し、利用者にそのことを気づかせる。

また、このデータは個人を特定できない形で集計され、同社が分析、企業側にレポートされる。このレポートにより、長時間残業や精神的に追い込まれている社員が多い部署などを企業側が把握しやすくなり、労働環境の改善につながるという。導入企業は現在16社、導入予定を含めると、2018年3月のローンチから約600人が使用する計算になる。対象を企業にしているのは、前職での経験もあり「睡眠不足のリスクを企業に認知してほしいため」と谷本氏は説明する。

2015年から、企業は従業員へのストレスチェックを義務化された。しかし、このようなアンケートにおいて、従業員は自分の立場が不利になることを恐れ、正直に回答しないこともあり得る。だからこそ、「いわば“本音”である睡眠のデータがより重要になるのです」と谷本氏は強調する。

しかし、企業側には耳の痛い話で、積極的に導入しようとはしないのではないか。そう質問すると、谷本氏は「企業にも導入のメリットは大きい」と答える。

「実は、企業を経営するうえで、健康関連の最大のコストは医療費ではなく、生産性の低下なのです。経産省の報告によれば、“出勤しているが健康関連の不調により生産性の低い状態”による損失は、全体の約8割にのぼるともいわれます。睡眠不足が生産性を低下させることは多くの研究により支持されており、国内総生産に影響を与えるという試算もあります。睡眠不足の従業員をスクリーニングすることは、本質的な経営改善につながるのです」

今年度末までに40社、2000人への導入を目標にし、実証実験や論文化も並行して進めている。そのうえで、デバイスが完成した暁には「今は当たり前だと思われている社会の構造にアプローチしたい」と谷本氏。具体的には「一律の定時出社」などがそれに当たるとする。

「理想の睡眠時間は各個人の体内時計で決まるため、本当は個人によりバラつきがあります。デバイスにより詳細なデータが取得できたら、アプリと連係し、“フルフレックスを導入したほうが生産性が上がる”というデータに基づいて、従業員ごと、部署ごとなど、綿密な勤務制度の設計ができるようになるでしょう」

しかし、今はまだ、睡眠の重要性すら社会的に正しく認知されていない状態。谷本氏は「まずはそれを計測することで、人々の健康を守り、働きやすい環境を作ることにつなげたい」という。睡眠不足がどれだけ人を追い込むか︱それをよく知る谷本氏の情熱が、今、いくつもの企業を動かし始めている。

 

 

従業員の睡眠を一括管理できるツール「O:SLEEP」。導入先の従業員は寝る際にベッド上にiPhoneを置いて睡眠を計測。管理者は専用ソフト「O:SLEEP Analytics」を用いて組織や性別ごとに一覧できる。 【URL】https://o-slee p.com/

 

 

iPhoneに内蔵された加速度センサを活用し、眠りに落ちた時間や目が覚めた時間を算出する。このデータから各利用者ごとの「理想の睡眠」を分析し、実現するためにコーチングをする。従業員は寝る前にアプリでアラームを設定し、ベッドの上に置くだけであり、継続するうえでの利用者の負荷が低い。

 

 

管理者は、組織・グループ・年代・性別・勤務体系など、グループごとの従業員の睡眠状態を一覧できる(データは個人が特定されないように提供)。従業員の睡眠状態を分析し、アンケートからメンタルヘルスの不調も把握。生産性を低下させる要因を探し当て、その対策をすることから、生産性の向上につながる。

 

O:SLEEPのココがすごい!

□ベッド上にiPhoneを置くだけで睡眠時間と質を管理できる
□企業が従業員のメンタル面におけるリスク・生産性を把握できる
□将来はガジェットと連係し、各自の体内時計を計測するのが目標