第27話 片方の言い分しか聞かない口コミという情報|MacFan

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第27話 片方の言い分しか聞かない口コミという情報

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

たまには行ったことのないお店で食事をしたいと思い、ネット検索して新規開拓することにした。当然ながら料理が美味しく、居心地がいい店を探したい。そしてできれば手頃な価格で、そんなに混んでいない穴場がいい。もしかすると、そういう情報はSNSなどで検索したほうが見つかるかもしれない─などと、欲を出し始めるとドツボにハマるのが常だ。

そんなわけで、結局、定番である食べログやグーグルマップで調べるわけだが、その際は宣伝用に用意された写真やPR文は相手にせず、口コミの情報を参考にする。情報はあふれ、ネットに慣れているにもかかわらず、最近、こういった定番ネタの検索に時間がかかるようになった気がする。

あらためてレビューを眺めてみると、これがまた玉石混交だ。アマゾンレビューと同様、人々の感情が入り乱れる口コミの世界では、すべての情報が当てになるわけではない。

プラットフォームごとの性格の違いもなかなか興味深い。たとえば、寿司屋の情報を探すと、食べログなどで高評価の店は高級店が多い。一方、グーグルマップで評価が高い店は安くて美味しい回転寿司などが目立つ。美食自慢がしたいのか、お得情報を公開したいのかなど、プラットフォームによって書き込むときの姿勢が違う気がする。

商品のレビューとは異なり、人やサービスが介在するお店の評価というのは、お店とのコミュニケーションの評価であるはずだ。コミュニケーションとは本来、両者があって成立するものであり、その意味で口コミとは、片方の言い分でしかない。

そもそもコメント程度の短文であれば、ほとんどが恣意的に編集された文章になる。少ない言葉で公平な評価を記述することは可能だが、それには技術が必要だ。特に気持ちに左右されて書き込むレビューなど、恣意的に編集された文章の塊とも言える。つまり、役に立たない情報の可能性がつきまとう。

「入った瞬間から店主の態度が悪く、料理もイマイチでした。二度と行きません」というレビューがあったとき、そこには必ず、書き込まれていないストーリーがある。仮にお店の人の態度が悪かったのだとしたら、それには理由があるはずだ。「入った瞬間」から悪い態度をとられたのであれば、客の態度のほうが悪かったかもしれないし、来店者がとんでもない香水のにおいをまき散らしていたのかもしれない。そうなってくると、続く「料理もイマイチでした。二度と行きません」などは単なる接尾語だ。

いずれにせよ、情報提供者は自らをレビューしない。そもそも批判を書き込むということは、多くはいわゆる“いちげんさん”であり、その店の長所を知らない人である可能性がある。それが記名ではなく匿名であれば、無責任さも加わる。

結局、ほかの人の口コミや、統計的にレビューを見て判断するしかないのだが、気がつけば、店を探すという基本的なネット検索にやたらと時間がかかっているというわけだ。

批判の声は目立つし、店選びの最中に目に留まれば、気にしてしまう。料理店に限らず、誹謗中傷に近い口コミも散見されるが、こうしたレビューは集客などに影響する。客側に問題がある場合は、店側がレビュー上できちんと対話することも重要になってくるだろう。地元で愛されているお店が、いちげんさんの誤解でつぶされたのでは、情報サイトの意味がない。

雑多な口コミに引っ張り回されながら、苦労して見つけたお店に電話をしたら休みだったので、いつもの店を予約した。口コミの分析にかまけて、定休日を見落としていたようだ。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。