第46話 モニター上の写真に真実は写っていない|MacFan

アラカルト デジタル迷宮で迷子になりまして

デジタル迷宮で迷子になりまして

第46話 モニター上の写真に真実は写っていない

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

以前、模型誌の編集をやっていたとき、誌面に掲載したご自身の作品の色についてあるモデラーさんから、「この赤はこんなに鮮やかではないはずなんだけど」と指摘されたことがある。プロモデラーに制作してもらった作品を撮影して掲載するのだが、そのときは確かに、作品をきれいに見せたい気持ちで印刷所に渡す画像データの彩度を少し上げていた。

業務の中でも、たとえばフォトグラファーに納品してもらった画像を印刷に合わせて明るさを補正したり、コントラストを調整したりすることはある。ただし、プロがこだわって仕上げてくれた写真自体はもちろん、被写体の雰囲気などを台無しにしないように心がけていた。

デジタルネイティブにとって、もはや当たり前になっている写真のレタッチも、フィルムを使っていたアナログ時代は実現できないことがほとんどだった。ライティングやセッティングを駆使して絵柄を作る必要があったし、そもそも写りを確認できるのは現像し終わったあとなので、撮影後に2~3日必要だった。失敗すれば再撮影だ。だからこそ、確実に撮影してくれるプロカメラマンの知識とテクニックが必要だった。

そのような苦労があったからこそ、写真の仕上がりを常に気にしていたし、その後にフローがデジタル化してからも、写真の再現性を大切にしていたと思う。

しかし、画像のレタッチを繰り返すうち、気がつけば、見た目をきれいにすることに意識が向き過ぎて、本来の雰囲気や、そこに込められた色へのこだわりを無視する結果になってしまった。この鮮やかすぎる赤への指摘によって、デジタルの安易さやツールの簡便さによって、写真で再現して伝える意識を忘れていたことに気づかされた。

紙が中心だった時代、色にはまだ「印刷」という共通の答えがあった。しかし、デジタルデバイスが中心となった今、その色へのこだわり、再現性へのこだわりは意味があるのか疑問だ。

表示環境がバラバラで明るさや色合いが異なるモニタで見えている色は、狙ったとおりの色で再現されているのだろうか。細部にこだわったところで、そのこだわりがうまく反映されるとは限らない。表示された赤色は多くの人にとっては赤色ではあるのだろうが、同じ赤色を見ているかどうかはわからないのだ。

そして、スマートフォンによって、レタッチが一般的になった影響も大きい。特にインスタグラム(Instagram)などのSNSでは、撮影した画像を“いじる”ことはデフォルトと言ってもいい。そこに集客したいという目的があれば、できるだけ派手に、目立つように、違和感があるように加工することになる。そして、慣れと競争の原理から、その傾向はどんどん強まっていく。実際にSNSに流れてくる色鮮やかな写真は、実際の印象とは大きく異なる可能性が常にある。

そこにAIによる生成が拍車をかけ、もはや色をいじるレベルの話ではなくなってきた。邪魔なものを消して「あったものがなくなる」だけでなく、「なかったものがある」が実現する。アクセスを稼ぐことだけが目的であれば、もはややったもの勝ちだ。できることは全部やっているに決まっている。そうなったとき、あなたのモニタに映る世界は果たして本物なのか。

最近は、色鮮やかな写真が作りものに見えるようになった。風景写真にゴミひとつなければ、おそらく消したのだろうし、名も知らぬ美しい人が写っていれば、修正したか、AIが作ったのだろうと考える。動画についてもそれは同じだ。モニタに映るそんな写真に「いいね」をする人たちは、いったい何を見て、何に感動しているのか。デジタル化の果てに写真から真実がなくなり、実物だけが真実を語るという原点に戻るのかもしれない。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。